断片資料を頑張って整理した「ハザール 幻のユダヤ教騎馬民族国家」

中の人がハザール人について最初に興味を持ったのは、トルコの軍事博物館にいったとき「偉大なるトルコの祖先たち」の中にハザール人が入れられていた時である。
フン族の王アッティラが匈奴にされ、さらにトルコの祖先に入れられていて「???!」となり、突厥から繋がるハザールもトルコの祖先にされており、なんやこれ…騎馬遊牧民の系統ぜんぶトルコの祖先になってんのか…と衝撃を受けた。

衝撃のトルコ軍事博物館◆トルコに行ったら、アッティラがトルコ人の祖先扱いになっていた。
https://55096962.seesaa.net/article/201208article_11.html

だが、今回改めて本を読んでみて、全く関係なかったわけでもないことに気がついた。残された人物名には確かにトルコ系のものもある。国の立ち上げ時、突厥の王家(有力家系)がトップに立ち、突厥の風習を持ち込んだことも確からしい。
ただし王国が持続した300年の間に国民は近隣との混血が進んでおり、文化も周辺のものが混じり合っていて、トルコ系国家というには微妙な感じだ。

あまりにもふんわりした国家なので、資料が少ないのである。歴史に与えた影響も過小評価されている。(まあ実際、そんな大きいかって言われても微妙なのだが…)
まとまった資料なかなかないなと思ってたらこの本を見つけたので、こんなニッチなとこやる人いたんだ! と思いながら手に取った。元の資料が断片的、かつお互い矛盾していたりするのを頑張って整理した感じの内容になっている。細かいところは諸説あるだろうが、大きな流れを掴むには分かりやすい内容になっていた。こういう資料があると理解が進んで助かる。

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https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784801007758

というわけで、ハザールという国について。

イスラム圏とキリスト教圏のはざまにあり、どちらにも付かないためにユダヤ教を受容した、という話が有名だが、場所見るとめちゃくちゃ納得できると思う。隣にビザンツがいて南にはイスラム勢力がいる。実際のところは多神教を重要していて、ユダヤ教徒だったのは支配者層だけでは? とか、別にキリスト教やユダヤ教も禁止されていなかったので、それなりの人数で他宗教も混じっていたのでは? という話があるが、いちおうユダヤ教国だったことになっている。

イスラム勢力とは頻繁に激突し、さらに北方にルーシ(ロシア)勢力が勃興してくるとルーシとも戦闘を繰り広げる。最終的にルーシによって首都を落とされ、王と将軍にあたるカガンとベクがともに討たれて滅亡に至る。

さんざん言われているとおり、この国家は独自の歴史書などは残していない。自ら書いた記録がない。
ビザンツ側の記録も途切れるあたりで消滅してるため、滅びた過程も良くわからない。この本でも結論ははっきりしない。965年のルシとの戦闘での敗北をもって滅びたとするのが定説らしいが、その後もハザール人自体はまだ生き残っており、一部はもとの場所に残り、一部は離散したとされる。全盛期を過ぎたあと、あっという間に衰退して気がついたら滅びてた。そんな印象のある勢力である。

ただしハザールは、フン族よりはまだ分かりやすいし、正体もだいたい分かっている。
フン族=匈奴はちょっと無理筋な主張だが、ハザール=西突厥(+配下の関係部族)なのはほぼ確定している。少なくとも初期の支配者層は西突厥出身で、なんで黒海沿岸に国を作ったかというと、当時、西突厥がそこまで進出してきていて、前線基地をもっていたからだ。っまり本国の乱から逃れて辺境で立て直しをはかった、という感じ。

フン族がヨーロッパに侵入して勢力最大となったのは5世紀。しかし彼らのイケイケな勢力は長続きせず、安定した国を作り上げることはなかった。ハザールはビザンツと対等に取引し縁組すらする「大国」までのし上がった。同じ騎馬遊牧民でも、そのくらいの格の差がある。ハザールの初期の指導者は西突厥のアシナ氏の血族とされるが、なんとく、ただのチンピラと元王族の文化力の差、みたいなものが出ている気がする。

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場所を見ると分かるがも、ちょうど、いまのウクライナあたりのポジション。ハザール国があった時代、キエフはハザールの都市の一つだった。
なお、ウクライナの国章の元はハザールが使っていた突厥のシンボルだという説もあり、この本にも出てくる。

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また、東欧のユダヤ人の多さはハザール時代に改宗した人々に由来すると見るのが妥当だ。
なぜか欧米の学者は認めたがらない、みたいな話がこの本にも出てきていたが、ハザールが滅亡してもハザール人は離散しただけで生き残ってるので、ユダヤ教徒=全員イスラエルから離散した と考えるほうが不自然と言える。

今回、通史として読むことで、ハザールの「何」が騎馬遊牧民的、突厥的な要素で、「何」が移住後の黒海沿岸で培われたものなのか、という部分が見えてきたように思う。
と同時に、なんとなくちぐはぐに感じていたハザールの文化面の各要素が、本当にちぐはぐで、結局最後まで統一出来なかったんだなということが分かった。ずっともやもやしていたことが言語化されていて、「ああ、やっぱその理解でいいんだ…」となった。

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・西突厥から引き継いだ騎馬遊牧民の文化(突厥文字、陸戦の強さ、カガン制など) ★ベース

・イランから流入したペルシア文化
・キリスト教文化 ビザンツ寄りのギリシャ語・ラテン語によるもの
・ユダヤ教文化 ヘブライ語、聖書、ユダヤ商人ネットワーク
・イスラム教文化 イスラム圏寄りのアラビア語

ベースの上に周辺の文化をごっちゃに盛り合わせた感じで、融合させて独自文化を作ることは出来ず、どれかが優勢になることもない。結果として独自の歴史や、「これがハザールの遺産」みたいなユニークなものを残すことが出来なかった。
気がついたら滅んでた、みたいな世界史の中での影の薄さの原因も、これだろう。一時は大国だったんだけど…。

もう少し時間をかければ独自のものは生み出せたのだろうか。それとも。