2000年代初頭の就職事情覚書き。氷河期世代が新卒の頃に見ていた就活とは
氷河期世代、という言葉がある。新卒の頃に就職先がなく、新卒・第二新卒では就職出来ないまま歳を重ねてしまい、今更就職できなくなった人たちの多い世代のことだという。
年代的には1993年から2005年くらいに新卒の就職活動を行った人たち。この世代が厳しかったのは、2009年からリーマンショックによる不景気が再び襲ってきたことで、タイミングが悪いと稼ぎの良い職につけないまま30代に突入するのは有り得たんだろうなと思う。
で、なんで今この話をするかというと、このブログの本体であるウェブサイトの開設が2001年初頭だからである。
「このサイト、氷河期に製造されたことになるのか…」とか、ふと思ってしまったのだ。
2000年代の初め頃は個人サイト全盛期で、就職は出来ないけど自分のサイトは作ってて、それに打ち込んでる人とかもいたなぁ。個人サイトはほとんど閉鎖されるか更新停止で放置されてるのだが、同年代でサイト作ってる人は結構いた。あの頃のサイトオーナーたちは今ごろ、どうしているのだろうか。
http://www.moonover.jp/

というわけで、このサイトを作った頃の就職事情を覚えている限り書き残しておこうと思う。
(中の人も世代的には氷河期に当たっているようなのだが、特に苦労した覚えはない。が、自分がやってきたことを振り返ると、たぶん他の人が同じことやったら潰れるだろうなと思うのでドヤ顔でサバイバーづらは出来ない。実際、あの頃の同僚はほぼ全員、体か精神ぶっ壊して消えていったので)
●就職は基本アナログ「ハガキで資料取り寄せ」→資料を読んで紙で応募 の世界
2000年代初頭までは、インターネットはまだ普及しはじめたばかりで、企業サイトはほとんど存在しなかった。光どころかADSLですら普及しはじめたところで、リッチコンテンツ(要するに画像とか)は限定的。リクナビはもうあったが、文字のみ。
リクナビと、あともう1-2個の就活サイトに登録するのが鉄板だった。
ただしインターネット上のそうした就活サイトに登録されているのは、広告代を払える大手のみであり、大手のみに応募していた学生はだいたい爆死。地元企業や中小は、大学で配布される分厚い新卒求人冊子めくって吟味するしかなかった。
ハガキ資料取り寄せ、郵送で紙の履歴書送付、お電話でやりとり。就活のために携帯買ってる人もいた。
●今以上に口コミが重視された時代
2000年代初頭はアナログの世界なので、いまのような口コミ専用サイトなどはない。2ちゃんねるはもうあったが玉石混交の世界なので就活の情報共有よりは就活の愚痴とか吐き出してる人が多かった印象。同じ大学の同級生とか先輩とか、就活で知り合った人とのメールやりとりとかの口コミが活用されていた。
つまり就活からして人脈を持つ人間が有利、ボッチは圧倒的不利という厳しい世界であった。ここで振り落とされた人も多かったと思う。
先輩がいる企業があれば、OB訪問とかしてた。OB訪問からインターンに滑り込めればコネ入社への道が開ける。大手に有能なOBがいる上位大学と、そうでない大学の差がここで出た。
●一時は新卒の就職率が60%とか50%とかだった
今となっては信じがたいが、なんと半分くらいの若者が就職できなかった。マジで。仕事が合う合わないとか関係なく、とにかく枠があったらなんでもいいと就活してる人もいて、それが100社受けて全部落ちた、とかの氷河期の伝説を産んだ。高卒や専門大卒のほうが若干求人が多かったので、高卒の枠に大卒の人が応募するという現象も起きていた。
就職できないからと大学院に進む人もいたが、院卒になるとさらに就職しづらくなったとも聞く。あの人たちがどうなったかは謎。
●女性は圧倒的不利だった
さらに、2000年代までは「総合職」とか「一般職」みたいな区分がガッチリ決められており、女性は専門的な職業につけず、いずれ結婚したら退職していくものと見なされる風潮も強かった。「寿(ことぶき)退社」という言葉もまだ生き残っていた。
事務職でしかない、いずれ居なくなる女性を雇う余裕はない、として、最初から女性は採用予定にない企業もかなりあったのである。
親切なところは会社説明会で最初にそれとなくその旨を伝えて女性は帰らせるのだが、不親切なところは応募まではさせておいて審査の時点で全部弾く。
なので女性の応募者は、応募してみるまで女性採用アリなのかナシなのかが分からない。しかも、門前払いを食らった場合はお祈りメールすら来ないので、そもそも自分が正しい手順で応募出来ていたのかどうかすら確認できなかったのだ。
え?男女雇用機会均等法があるだろって?
そんなのタテマエだった。口コミで「あそこの会社、二次試験に進めた女性はいないらしいから実際は女性採用しないつもりだったらしい」みたいなのが流れてきてはじめて実態が分かる感じ。今みたいにネットで悪評を書かれることもなかったし、女はお茶くみしか出来んだろみたいな考えの企業も多かった。女性社員を増やそう! みたいな風潮が出てきたのは最近になってから。
●就活開始時期が早く、終了時期も早かった
4年制大学の3回生の12月頃にはすでに開始。早いところは1月ごろから面接して2月とか3月に合否出してた。今と違い規制がゆるくて、とんでもない青田刈りをしていたのである。なので、スタートダッシュに遅れるともう大手は締め切られていた。
当時は大学入試も人数が多くて過酷だったのだが、その過酷な競争を勝ち抜いたあとに更に厳しい就活。おまけに、お勉強だけ出来ていれば良かった大学受験と違い、就活はサークル活動やバイト経験が無いと詰む、化粧してスーツ来て挑まなきゃならん、とかレギュレーション違うので、大学でまじめに勉強だけしてしまった優等生ほど脱落していったように思う。
●就活終盤になると派遣や臨時雇いの広告がバンバン飛んできた
恐ろしいことに、4回生の夏前くらいにもなると、就活サイトには一般企業は居なくなり、残っているのは給料が「時給」表示の携帯ショップ店員募集とか、コンビニスタッフ募集とか、派遣会社の登録社員(雇用形態ではなく仕事がある時だけ声がかかるやつ)とかばかりが残っていた。
氷河期世代は今でも非正規社員が多いというが、最初から「食っていくためにそれしかなかった」人もいる。というか就活サイトからしてそれを誘っていたのだ。もちろん、その後、そこから抜け出せなかったのは自分の責任もあるだろうが…。
* * * * *
…というわけで、就職氷河期の就職戦線は、最初からかなりハードルの高いものだったと言える。
・アナログ応募で手間がかかるので気力&体力のない人は途中で力尽きた
・人脈やコミュ力がないとスタートラインにすら立てなかった
・手当たり次第に就活しているのでミスマッチは多かった
・女性の時点でほぼ負け確
・真面目一辺倒の優等生に不利
さらに、ぶじ入社できた人たちにも
・バブル期入社の人たちより給料がはるかに安い
・就職先を選ぶどころではない。今ある中から運良く採用されたところを選ぶしかなく、ミスマッチが多いため無理を重ねるうちに病んだりして退職することが多い
・転職する場合の最低ラインが「実務経験あり」で、正社員経験が無いか短いまま辞めると正社員での採用枠が無くなり転職もままならない
といった悪循環が待っており、実に、実に厳しい世知辛い世の中だったのである。
中の人は不真面目だったので、15社くらいで普通の勝負を打ち切って、ちょっと人にオススメ出来ないバリエーションルート登山を敢行する方向に行った。まあ選んだのがIT業界だったので、技術力つけて、実務経験が●年あります! とか言えれば何とでもなった、という話なのだが。
新卒からいきなり 即戦力w として最前線にブチこまれるのはIT業界がブラックと言われてきた所以そのものを体験してきたわけだ。
適当に色々やってたら上手く尾根に出られて展望も開け、自分は生き残った。だが、同じルートを辿った同僚はほぼ全員遭難して谷底に消えていったので、バカみたいな体力とバイタリティとつよつよメンタルが無いと無理だっただろうな、とだけ言っておく。
なので、「なんとか出来た」自分には、「氷河期世代の苦労」とやらは分からない。
ずっと非正規雇用で頑張ってるという理由も分からないし、この世代特有の世の中への怒りみたいなものにも共感することが出来ない。
本体サイトは、そんな時代に大半のページが作られた。このブログも、その頃の記事は最初の方に残っている。
中の人としては好きなことをやって好きなように生きて楽しかった思い出しか残ってないので、特に何か時代を反映するような内容は無いだろうと思う。
ただ、もし、あのクソゲーみたいな就職活動をまともにプレイしていたら、自分もどうにかなってただろうなというのは、わりと真面目に思うのだ。
年代的には1993年から2005年くらいに新卒の就職活動を行った人たち。この世代が厳しかったのは、2009年からリーマンショックによる不景気が再び襲ってきたことで、タイミングが悪いと稼ぎの良い職につけないまま30代に突入するのは有り得たんだろうなと思う。
で、なんで今この話をするかというと、このブログの本体であるウェブサイトの開設が2001年初頭だからである。
「このサイト、氷河期に製造されたことになるのか…」とか、ふと思ってしまったのだ。
2000年代の初め頃は個人サイト全盛期で、就職は出来ないけど自分のサイトは作ってて、それに打ち込んでる人とかもいたなぁ。個人サイトはほとんど閉鎖されるか更新停止で放置されてるのだが、同年代でサイト作ってる人は結構いた。あの頃のサイトオーナーたちは今ごろ、どうしているのだろうか。
http://www.moonover.jp/

というわけで、このサイトを作った頃の就職事情を覚えている限り書き残しておこうと思う。
(中の人も世代的には氷河期に当たっているようなのだが、特に苦労した覚えはない。が、自分がやってきたことを振り返ると、たぶん他の人が同じことやったら潰れるだろうなと思うのでドヤ顔でサバイバーづらは出来ない。実際、あの頃の同僚はほぼ全員、体か精神ぶっ壊して消えていったので)
●就職は基本アナログ「ハガキで資料取り寄せ」→資料を読んで紙で応募 の世界
2000年代初頭までは、インターネットはまだ普及しはじめたばかりで、企業サイトはほとんど存在しなかった。光どころかADSLですら普及しはじめたところで、リッチコンテンツ(要するに画像とか)は限定的。リクナビはもうあったが、文字のみ。
リクナビと、あともう1-2個の就活サイトに登録するのが鉄板だった。
ただしインターネット上のそうした就活サイトに登録されているのは、広告代を払える大手のみであり、大手のみに応募していた学生はだいたい爆死。地元企業や中小は、大学で配布される分厚い新卒求人冊子めくって吟味するしかなかった。
ハガキ資料取り寄せ、郵送で紙の履歴書送付、お電話でやりとり。就活のために携帯買ってる人もいた。
●今以上に口コミが重視された時代
2000年代初頭はアナログの世界なので、いまのような口コミ専用サイトなどはない。2ちゃんねるはもうあったが玉石混交の世界なので就活の情報共有よりは就活の愚痴とか吐き出してる人が多かった印象。同じ大学の同級生とか先輩とか、就活で知り合った人とのメールやりとりとかの口コミが活用されていた。
つまり就活からして人脈を持つ人間が有利、ボッチは圧倒的不利という厳しい世界であった。ここで振り落とされた人も多かったと思う。
先輩がいる企業があれば、OB訪問とかしてた。OB訪問からインターンに滑り込めればコネ入社への道が開ける。大手に有能なOBがいる上位大学と、そうでない大学の差がここで出た。
●一時は新卒の就職率が60%とか50%とかだった
今となっては信じがたいが、なんと半分くらいの若者が就職できなかった。マジで。仕事が合う合わないとか関係なく、とにかく枠があったらなんでもいいと就活してる人もいて、それが100社受けて全部落ちた、とかの氷河期の伝説を産んだ。高卒や専門大卒のほうが若干求人が多かったので、高卒の枠に大卒の人が応募するという現象も起きていた。
就職できないからと大学院に進む人もいたが、院卒になるとさらに就職しづらくなったとも聞く。あの人たちがどうなったかは謎。
●女性は圧倒的不利だった
さらに、2000年代までは「総合職」とか「一般職」みたいな区分がガッチリ決められており、女性は専門的な職業につけず、いずれ結婚したら退職していくものと見なされる風潮も強かった。「寿(ことぶき)退社」という言葉もまだ生き残っていた。
事務職でしかない、いずれ居なくなる女性を雇う余裕はない、として、最初から女性は採用予定にない企業もかなりあったのである。
親切なところは会社説明会で最初にそれとなくその旨を伝えて女性は帰らせるのだが、不親切なところは応募まではさせておいて審査の時点で全部弾く。
なので女性の応募者は、応募してみるまで女性採用アリなのかナシなのかが分からない。しかも、門前払いを食らった場合はお祈りメールすら来ないので、そもそも自分が正しい手順で応募出来ていたのかどうかすら確認できなかったのだ。
え?男女雇用機会均等法があるだろって?
そんなのタテマエだった。口コミで「あそこの会社、二次試験に進めた女性はいないらしいから実際は女性採用しないつもりだったらしい」みたいなのが流れてきてはじめて実態が分かる感じ。今みたいにネットで悪評を書かれることもなかったし、女はお茶くみしか出来んだろみたいな考えの企業も多かった。女性社員を増やそう! みたいな風潮が出てきたのは最近になってから。
●就活開始時期が早く、終了時期も早かった
4年制大学の3回生の12月頃にはすでに開始。早いところは1月ごろから面接して2月とか3月に合否出してた。今と違い規制がゆるくて、とんでもない青田刈りをしていたのである。なので、スタートダッシュに遅れるともう大手は締め切られていた。
当時は大学入試も人数が多くて過酷だったのだが、その過酷な競争を勝ち抜いたあとに更に厳しい就活。おまけに、お勉強だけ出来ていれば良かった大学受験と違い、就活はサークル活動やバイト経験が無いと詰む、化粧してスーツ来て挑まなきゃならん、とかレギュレーション違うので、大学でまじめに勉強だけしてしまった優等生ほど脱落していったように思う。
●就活終盤になると派遣や臨時雇いの広告がバンバン飛んできた
恐ろしいことに、4回生の夏前くらいにもなると、就活サイトには一般企業は居なくなり、残っているのは給料が「時給」表示の携帯ショップ店員募集とか、コンビニスタッフ募集とか、派遣会社の登録社員(雇用形態ではなく仕事がある時だけ声がかかるやつ)とかばかりが残っていた。
氷河期世代は今でも非正規社員が多いというが、最初から「食っていくためにそれしかなかった」人もいる。というか就活サイトからしてそれを誘っていたのだ。もちろん、その後、そこから抜け出せなかったのは自分の責任もあるだろうが…。
* * * * *
…というわけで、就職氷河期の就職戦線は、最初からかなりハードルの高いものだったと言える。
・アナログ応募で手間がかかるので気力&体力のない人は途中で力尽きた
・人脈やコミュ力がないとスタートラインにすら立てなかった
・手当たり次第に就活しているのでミスマッチは多かった
・女性の時点でほぼ負け確
・真面目一辺倒の優等生に不利
さらに、ぶじ入社できた人たちにも
・バブル期入社の人たちより給料がはるかに安い
・就職先を選ぶどころではない。今ある中から運良く採用されたところを選ぶしかなく、ミスマッチが多いため無理を重ねるうちに病んだりして退職することが多い
・転職する場合の最低ラインが「実務経験あり」で、正社員経験が無いか短いまま辞めると正社員での採用枠が無くなり転職もままならない
といった悪循環が待っており、実に、実に厳しい世知辛い世の中だったのである。
中の人は不真面目だったので、15社くらいで普通の勝負を打ち切って、ちょっと人にオススメ出来ないバリエーションルート登山を敢行する方向に行った。まあ選んだのがIT業界だったので、技術力つけて、実務経験が●年あります! とか言えれば何とでもなった、という話なのだが。
新卒からいきなり 即戦力w として最前線にブチこまれるのはIT業界がブラックと言われてきた所以そのものを体験してきたわけだ。
適当に色々やってたら上手く尾根に出られて展望も開け、自分は生き残った。だが、同じルートを辿った同僚はほぼ全員遭難して谷底に消えていったので、バカみたいな体力とバイタリティとつよつよメンタルが無いと無理だっただろうな、とだけ言っておく。
なので、「なんとか出来た」自分には、「氷河期世代の苦労」とやらは分からない。
ずっと非正規雇用で頑張ってるという理由も分からないし、この世代特有の世の中への怒りみたいなものにも共感することが出来ない。
本体サイトは、そんな時代に大半のページが作られた。このブログも、その頃の記事は最初の方に残っている。
中の人としては好きなことをやって好きなように生きて楽しかった思い出しか残ってないので、特に何か時代を反映するような内容は無いだろうと思う。
ただ、もし、あのクソゲーみたいな就職活動をまともにプレイしていたら、自分もどうにかなってただろうなというのは、わりと真面目に思うのだ。