古代メソポタミアの「年の名前」システムについて―「治世●年」ではなく「王がxxした年」で記載

古代メソポタミアには「Year name」、年名という概念がある。
現代のように、歴史的イベントを起点とした「西暦xx年」とか「ヒジュラ暦xx年」という積み上げ方式ではなく、単品のイベントを元にした年名が設定されていたのである。

たとえば、ウル第3王朝の Ibbi-Suen という王の治世の記録を見てみると、こんな感じになっている。
https://cdli.ox.ac.uk/wiki/doku.php?id=year_names_ibbi-suen

1年め
ウルの王イビ・スエンがウンマの街に Šara 神殿を建立した年

2年め
Ibbi-Suen が即位した年

3年め
Ibbi-Suen が即位した年の次の年

4年め
Ibbi-Suen がウルクの街のイナンナの祭司を予兆によって選んだ年

5年め
ウルクのイナンナの祭司を予兆によって選んだ年の次の年

その他、「xx像を作った年」「xxの街に城壁を作った年」「xxを打ち負かした年」「税収を免除された年」などが続き、数字で治世年を積み上げていないため、どの年が先なのか、どのイベントが何年目なのかがこれだけだとサッパリ分からない。学者が特定出来ているのは、書記の使っていた年表(年名の時系列リスト)が見つかっている場合のみで、見つかっていない年はいつのことなのか、そもそもその王が何年王座にあったのかすらも分からない。

エジプトの「xx王の治世●年目」も分かりづらいよなあと思っていたけど、メソポタミアのシステムよりは分かりやすいな…。
ていうか、このやたら長い年名(しかも年名なので毎年変わる)を書かなきゃならなかったメソポタミアの書記、大変すぎるな…。
あと、年名を覚えておいて、王名が書かれていない場合も特定できるようにしとかなきゃならん現代のメソポタミア学者も暗記力すげえな…。

なんでこんな面倒なシステムにしちゃったんだろうな。というところは、ちょっと知りたい。
効率より、王の業績を讃えるとかのほうが優先だったのだろうか…。


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おまけ メソポタミアの王名表
https://en.wikipedia.org/wiki/Sumerian_King_List

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