外国人旅行者(主に欧米)の言う「本物の日本」という言葉のグロさ、植民地時代の残滓について

最近たまに聞く、「外国人旅行者は都会でしかない東京や観光地化された京都を嫌い、本物の日本を探しに地方へ行きたがる」という言説。
これ、単に「もっとオリエンタリズムの強い知られざる名所が見たい」って意味だけじゃないです。

 「過去」のまま止まった未開地が見たい、ってこと。

もちろん純粋に日本のことが好きで、有名どころはもう回ったからもっと知られざるところに行きたいー みたいなのもあると思う。
だけど、そうじゃない場合、裏に隠れてるのは、胸糞の悪い上から目線の感情で、先進国・大都会である自分たちと異質なものを見たいっていうやつです。

…という話は、以前にも書いたので以下を読んでもらうと早いです。

伝統ってなんだっけ。「先住民の文化を守れ!」が人間動物園になっている可能性について
https://55096962.seesaa.net/article/202008article_16.html

「先住民の文化を見ようとするとき、見る側は、無意識に『劣った』『野蛮な』『純粋な』人々を求めている」

旅行先の住民は実際には既に近代化された生活を送っているのに、先住民という枠組みに押し込めて、先住民「らしさ」を求める。つまり、劣ったお前たちはずっと不便な生活をしているべきだと押し付ける。この発想は紛れもなく差別であり、人間動物園の発想なんですね。

外国人が忍者屋敷でキャッキャしてるくらいならまだいいんですが、「日本らしさ」を求めて東北の農村に昭和スタイルで生活する村を作って村人の演技をさせはじめたりすると、イースター島やアマゾンで見た、「無知な未開人の演技をして外貨を稼ぐ先住民」と同じポジションになります…。

だから、外国人が「本物の日本」という時、その日本とは何なのか、どういうイメージなのかは突き詰めておく必要があると思う。
チョンマゲつけてハラキリして、ゲイシャが踊ってる、神社でお辞儀して拝んでる みたいなクッソチープなイメージを「本物」だと言われたら、それは違う、とはっきり言ってやらないとダメ。その薄っぺらなイメージに合わせてこちらを変える必要もないです。こっちは植民地じゃないんだから。

あと、この植民地的な発想は外国人と日本人だけでなく、都会人と田舎人の間にもあって、都会人がノスタルジックな田舎を求める時、田舎には「いつまでも理想的な(そして不便な)田舎であってほしい」と思ってることがありますよね。田舎の人だって便利に生きたいに決まっているのに、山に道路を通しただけで「自然を壊した!」とか言って怒ったりする。
そんなもんは思い上がりなんですよ。自分の娯楽のために他所の生き方を規定するのはおこがましいんですよ。

だいたい「本物」って何だよ、伝統は時代に応じて変化していくのが当たり前で、いま目の前にあるものが常に最新の「本物」だよ…過去のまま時を止めた伝統は既に死んだ遺物だよ…。

異文化への無理解や時代錯誤な植民地意識を無邪気に抱いている人は結構いると思うので、自分もそうはならないよう気を付けていきたい所存。
好意と見せかけたガチ差別ほどグロい感情も、なかなか無いです。