都市計画も人類の叡智。チャタル・ホユックに見る「失敗」と、その後の都市の作り方について

都市計画、というとなんだか近代的な響きに聞こえるかもしれないが、実は古代人も都市の作り方を気にしていたらしい。

分かりやすいところでいうと、たとえば貝塚である。
自分だけしか住んでないなら家の前でもどこでもゴミ捨てて構わないが、住民みんながそのへんにゴミ投げ捨てていったら、集落はあっという間に汚くなり、全員が不利益を被ってしまう。なので集落から少し離れたところに共有のゴミ捨て場を作り、ゴミは集めてそこに持っていきましょう、という取り決めを作る。

また、通り道という概念も都市計画の一つ。
古代エジプトの集落は通りに面して家が一列にならぶ構造をしているが、みんな好き勝手に家を建てたら往来に支障をきたすので、通り道は開けときましょう、という了解のもとで家を建てている。

そういう「都市の前提となる了解・ルール」は、実はテクノロジーの一種ではないか。
つまり、適当に集まって住みはじめた当初は、誰も都市計画とか考えていなくて、皆で適当に家作って、ルールも無く適当に生きていて大失敗したのではないか。

という研究を見つけて、あーなるほどねーと思ったので、メモがわりに紹介しておく。


調査対象はチャタル・ホユック、トルコにある古代の遺跡だ。

世界最古の都市、と呼ばれることもあるくらい人口過密な集落で、紀元前7,500年前くらいから人が住みはじめ、紀元前6,700 年から紀元前6,500 年前くらいに最盛期を迎える。全盛期には1万人規模で人が住んでいたともされるが、その後、急速に人口が減少しはじめ、やがて紀元前6,000年頃には放棄されてしまう。

この場所は麦の栽培が始まった起源地に近く、穀物の栽培によって人口が爆発的に増えたのではないかと考えられる。

参考:世界遺産DBのデータ
チャタルホユックの新石器時代遺跡
https://www.hasegawadai2.com/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%A6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3%E9%81%BA%E8%B7%A1/

ただ、この遺跡、家の作り方がかなり特殊になっている。

・入口とか窓がない。建物と建物が密集しているので屋根に出入り口を作ってはしごを掛けている
・ゴミ捨て場とか墓地がない。家の床下に家族の遺体とゴミを両方埋めていたりする
・窓がなく煮炊きすると室内に煤が貯まる

と、不衛生だし、なんか健康にも悪そうな構造になっているのだ。

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いや昔から、なんで天井に入口あるんやろなあ…外敵から身を守るのに壁つくるだけの技術が無かったんかな…とか思ってたけど、まさかの、「通りとか作る概念無かったから密集してたてちゃいました」の可能性は考えて無かったな。確かに、時代的に人類が最初に作った都市の可能性もあるわけで、大集団で暮らすデメリットとか、公衆衛生の重要さとか、まだ知らなかった可能性はある。

9,000 years ago, a community with modern urban problems
https://news.osu.edu/9000-years-ago-a-community-with-modern-urban-problems/

World's early mega-settlements mysteriously collapsed — this might be why
https://www.livescience.com/health/viruses-infections-disease/worlds-early-mega-settlements-mysteriously-collapsed-this-might-be-why

で、最近出た2つめのURLの研究で、「チャタル・ホユックから出土してる人骨には確かに疾病の痕跡が多い」「特に家畜と人間両方に感染する病気が蔓延していた可能性が高い」というのを見て、ああーと思った。そうね。家畜小屋を集落の外に作る発想も、この時代はまだ無かったね。家の中とか、屋根の上で家畜飼っちゃってるからね。

At Çatalhöyük, archaeologists have found human bones intermingled with cattle bones in burials and refuse heaps. Crowding of people and animals likely bred zoonotic diseases at Çatalhöyük. Ancient DNA identifies tuberculosis (TB) from cattle in the region as far back as 8500 BCE and TB in human infant bones not long after. DNA in ancient human remains dates salmonella to as early as 4500 BCE. Assuming the contagiousness and virulence of Neolithic diseases increased through time, dense settlements such as Çatalhöyük may have reached a tipping point where the effects of disease outweighed the benefits of living closely together.


牛の結核が人間にも感染していたこと、サルモネラ菌も検出されていること。
集団で暮らすことにより、病気はあっという間に広がり、集団で暮らすデメリットがメリットを上回ってしまったことが、集落の放棄された大きな理由ではないか、というのだ。

これまで言われてきた、気候変動や火山の噴火という原因ももちろんあり得るが、そこに加えて、疫病の蔓延によって死亡率が出生率を上回り、人口規模が縮小して、農耕などの生活基盤を維持できなくなったのかもしれない。

なお、チャタル・ホユックから2,000年後の都市では、通りによって都市が区切られており、疫病が発生したとしても区画単位でパージできる構造になっているそうだ。まあ平たくいうと、疫病の出た区画の家と住民を丸ごと処分すれば残りの区画は助かるっていう、ファンタジー中世作品とかにありがちなやつ。

こうして考えると、宗教にも関連するタブーは、集団生活の中から生まれてきた、ロジックはわからないけど昔からこうしてる…という知識の集大成のようにも見えてくる。
「密室の神殿に集まってお祈りする前には手と口を洗って身を清めましょう」とか。
「豚は人間にかかる病気を媒介するから遠ざけよう」とか。

現代人にとっては一般常識レベルの知識の裏にも、多くの犠牲と、長い試行錯誤の歴史がある。
都市という快適な環境で暮らす我々は、当たって砕けたご先祖様たちに感謝しないといけないのかもしれない。