エジプトとの違いが面白い「シュメールの王碑文を読む」

研究者むけの専門書だと思うが、何故か一般書店に置いてあったので、ホイホイされて買ってきた。紀元前3千年紀、つまり紀元前3,000-2,000年のシュメール都市国家時代の碑文の訳文+解説という、ややマニアックな内容の本である。

シュメールの王碑文を読む: 前三千年紀の王たちは何を述べたのか - 前田徹
シュメールの王碑文を読む: 前三千年紀の王たちは何を述べたのか - 前田徹

エジプト本なら専門書でもまあまあ読めるのダガ、メソポタミアはそんなに詳しくないのでゆっくり読まないと頭に入ってこない。というか全部は覚えられていないのだが、とりあえず面白かったところをメモしておきたい。

※メソポタミアの王朝・時代区分の年表はこのへんとか参照
https://55096962.seesaa.net/article/201703article_10.html

まず、王碑文というからには、碑文を作らせた王様がいる。都市国家並立の時代なので、どこそこの都市の王だれそれ、という名前がある。
碑文は基本的に、その王様の功績を讃え、王様&所属都市&その都市の守護神ageの内容になっている。碑文は本のように大量のページがあるものではないので、どの功績をどう書くか、より功績をデカく、この都市の王として相応しいと思わせるように、お作法が考慮されている。

地味に見える内政よりは、戦争、防衛、外敵の撃退のほうが好まれたらしいこと、「あくまで王は都市の守護神xxの命令を受けてそれを実行したんですよ」「達成したので神のみ心に沿うことが出来たんですよ」という書き方をしているのが興味深い。

エジプトにも、似たような碑文はある。
が、紀元前3,000年紀のエジプトは、碑文よりはピラミッドや神殿を建てることで王の功績を示した。ピラミッドの外側の、見えるところに残された碑文はほとんど残っていない。神殿の壁面に功績を書いているのは紀元前2千年紀後半の新王国時代に入ってからだ。中王国時代までの神殿は、あまりゴテゴテ装飾していないシンプルな作りになっている。
王を讃えるものは、碑文よりパピルス文書で残していた印象がある。

石か粘土板に刻んで残すのがメソポタミア、パピルスに書くのがエジプト、という違いがあると考えていいのかもしれない。
エジプトのほうは紙に書くぶん、王の形容辞がどにかく長いし、守護神コールの部分も何柱も名前を呼びまくっていて、どの神様の意思に沿いました、というのが一柱に絞られていない。
メソポタミアの王碑文は短い文章で最大威信を叩き出そうとして色々考えてたのかなあ、という感じだ。

それから面白いのが、境界碑の使い方だ。
エジプトは領域国家で、隣接する地域がほとんど砂漠なので、国境の扱いがかなりアバウトである。
が、メソポタミアの都市国家では、隣の都市と自分のところの都市の境界線がシビアで、文字を刻んだ境界碑を置いて、ここからうちの領土な! というのを宣言していた。
その石に、誓約・司法の神イシュタランの名前を書き、「イシュタラン神の命令でここに石を置いている」とする。

同じやり方をしていたのがヒッタイトで、協定・誓約には司法に関係する神か力を持つ最高神の名前を書く。「神の名に誓って」であり、「破ったら神に呪われるぞ」なのである。

ただ、このやり方はエジプトではあまり見かけない。
境界碑という概念はあるが、そんなに重たい意味合いを持たされていない。畑の区切りに境界石と呼ばれるものを置いてたりするくらい。
そして、なにかの宣誓や、法律の宣言などに、神様の名前は出てくるものの、基本的に「王の命である」と書かれている。つまり人間の王からの命令であり、神ではない。
これは、人によって/出身地によって、信仰する神が違っていたこともあると思う。都市国家なら、その都市の人は基本的にみんな都市の守護神が一番だろうし、信仰にもあまりブレがない。エジプトだと、出身地域や職業によって守護神が違うのだ。なので、統一された神は現人神である王しかいなかったのではないかと思う。

いちいちタテマエに「神」を持ち出さないといけなかったメソポタミアと、もうぜんぶ「王が神だから、王の命令is神の命令な!」でやってるエジプトの違い。
実際にはメソポタミアでも神格化された王はいるし、エジプトでも古王国時代が終わる頃には王の現人神設定もかなり威力が薄れてきていたが、それでも、碑文のタテマエが違うというのはなかなか面白い。


あとは、巻末についていた暦の部分。

月齢で月を決めていたため、30日の月と29日の月が交互にきて365日にならず、閏月を入れて調整するという面倒くさすぎるシステムを採用していたらしいのだが、一年という概念がエジプトと全然違うなと思った。
しかも都市国家ごとに閏月の入れ方が違うし、月の名前も1月2月とかじゃなく、その都市で行われる祭りの名前になっている。
同じシステムを使っていたのがギリシャ、ポリスごとにカレンダー違ってて「なんもわからん…」ってやるやつ。統一王朝がないと、そういうとこも面倒なんだなと改めて思った。
しかも20日の月もあるけど会計システム的には30日で計算して、あとから1日分減らすとかやっていたらしい。月齢に厳密に合わせようとした理由とかあるんだろうか。

エジプトの暦は30日x12ヶ月+5日、4年に一度の閏日、で全国統一されてるから、めっちゃ分かりやすいんだよ…。
慣れればなんとかなるのかもしれないが、シュメールの暦は自分が会計係とか書記やってたら発狂しそうなだなと思った。
すぐ隣の地域なのに、意外と違いが大きい。影響しあいながら発展した部分もありつつ、全く別の道を歩んだ部分もあり。その違いの理由とか考え始めると楽しくなってくるのだった。