歴史が専門じゃない人が書く歴史本からしか得られない栄養分がある。「数学の世界史」

仕事用の本を探していたら何故か技術書本コーナーにあった。「世界史」とタイトルがついているけれど、内容は数学の発展の歴史で、半分以上数学ジャンルになっている。古代バビロニアやエジプト、ギリシャ、おなじみのインドに変わり種の中国など、古代世界の数学から、現代の西洋数学に至る数学史を書いた本である。

数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元
数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元

以前取り上げた、「プリンプトン322」という粘土板の詳細な解説が書かれていたので、それだけでも買いかなーと思って読んでみた。
考古学者の書く解説は計算されている内容についてあまり踏み込んだ内容になってないことも多いのだが、数学専門の人が解説すると見方も違ってくる。

古代エジプト人もピタゴラスの定理に相当する何かは知っていた。古代世界の数学事情
https://55096962.seesaa.net/article/202108article_11.html

そう、既に自分の知ってる知識や歴史でも、考古学や、その時代の専門家じゃない人が書くと、思いもよらない切り口が出てくるのが面白いんである。
これとかね!!!
こんなん、歴史ジャンルだと怖くて絶対書けねえ突っ込み待ちの文章だよ!!!(笑)

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うんまあ、この記述が許されるなら日本は縄文時代から一万年以上続く超古代文明ですね。
とか、その書き方はどうなのみたいなところも何箇所かはあるものの、歴史の切り口が面白いのは事実。

特に面白いのが、「優れた数学手法はいろんな文明で発生してるのに、ギリシャでだけ『証明』という手法が生まれたのは何故なのか」という話。そう、高校の数学でひたすらやらされ、自分は超苦手だった、あの「証明」というやつ。
実際に計算するのではなく定理を作って証明する。このやり方は、ギリシャ哲学の歴史と合わせて考えると合理的だという。
仮説の部分も多く含むが、論証数学の誕生に「√2が無理数である」という発見があったという話などは、なるほどと思った。
世の中は、きれいな数字で出来ているわけではないということ。存在論があったために哲学と数学を分離させる必要があったこと。
この二つあたりは、数学しにおける大きな楔として納得のいくものだった。

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一つだけ、古代人の弁明を代わりにさせてほしい。
古代エジプトやバビロニアの数学は、現代人から見ると「何でこんな冗長なことやってるんだろう」と思うかもしれない。また、現代の西洋数学に比べると劣っているように見えるところもある。

ただ、当時の数学の用途からすると、実はかなり合理的な作りをしている。
エジプトの数学で面積の出し方があるのは、農耕地の面積を測って税金を徴収するのが主な目的だからである。角度の計算はピラミッドなどの建築に使う。数学知識もそこに特化している。
バビロニアの数学は労働者への支払いとなる日当や、ローンの計算に多く使われている。なので虚数とか分数は必要ない。

ギリシャ人は数学で世の中を解明しようとするなど、大きな視点を持ち、哲学的な世界観の中で数字を扱っていたが、エジプト人やメソポタミアの人々にとっては、日々の経済と官僚政治の中での数字が重要だった。数学の用途や目的が違うのだ。
古代エジプトの数学に発展が見られないのも、既に完成された数学があれば、役人や書記たちの仕事には事足りたからだ。

数学の用途を、目の前の生活以外に広げたということも、古代ギリシャ人の(というかエジプトのアレキサンドリアあたりからその流れはあったのだが)業績の一つに挙げていいかもしれない。