パーシー・シェリーの「オジマンディアス」と大英博物館のラメセス2世像:彼はこの像を見ていなかった…

「オジマンディアス」とは、ラメセス2世の即位名のギリシャ語読みである。

ラメセス=誕生名、日本でいうと幼名とか本名みたいな感じ
ウセルマアトラー=即位名、王としての正式名称

「ウセルマアトラー」の語尾にSがついてギリシャ語風になまったものが「オジマンディアス」。
ギリシャ語が公用語となっていたプトレマイオス朝時代には、既にこの読み方が登場している。

で、その「オジマンディアス」に感銘を受けて、イギリスの詩人パーシー・シェリーが書いたのが、有名な「オジマンディアス」という詩である。
個人サイトだが、翻訳を載せているところがあったので載せておく。↓
https://poetry.hix05.com/Shelley/shelley02.ozymandias.html

ただ、シェリーは実際にはエジプトに行っていない。
誰かの話を聞いたか、本の挿絵などを見て想像したのが詩の内容だとされる。

で、「大英博物館にエジプト収蔵品あるんだし、そこで像くらいは見たんじゃないか」という説もあったのだが…
改めて調べてみたら大英博物館が「小メムノン」と呼ばれるラメセス2世の像を購入したのは 1821 年だった。
シェリーが詩を書いたのは1818 年なので、その数年後!

つまり、ラメセス2世の像も見ていない可能性が高い。
完全に想像だな、この詩…。

ただ、詩の中に出てくる、この情景は、実際にエジプトで見られるものである。

「ほかには何も残っていない 
 この巨大な遺跡のまわりには
 果てしない砂漠が広がっているだけだ」

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この像は「メムノンの巨像」という名前で有名だが、実際にはアメンホテプ3世のもの。背後にあった葬祭殿が消失し、入口の像だけ残ったため、「果てしない砂漠が広がっている」に近い状況となっている。まあ実際は畑の縁なんだけども。遺跡と畑が混じり合ってる雰囲気は奈良の吉野あたりに近い。

「メムノンの巨像」に比べて小さいということで、ラメセス2世葬祭殿の像を「小メムノン」と呼び、その片方が大英博物館に収蔵されたのだ。
ラメセス2世葬祭殿のほうが川から遠いところにあるので、周囲が砂漠、という風景には近いかもしれないが、そちらは葬祭殿がきっちり残っているので、「何も残っていない」という表現には当たらない。

いずれにしても、シェリーは実際にはエジプトの、テーベ対岸の葬祭殿の風景を見ていなかった。
想像によって書かれた詩なのに、こうして21世紀まで伝えられているというのは、なかなか面白い現象だと思う。