古代エジプトの「玄関扉」はどうなっていた? 大型木材の無い地域の玄関事情とは
古代エジプトの王宮や神殿の入口は、大きく開けているが、扉というものが無い。厳密に言うと宮殿のほうはほとんど実物が残っていないのだが、少なくとも神殿のほうは、神殿の入口(外周壁の入口)が大きく開かれているため、現代の教会や寺のように、「時間が来たら閉門する」という概念があったのかどうかすら分からない。
最深部の神域についても、石に扉を取り付けた痕跡がないため、入口に布を垂らすとか、板をたてかけるとかはしていたかもしれないが、「扉」と呼べる形状のものはなかったのではないかと思っている。
そもそも、エジプトは砂漠の国なので、良質な木材がほとんど育たない。なので木製品が少なく、扉のように広い面積の木材を必要とするものを大量に作ることは難しかったのだと思う。
もちろん扉がまったくなかったわけではなく、戸口に溝があり、軸を中心に回転させる形式の扉を取り付けていた痕跡のある建物跡も見つかっているのだが、神殿や宮殿の入口全てに扉がつけられていたわけではない。
なんか、開けっ放しって気にならないか…? いくら門番を置くにしても、宮殿の入口とか至聖所の入口が開けっ放しってどうよ…?
と、思いながら資料を眺めていたら、面白い説を見つけた。
「床面を高くして、入口まで階段をつけることで中が見えないようにしてたのでは」
なんと、扉をつける代わりに、強制的に入口を2階にすることで視線をずらしていた…?
確かにそれなら、扉無くても中は見えないのだが!
でも、これは一理ある。
たとえばテーベ対岸で発掘された、マルカタ王宮の遺構と復元図がこれ。
時期によって階段の向きが違うが、入口まで階段をつけて、強制的に2階にしてある。
こちら、カルナック神殿のいちばん奥にある至聖処。あの階段の上の残骸が、かつてアメン神の神像が鎮座していた場所なのだが、確かに高いところにある。ていうか土を盛って意図的に高い場所に建物を載せているのが分かる。
なるほど、階段を登るというステップを踏ませることで、扉が無くても中が見えない・侵入のハードルを上げる という方法も実際アリなんだな、と思った。
ということは逆に、王とか神とか、えらい方のプライベート・エリアの入口は、毎回、高くしとかないとダメなのでは??
王宮の入口にチャリオットで乗り付けたり、神殿の入口に行列がそのまま入っていったりしてはいけないのでは…?
まず階段。そして窓があるなら、そこから見える風景は2階相当。
庶民とえらい人で物理的に住んでる階層が違ってたかもしれないというのは、ちょっと面白い気付きだった。古代人の生活は、当時生きていた人たちからすると「当たり前」で「どうでもいい」ようなことが良くわからないものなのです。そういうものは誰も記録しないしね…。
最深部の神域についても、石に扉を取り付けた痕跡がないため、入口に布を垂らすとか、板をたてかけるとかはしていたかもしれないが、「扉」と呼べる形状のものはなかったのではないかと思っている。
そもそも、エジプトは砂漠の国なので、良質な木材がほとんど育たない。なので木製品が少なく、扉のように広い面積の木材を必要とするものを大量に作ることは難しかったのだと思う。
もちろん扉がまったくなかったわけではなく、戸口に溝があり、軸を中心に回転させる形式の扉を取り付けていた痕跡のある建物跡も見つかっているのだが、神殿や宮殿の入口全てに扉がつけられていたわけではない。
なんか、開けっ放しって気にならないか…? いくら門番を置くにしても、宮殿の入口とか至聖所の入口が開けっ放しってどうよ…?
と、思いながら資料を眺めていたら、面白い説を見つけた。
「床面を高くして、入口まで階段をつけることで中が見えないようにしてたのでは」
なんと、扉をつける代わりに、強制的に入口を2階にすることで視線をずらしていた…?
確かにそれなら、扉無くても中は見えないのだが!
でも、これは一理ある。
たとえばテーベ対岸で発掘された、マルカタ王宮の遺構と復元図がこれ。
時期によって階段の向きが違うが、入口まで階段をつけて、強制的に2階にしてある。
こちら、カルナック神殿のいちばん奥にある至聖処。あの階段の上の残骸が、かつてアメン神の神像が鎮座していた場所なのだが、確かに高いところにある。ていうか土を盛って意図的に高い場所に建物を載せているのが分かる。
なるほど、階段を登るというステップを踏ませることで、扉が無くても中が見えない・侵入のハードルを上げる という方法も実際アリなんだな、と思った。
ということは逆に、王とか神とか、えらい方のプライベート・エリアの入口は、毎回、高くしとかないとダメなのでは??
王宮の入口にチャリオットで乗り付けたり、神殿の入口に行列がそのまま入っていったりしてはいけないのでは…?
まず階段。そして窓があるなら、そこから見える風景は2階相当。
庶民とえらい人で物理的に住んでる階層が違ってたかもしれないというのは、ちょっと面白い気付きだった。古代人の生活は、当時生きていた人たちからすると「当たり前」で「どうでもいい」ようなことが良くわからないものなのです。そういうものは誰も記録しないしね…。