日本では短い期間の特殊遺物「キリシタン考古学」
日本にキリスト教が布教されていた、16世紀半ばから17世紀初頭までのごく短い期間の遺物に特化した本があったので、面白そうだなと思って読んでみた。長崎の、いわゆる「隠れキリシタン」のことではなく、合法的にキリスト教が布教されていた頃の改宗者たちの遺跡になる。
たとえば、宣教師が作った教会のあった場所から出てきた、十字架の刻まれた墓石とか、十字架とか。
キリシタン考古学: キリシタン遺跡を掘る (考古調査ハンドブック 8) - 今野 春樹
かつて京都に布教の拠点が作られていた時代の墓石は、こんな感じで十字が刻まれているので分かりやすいという。
堂々と十字架いりの墓石を建てることが出来たのは、まだ布教が禁止されていなかったからである。
日本では、キリスト教が布教された時代が1世紀にも満たない。年表見るとノーガードで布教されていたのは40年くらい。全面的な禁止令が出るまで入れても90年くらい。日本文化になるまでの期間はなく、浸透することもなく、ポルトガル経由で入ってきた教えは、入ってきたまんま凍結される。(日本文化に馴染んで変化していった「隠れキリシタン」は別として)
なので、明らかに改宗した日本人の持ちものだと分かるキリシタン関連の遺物が出てくると、時代の特定も出来る。
これは結構おもしろい現象だと思っていて、世界の他の地域だと、ここまで厳密に布教が禁止されておらず、いったん入ってきたものは一部地域ではあっても長い期間生き残っている。インドですら、古くから続くキリスト教コミュニティはある。時の権力者によって禁止され、布教された直後の状態で途切れた地域は、他に思いつかない。
布教が短期間で途切れたために、用語なども最初に布教したポルトガル語がそのまま残っている。
たとえば「メダイ」という単語で、これはポルトガル語の medaiha が日本語化したものらしい。要はメダルである。メダリオンと言い換えると馴染みがあるかもしれない。
天使やキリスト、聖母などが刻まれたメダルで、日常的に持ち歩くお守りみたいなものだったらしい。改宗し、祈りの言葉を唱えられるようになると宣教師から与えられた。そのため、各地でたくさん見つかっている。
日本で作られたものもあるようだが、ほとんどは海外で作られて持ち込まれているようで、成分分析をするとアジアの他の宣教地(フィリピンなど)で作られたものだったりするらしい。これが出てくると、近くに改宗者が住んでいたか、埋葬されていたということになる。幕府は持ち込みを厳しく禁止していたので、禁教以降はほとんど持ち込まれていない。
知識がないと、これがいきなり古い時代の地層から出てきても何なのかわかんないよね…。
出島の近くとか長崎ならともかく、大分だったり、茨城や仙台だったりする。おそらく、宣教師がそのへんで活動していたのだろうが、すぐにピンと来るかというと微妙だ。
歴史ifだが、もし布教が禁止されず、そのままゆるやかに広がっていた場合、日本におけるキリスト教はどんな文化になっていただろうと、ふと考えてしまう。そのまま、ヨーロッパのテイストのまま広まるということはあり得ない。なぜなら、オセアニアのキリスト教も、南米のキリスト教も、500年も経てば元とはかなり別物の、ローカルテイストに変わっているからだ。
キリスト教は、決して完成された教えではない。
ローマ帝国が帝国領内で共通の宗教を持つために、帝国の支配者に都合がいいようにカスタマイズした教義になっている。ローマ帝国ではなかった場所に広めると、帝国仕様が解体される。
つまり、ヨーロッパの思考と共通する歴史や伝統を持たない、独自の宗教の土台があるところに広められたキリスト教は、現地文化側に取り込まれてローカライズされる傾向が強いのだ。
[>参考
キリストの奇蹟がスイカに宿る…外来神話のローカライズ
https://55096962.seesaa.net/article/201806article_25.html
もしかしたら、隠れキリシタンの「マリア観音」のような存在が、そうなのかもしれないが、八百万の神に組み込まれたイエスとかも見てみたかっt…
…あ、聖★お兄さんがそうだったりします…?
聖☆おにいさん(1) (モーニングコミックス) - 中村光
たとえば、宣教師が作った教会のあった場所から出てきた、十字架の刻まれた墓石とか、十字架とか。
キリシタン考古学: キリシタン遺跡を掘る (考古調査ハンドブック 8) - 今野 春樹
かつて京都に布教の拠点が作られていた時代の墓石は、こんな感じで十字が刻まれているので分かりやすいという。
堂々と十字架いりの墓石を建てることが出来たのは、まだ布教が禁止されていなかったからである。
日本では、キリスト教が布教された時代が1世紀にも満たない。年表見るとノーガードで布教されていたのは40年くらい。全面的な禁止令が出るまで入れても90年くらい。日本文化になるまでの期間はなく、浸透することもなく、ポルトガル経由で入ってきた教えは、入ってきたまんま凍結される。(日本文化に馴染んで変化していった「隠れキリシタン」は別として)
なので、明らかに改宗した日本人の持ちものだと分かるキリシタン関連の遺物が出てくると、時代の特定も出来る。
これは結構おもしろい現象だと思っていて、世界の他の地域だと、ここまで厳密に布教が禁止されておらず、いったん入ってきたものは一部地域ではあっても長い期間生き残っている。インドですら、古くから続くキリスト教コミュニティはある。時の権力者によって禁止され、布教された直後の状態で途切れた地域は、他に思いつかない。
布教が短期間で途切れたために、用語なども最初に布教したポルトガル語がそのまま残っている。
たとえば「メダイ」という単語で、これはポルトガル語の medaiha が日本語化したものらしい。要はメダルである。メダリオンと言い換えると馴染みがあるかもしれない。
天使やキリスト、聖母などが刻まれたメダルで、日常的に持ち歩くお守りみたいなものだったらしい。改宗し、祈りの言葉を唱えられるようになると宣教師から与えられた。そのため、各地でたくさん見つかっている。
日本で作られたものもあるようだが、ほとんどは海外で作られて持ち込まれているようで、成分分析をするとアジアの他の宣教地(フィリピンなど)で作られたものだったりするらしい。これが出てくると、近くに改宗者が住んでいたか、埋葬されていたということになる。幕府は持ち込みを厳しく禁止していたので、禁教以降はほとんど持ち込まれていない。
知識がないと、これがいきなり古い時代の地層から出てきても何なのかわかんないよね…。
出島の近くとか長崎ならともかく、大分だったり、茨城や仙台だったりする。おそらく、宣教師がそのへんで活動していたのだろうが、すぐにピンと来るかというと微妙だ。
歴史ifだが、もし布教が禁止されず、そのままゆるやかに広がっていた場合、日本におけるキリスト教はどんな文化になっていただろうと、ふと考えてしまう。そのまま、ヨーロッパのテイストのまま広まるということはあり得ない。なぜなら、オセアニアのキリスト教も、南米のキリスト教も、500年も経てば元とはかなり別物の、ローカルテイストに変わっているからだ。
キリスト教は、決して完成された教えではない。
ローマ帝国が帝国領内で共通の宗教を持つために、帝国の支配者に都合がいいようにカスタマイズした教義になっている。ローマ帝国ではなかった場所に広めると、帝国仕様が解体される。
つまり、ヨーロッパの思考と共通する歴史や伝統を持たない、独自の宗教の土台があるところに広められたキリスト教は、現地文化側に取り込まれてローカライズされる傾向が強いのだ。
[>参考
キリストの奇蹟がスイカに宿る…外来神話のローカライズ
https://55096962.seesaa.net/article/201806article_25.html
もしかしたら、隠れキリシタンの「マリア観音」のような存在が、そうなのかもしれないが、八百万の神に組み込まれたイエスとかも見てみたかっt…
…あ、聖★お兄さんがそうだったりします…?
聖☆おにいさん(1) (モーニングコミックス) - 中村光