田んぼの水路は「川」の一部。水田漁撈(ぎょろう)について
日本人の主食はコメだが、歴史的に、コメ以外にも多くの食料が食べられてきた。
そんな多種多様食料について、考古学資料から種類や意味、頻度などを解き明かそう、という本があったので、なんなとく読んでいた。
海で魚を取る、山で狩りをする、クリなどを植えて利用する、といった内容は、縄文時代の資料でさんざん見てきたのだが、今回は、今まで自分が意識していなかった「田んぼと、田んぼに接続する水路での漁」という断面を知った。

古代食料獲得の考古学 (ものが語る歴史シリーズ 31) - 種石 悠
この部分が縄文時代の本に出てこないのは当然で、稲作が始まると弥生時代になっちゃうからである。
水田も水路も人間が作った環境だが、「人間の手の入った自然」が出来上がる。川から水を引き込むので、水田にはドジョウなどの淡水の魚が紛れ込む。
つまり、日常生活の中でついでに行える副業的な漁であり、川や湖に出かけて行かなくても行えるものになる。
で、とってた魚の種類が、これは遺跡から出てくる骨などで鑑定されていて、「関東」「関西」「湖沼」で表になっている。
田んぼに近い川でシジミとったりしてたらしいのだが、シジミって海のイメージしかなかった。正確には汽水性の生物で、河口の海に近い場所でしか取れないものらしい。なるほど。

こうした近場の漁は主に春から秋にかけて行われていたようで、つまり農作業の片手間で行える。
そういえば、稲作ゲーム「天穂のサクナヒメ」でも、田んぼのふちでドジョウ捕まえて料理に使えた。ドジョウは冬には痩せてしまうので、暖かい季節が美味しいらしい。
なお、長年、水田とともに生きてきたドジョウとドジョウ漁だが、近年ではもうドジョウは田んぼにいないらしい。
https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/oriental_med/column2/food/20220415-2.html

水田も減りつつあるが、水田と関わる文化の一部も、既に消えつつあるのかもしれない。
これを残念なことと思うのか、それとも時代の変化と受け入れるべきなのか。
まあ私は後者の方かな。
伝統って、ある時点で生まれて、また廃れていくものだし。いつまでも変わらないことがいいわけではない。少なくとも、水田を一時的に干したり、農薬を使ったりすることにょって、病気を媒介する蚊や、ミヤイリガイのような風土病の原因は取り除かれてきたし、コメが効率的に収穫できるようにもなった。
水田に繋がる用水路はただの土の水路ではなくコンクリ固められ、蓋がついたものになりつつあるが、大雨で崩れて水があふれることもなくなったし、昭和の頃はまだあった、用水路に子どもが落ちて亡くなる事故もかなり減ったと思う。
…というか、自分は用水路に落ちて流された経験者だし、用水路でメダカをとった記憶も辛うじて残っているので、おそらく、用水路がガチガチに固められる前の最後の世代くらいかもしれない。
水田の近くで漁をする文化のために、それらの危険を良しとするわけにもいかないのだから、今の形になったのは、仕方のないことなのだろう。
江戸時代のことが既に昔の風俗であるように、昭和までの水田と水田周りの風景も、今では、もう、考古学で研究される範囲と言っていいのかもしれない。
そんな多種多様食料について、考古学資料から種類や意味、頻度などを解き明かそう、という本があったので、なんなとく読んでいた。
海で魚を取る、山で狩りをする、クリなどを植えて利用する、といった内容は、縄文時代の資料でさんざん見てきたのだが、今回は、今まで自分が意識していなかった「田んぼと、田んぼに接続する水路での漁」という断面を知った。

古代食料獲得の考古学 (ものが語る歴史シリーズ 31) - 種石 悠
この部分が縄文時代の本に出てこないのは当然で、稲作が始まると弥生時代になっちゃうからである。
水田も水路も人間が作った環境だが、「人間の手の入った自然」が出来上がる。川から水を引き込むので、水田にはドジョウなどの淡水の魚が紛れ込む。
つまり、日常生活の中でついでに行える副業的な漁であり、川や湖に出かけて行かなくても行えるものになる。
で、とってた魚の種類が、これは遺跡から出てくる骨などで鑑定されていて、「関東」「関西」「湖沼」で表になっている。
田んぼに近い川でシジミとったりしてたらしいのだが、シジミって海のイメージしかなかった。正確には汽水性の生物で、河口の海に近い場所でしか取れないものらしい。なるほど。
こうした近場の漁は主に春から秋にかけて行われていたようで、つまり農作業の片手間で行える。
そういえば、稲作ゲーム「天穂のサクナヒメ」でも、田んぼのふちでドジョウ捕まえて料理に使えた。ドジョウは冬には痩せてしまうので、暖かい季節が美味しいらしい。
なお、長年、水田とともに生きてきたドジョウとドジョウ漁だが、近年ではもうドジョウは田んぼにいないらしい。
https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/oriental_med/column2/food/20220415-2.html
水田も減りつつあるが、水田と関わる文化の一部も、既に消えつつあるのかもしれない。
これを残念なことと思うのか、それとも時代の変化と受け入れるべきなのか。
まあ私は後者の方かな。
伝統って、ある時点で生まれて、また廃れていくものだし。いつまでも変わらないことがいいわけではない。少なくとも、水田を一時的に干したり、農薬を使ったりすることにょって、病気を媒介する蚊や、ミヤイリガイのような風土病の原因は取り除かれてきたし、コメが効率的に収穫できるようにもなった。
水田に繋がる用水路はただの土の水路ではなくコンクリ固められ、蓋がついたものになりつつあるが、大雨で崩れて水があふれることもなくなったし、昭和の頃はまだあった、用水路に子どもが落ちて亡くなる事故もかなり減ったと思う。
…というか、自分は用水路に落ちて流された経験者だし、用水路でメダカをとった記憶も辛うじて残っているので、おそらく、用水路がガチガチに固められる前の最後の世代くらいかもしれない。
水田の近くで漁をする文化のために、それらの危険を良しとするわけにもいかないのだから、今の形になったのは、仕方のないことなのだろう。
江戸時代のことが既に昔の風俗であるように、昭和までの水田と水田周りの風景も、今では、もう、考古学で研究される範囲と言っていいのかもしれない。