グレコ・ローマン時代のベス神信仰は、イケない薬でトリップしていた? ベス神マグカップの中身の分析から

エジプトでは、新王国時代以降、なぜかベス神の顔を模した壺・コップの類がたくさん作られるようになる。
こちらは新王国時代のスイレンを模したベス壺。このタイプはそんなに数は多くない。

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年代不明だがベス神だとわかりやすい壺。このタイプはよく見かける。

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末期王朝以降だと、もはや顔ついてれば何でもいいや的な適当なのも増える。
このタイプは死ぬほど出てくる。
右下のちょっと造形のしっかりしたやつは型で量産しているので、同じものがギリシャ本土やシリアなど広範囲に散らばって出てくる。

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で、これらの壺・コップの使用目的って何よ? というのが、今回の話である。
ベス神はエジプト神には珍しく正面から描かれる神で、メソポタミア神話のフンババ(フワワ)やギリシャ神話のゴルゴンと似た意味合い、つまり「魔除け」の神として信仰を集めていた。
なので、おそらくその意味合いもあったのだろうが、紀元前2世紀、つまりプトレマイオス朝半ばのものの中に残った成分を分析してみたところ、向精神薬に使われる植物など、おクスリ系の成分が検出されたという。
なので「これトリップ用の薬草をお酒と混ぜて飲んでいたのでは…?」という話になっている。

元論文
Multianalytical investigation reveals psychotropic substances in a ptolemaic Egyptian vase
https://www.nature.com/articles/s41598-024-78721-8

参考: ベス神データ
http://www.moonover.jp/bekkan/god/bes.htm

まず前提知識として、論文などで「古代エジプト」と言われる時代はローマ属州時代まで入る。
ローマが分裂して東ローマ、つまりビザンツに支配されるようになるとビザンツ時代と呼ばれるのが一般的なので、それまでの時代の、ギリシャ文化に影響を強く受けていたプトレマイオス朝や、ローマの神々と習合していたローマ属州時代も、ぜんぶまとめて「古代エジプト」にされてしまう。

だが、エジプト神話本で「古代エジプト」といえば末期王朝時代までのことが多い。
ここにギャップがある。
ベス壺が多く出現するのは末期王朝時代以降だし、論文で触れられている「サッカラのベス信仰」はプトレマイオス朝以降に特徴的なものになる。なので補足しておくと、古代の都市メンフィスに近いサッカラには、プトレマイオス朝時代に「保育の部屋」または「ベスの部屋」と呼ばれる、ED治療のための施設があった。壁には女神とベス神のまじわる姿が描かれており、性的興奮をもたらす何らかの治療が行われていたという。
要は性的な能力を無くした男性が心霊治療を受ける民間メンタルヘルスである。
ベス神は半裸で踊っている姿で現されることが多い神なのだが、その姿から、プトレマイオス朝時代には性的な役割を強調された神となっていたらしい。

もともと、王権やエリートとは無縁の民間信仰の神だったので、時代ごとに意味合いを変えてゆく傾向があり、より低俗な、あるいは民間的な困りごとを解決する神として求められていたのだ。

もし、この壺が治療の過程で酒とおクスリを処方されて部屋でトランス状態になるためのものだったとしたら、もしかしたら、ベス神にもギリシャでいうデュオニュソスの秘技みたいなものがあったのかもしれない。壺に入れていたのが酒だったなら、そういう解釈も出来る。

検出されている成分の一つはハルマリンで、これはハルマラ(Peganum harmala)という植物の名前から来ている。幻覚作用をもたらす成分だとのこと。
ハルマラは古代のシリア語で baššāšā 、アラム語でbešaš などと呼ばれていたが、これはベス神の名前 bes を元にした「ベス神の植物」が語源ではないか、という話も論文に出てきたが、植物名の由来となるほど頻繁に使われていたかどうかは分からないので、この説が正しいのかは断言出来ない。中王国時代から新王国時代の医療パピルスでは見た覚えがないので、単に私がスルーしていたか、そうでなければプトレマイオス朝以降に流行った民間治療とかなのかもしれない。

論文内に出てくる血に飢えた女神の話は「天の牡牛の書」のことだと思うが、女神を連れ戻すのがベス神になってるVerは見たことがなく、トト神かオヌリス神になるはずなので、ここは意味が分からない。というか、この神話をモチーフにするなら壺の中身はビールでなければならないので、あまり関係ないと思う。

Nimphaea(スイレン)の成分も出ているため、スイレン型の壺と関係があるのでは? とも言われているが、スイレン型のベス壺は新王国時代以降ではあまり見かけないので、これもちょっとこじつけくさい気がした。

あとCleome genus(フウチョウソウ)とか、何種類かの植物が書かれていた。

全般として、壺にベス信仰に関わる薬草を加えた飲み物が入っていたかも、という話までは納得出来るのだが、それ意外の細かいディティール部分は要検討じゃないかなあ、という感じ。プトレマイオス朝以降の民間信仰だと、かなりの割合でギリシャ語が入ってくるので、自分はあまり詳しくはない部分だし、古代エジプトが専門の学者もあまり触れてくれない部分だから、ぶっちゃけ、どこまで妥当性があるかは保留にせざるを得ない。

ひとつ言えるのは、分析されたのが一例だけなので、もっと沢山のサンプルから中に残ってる成分の確認をして比較したほうがいいだろうなということだ。その点については、今後を待ちたい。