最近のSNSの治安が「2ちゃん以下」だよねという話題に→板が別れてないんだからそりゃそうじゃない?

年末も近づき、忘年会や送別会の季節ですね。肝臓の準備はよろしいか。
というわけで、飲み会ついでに最近のSNS、とくにX(旧Twitter)の治安が終わっている、という話をしていたのだが、00年代インターネッツを知る通称「インターネット老人会」世代からは、「かつての2ch以下」という評価が多かった。

荒らし投稿する奴があぼーん(削除)されない、コピペ連投する奴も別に凍結されるでもなく生き残っている。
運営の対処が足りない/出来ていない。そして通り魔に合う確率が高い。仲間と和気あいあい喋ってるとこに、どこからともなくやってきた知らない人がいきなり殴り込んでいちゃもんつけてくるのである。完全にスラム街である。

かつての2chもスラムだったし、ゴミ溜めだった。ただ、スラムにはスラムのルールがあった。
ゲスなチンピラではなく、住み着いたストリートに馴染もうと、あるいは反旗を翻そうとして足掻いていた。

そう、まず最近のSNSは 2chでいう「板」の区別がなく、全てがフラットなのが問題 なのだと思う。

知らない人に説明しておくと、かつての2chはジャンルごとに板が別れており、それぞれの板の中にスレッドと呼ばれる話題を投稿していくスタイルだった。
オカルト分野なら「オカ板」、化粧なら「コスメ板」、ダム板、時事ネタ、アニメ、ゲームetc、とにかく多くのジャンルに別れており、「xx板住民」という呼び方も一般的に使われていた。自分の馴染みのジャンルを作ってそこに通うことで、同じ板の住民は「おまいら」と呼ばれる仲間意識を醸成していたし、前提となる知識は板住民ならみんな共通して持っているものと見なされた。

「半年ROMれ」という偉大なルールがあったのも、そのためだ。これは「板住民に前提とされる知識や、その板だけのローカルなスラングを習得してから書きこめ、それまではリードオンリー(ROM)に徹しとけ」という意味である。
いやルールっつっても守らない奴も多かったけど、初カキコ前に雰囲気とか流れは見てたはずだし、見てない奴は「半年ROMれ」でハブられて終わりだったし、話題についてこれないことも多かったのだ。

例えば鉄道関連の板に、鉄道ミリ知らの人間が入り込むとか、コスメ板を化粧ブランド名もわからんような人が冷やかしにいくといったシチュエーションを想像してみてほしい。全くとんちんかんなレスしかつけられないだろうし、話題にも乗れない。そもそもスレのタイトル名すら理解できないかもしれない。

しかし現在のSNSでは、通りすがりに見かけた、全く知りもしないジャンルに、反射的にレスをつけてしまうことが出来る。
人間は誰しも、知らないジャンルがある。知識のないものに対して知ったようなレスをつければ必然的にバカに見える。大学教授やら名のある社会人やらが時々ものすごいバカみたいな発言をしているのは、ほとんどこういうパターンだと思う。要するに「知らないことに口出しするな、まずそのジャンルを半年ROMれ」が出来ていないのである。

そしてレスをつけられた側からすると、完全に通り魔にあった状態となる。

デパートの化粧品売り場の愚痴をもらしている時に、反応してほしい/するべきなのは、同じくデパートの化粧品売り場で買い物をしたことのある人であり、化粧品の何たるかを知らない人や、普段ドラッグストアでしか化粧品を買わない人ではない。
昔の2chでいうと、コスメ板に通うような熱心な板住民である。

育児についての話題も育児板住民と会話すべきであり、子どものいない成人や、子ども嫌いの人、子作り=社会維持のために必要なもの、みたいな政治的な視点の人は、本来その話題に割り込むものではない。

すべての話題がフラットとなり、今のSNSは無差別に人を繋げてしまうものとなった。
思いがけない出会いや、野生の専門家と繋がれる可能性、全く興味のなかったジャンルの知識が手に入るなど利点もある一方、特定ジャンルの関係者と話をしたい場合には限りなく不都合の大きい場所となった。

特にXはその傾向が強く、だからこそ皆、Xではない場所に避難所(身内とだけつるむ場所)を作っているのだろうなと思う。

ルール無きフラットなスラム世界で、皆等しく通り魔に遭ってズタボロになりながらたち続けるのも、一線引いて遠くから眺めるのも、好きにすればいいと思うのだが、「好きに」するのが大事なので、続けることがしんどいとか、精神的に負担になるとか、何かウケる投稿しなきゃみたいな強迫観念に襲われるとかがあるなら、スマホは投げ捨ててお出かけとかするのをお勧めしたい。
そのスラム、別に出たければいつでも出られるスラムだし、引っ越したければ引っ越しも自由なんだからね。