ツタンカーメンの墓の副葬品がやたら豪華なのは何故なのか。もしかして「アマルナ王家の総決算」だったのでは…?
ツタンカーメンの墓から出た豪華な副葬品は有名で、黄金のマスク以外にも、ベッドや厨子、衣類に像といったものの写真を、どこかで見たことのある人は多いと思う。レプリカも多く出回っていて、実際の発見シーンを再現した展示会も何度か行われている。
サンプル
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/see-1000-perfect-replicas-of-objects-unearthed-from-king-tuts-tomb-180984300/
だが、よく言われる「即位期間が短く、若くして亡くなった業績のほとんど無い王でも副葬品がこんなに豪華、他の偉大な王たちはもっと豪華だったに違いない」というフレーズは、本当にそうなのかわからんなあと思っていた。
ツタン様の副葬品、実は再利用品が多い。
有名な黄金のマスクには作り直した形跡があり、前の代のスメンクカーラー、もしくはネフェルティティが本来の持ち主だったのでは、という説もある。
また、棺に至っては、三重の木製棺の中に明らかに別人の顔で作られているものがある上に、いちばん外側の木製棺は石の棺に入り切らなかったために足の部分をオノでかち割って無理やり突っ込んだ跡が残っている。
(その話しは、昔べつの場所にも書いたが)
他にも、祖母からのお下がりっぽい品があったり、普通は一緒に入れない子どものミイラが同じ部屋に入っていたり、どうも片っ端から突っ込んだ雰囲気がある。
いくらツタンカーメンが若死にしたにしても、これらは本来、他の王もしくは王家の誰かの埋葬に、既に使われていたものではないかと思われる。
だとすれば、同じアマルナ王家の墓からの流用品だと思うのだ。
アマルナ王家の人々は、いったんはアマルナの都近くの墓地に埋葬されたとされる。具体的にはアケトアテン(アマルナ)の東側の岸壁に掘られた墓穴だ。
都が放棄されて無人になるとき、その墓をいったん開けて、中身を取り出してどこかに移したとされるが、ミイラ候補はあるものの副葬品は見つかっていない。
これらの品がツタンカーメンの墓に転用されていたと考えればどうだろうか。
つまり、ツタンカーメンの墓の副葬品が豪華なのは、他の王のときも常にそうだったのではなく、アマルナ王家の何代かの王の副葬品を一箇所に纏めたせいなのではないのだろうか。
アマルナ王家は彼で断絶することが決まっている。王家伝来の財産があったとして、引き継ぐべき者がいない。ツタンカーメンの妻だったアクエンアテンの王女はまだ生きていたが、王家は男系で「息子から息子へ」と受け継がれていたので、家系断絶と言ってもいい。
だとすると、墓に収める以外の選択肢が無かったのでは、と思うのだ。
副葬品の中にはベッドや椅子のような家具も多いが、実際に王が使ったものだけではなく、アマルナの王宮を引き払うときに持って帰ってきた品を、ぜんぶ総決算的に納めて、王家の記憶そのものを墓に封印したのだと想像すれば納得できる。強引な宗教改革のせいで曰く付きの王家の持ち物だし、放棄されたアマルナの都の残り香のついた遺品は誰も使いたくなかったんじゃないかな…
というわけで、ツタン様の墓の副葬品が豪華なのは、
・曰く付きの王家の品だったので次の王家に引き継がれず精算された結果では
・王家断絶する時に、王家関連の品(未熟児のミイラも含め)は全て、最後の王の墓に入れて封封印したかったのでは
・他の、後継者のいる王は、ここまで色々墓に入れなかったのでは
というのが自分の考えとなる。
もちろん豪華な副葬品はあったんだろうけど、さすがにここまでじゃないだろうなあ。というところ。
墓は死後の安寧を約束する棺であるとともに、封印と忘却の装置でもあると思う。
ことに、後世に名を消される王家の最後の王だったツタンカーメンの場合は、「忘却のため」という意味合いはあっても不自然ではないと思うのだ。
サンプル
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/see-1000-perfect-replicas-of-objects-unearthed-from-king-tuts-tomb-180984300/
だが、よく言われる「即位期間が短く、若くして亡くなった業績のほとんど無い王でも副葬品がこんなに豪華、他の偉大な王たちはもっと豪華だったに違いない」というフレーズは、本当にそうなのかわからんなあと思っていた。
ツタン様の副葬品、実は再利用品が多い。
有名な黄金のマスクには作り直した形跡があり、前の代のスメンクカーラー、もしくはネフェルティティが本来の持ち主だったのでは、という説もある。
また、棺に至っては、三重の木製棺の中に明らかに別人の顔で作られているものがある上に、いちばん外側の木製棺は石の棺に入り切らなかったために足の部分をオノでかち割って無理やり突っ込んだ跡が残っている。
(その話しは、昔べつの場所にも書いたが)
他にも、祖母からのお下がりっぽい品があったり、普通は一緒に入れない子どものミイラが同じ部屋に入っていたり、どうも片っ端から突っ込んだ雰囲気がある。
いくらツタンカーメンが若死にしたにしても、これらは本来、他の王もしくは王家の誰かの埋葬に、既に使われていたものではないかと思われる。
だとすれば、同じアマルナ王家の墓からの流用品だと思うのだ。
アマルナ王家の人々は、いったんはアマルナの都近くの墓地に埋葬されたとされる。具体的にはアケトアテン(アマルナ)の東側の岸壁に掘られた墓穴だ。
都が放棄されて無人になるとき、その墓をいったん開けて、中身を取り出してどこかに移したとされるが、ミイラ候補はあるものの副葬品は見つかっていない。
これらの品がツタンカーメンの墓に転用されていたと考えればどうだろうか。
つまり、ツタンカーメンの墓の副葬品が豪華なのは、他の王のときも常にそうだったのではなく、アマルナ王家の何代かの王の副葬品を一箇所に纏めたせいなのではないのだろうか。
アマルナ王家は彼で断絶することが決まっている。王家伝来の財産があったとして、引き継ぐべき者がいない。ツタンカーメンの妻だったアクエンアテンの王女はまだ生きていたが、王家は男系で「息子から息子へ」と受け継がれていたので、家系断絶と言ってもいい。
だとすると、墓に収める以外の選択肢が無かったのでは、と思うのだ。
副葬品の中にはベッドや椅子のような家具も多いが、実際に王が使ったものだけではなく、アマルナの王宮を引き払うときに持って帰ってきた品を、ぜんぶ総決算的に納めて、王家の記憶そのものを墓に封印したのだと想像すれば納得できる。強引な宗教改革のせいで曰く付きの王家の持ち物だし、放棄されたアマルナの都の残り香のついた遺品は誰も使いたくなかったんじゃないかな…
というわけで、ツタン様の墓の副葬品が豪華なのは、
・曰く付きの王家の品だったので次の王家に引き継がれず精算された結果では
・王家断絶する時に、王家関連の品(未熟児のミイラも含め)は全て、最後の王の墓に入れて封封印したかったのでは
・他の、後継者のいる王は、ここまで色々墓に入れなかったのでは
というのが自分の考えとなる。
もちろん豪華な副葬品はあったんだろうけど、さすがにここまでじゃないだろうなあ。というところ。
墓は死後の安寧を約束する棺であるとともに、封印と忘却の装置でもあると思う。
ことに、後世に名を消される王家の最後の王だったツタンカーメンの場合は、「忘却のため」という意味合いはあっても不自然ではないと思うのだ。