古代エジプトにおける「ホロホロ鳥」、文学表現に見る鳥の位置づけ
コロナ禍の間はみんな気をつけてマスクして、うがい手洗してたのに、その習慣が失われ案の定、世の中は元に戻りましたね。
というわけで「インフルにかからない体質」な中の人、今年も周囲がぶっ倒れてる中で最終防衛線を守ってます。ベテラン勢が三人いないぜイェー! 新卒二人と自分だけで今週耐えるんですか?? マ???
年末休みは…休みは…まだですか…
閑 話 休 題。
というわけで(どういうわけだ)、疲れた時はエジプト成分です。
今日はホロホロ鳥についてである。古代エジプト文学「職業の風刺」、別名「ドゥアケティの教訓」に、「農夫はホロホロ鳥のように嘆く」という表現が出てくる。
ホロホロ鳥は、現代ではナイル上流のスーダンにしかいないが、王朝初期にはエジプトあたりまで野生種がいたと考えられている。
ナカダ2期のパレットには、ホロホロ鳥をかたどったと思われる遺物がある。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/547365


また、ヒエログリフでホロホロ鳥に見えるものがあり、その鳥は古代エジプト語で「ネフ」と呼ばれている、という情報が、「古代エジプトの動物」(六興出版)に出てくる。
現代では家畜化されたホロホロ鳥もおり、主にフランスなどで食べられているが、古代エジプト人は家畜化まではしていなかったと考えられている。理由は、墓の壁画などに登場しないからだ。家禽の飼育シーンでガチョウやアヒルは頻繁に出てくるものの、ホロホロ鳥の群れは出てきていない。従って、たまに捕らえてきて食べるとか、一時期的に飼育していた珍味とかいう扱いだったと思われる。
ただ、ホロホロ鳥自体は見慣れていたのだろう。でなければ、文学作品の中に出てくるとは思えない。
そして「仕事に疲れた農夫の嘆き」という、あんまり美しくなさそうな声。一体どういうことなのか。
参考までに、Youtubeに上がっている動物園のチャンネルでホロホロ鳥の鳴き声。
https://www.youtube.com/watch?v=LGvs5JRC9JM
…どうだろうか。
……これが「農夫の嘆きの声」…。
ホロホロ鳥はホロホロと鳴くからそう名付けられた、なんて話を聞いたこともあるが、全然ホロホロしてない(笑)
グェーギャッギャギャギャ! ギャッギャギャー! ギャギャ鳥じゃねえかこれ?
これはちょっと納得してしまう。忙しすぎて発狂してる時に子どもがジュースとかひっくり返して「あぁー!もー何やってんのー!」ってなる時のやつだわこれ。
で、面白いのは、同じ鳥の鳴き声でも、「鳶」だと美しい嘆きの声になること。
「鳶のように嘆く」とは、オシリス神が死んだ時のイシスとネフティスの嘆きの声の表現になり、葬儀の際の泣き女の声を意味する言葉になるのだ。それなのに、「ホロホロ鳥のように嘆く」だと農夫の日々の苦しみを意味するものになる。
ちなみにヒエログリフではタゲリ(古代語でレキト)は民衆の意味になり、タゲリの声は王を称える民衆の声とされた。鳥によって意味合いが違うのは面白い。
日本でも、鳥の声に特定の意味合いをもたせるとか、何か風情を感じるとかの文化がある。たとえば、「鶴の一声」といわれると、その一声で全てをねじ伏せるような力強さと権威を意味する。また、「夕暮れの雁の声」と言われると、ほぼ自動的に侘しい雰囲気を感じることが出来る。
古代エジプト人も同じように、シチュエーションに応じて、鳥の声に何か特定の感情を抱いていたのかもしれない。
というわけで「インフルにかからない体質」な中の人、今年も周囲がぶっ倒れてる中で最終防衛線を守ってます。ベテラン勢が三人いないぜイェー! 新卒二人と自分だけで今週耐えるんですか?? マ???
年末休みは…休みは…まだですか…
閑 話 休 題。
というわけで(どういうわけだ)、疲れた時はエジプト成分です。
今日はホロホロ鳥についてである。古代エジプト文学「職業の風刺」、別名「ドゥアケティの教訓」に、「農夫はホロホロ鳥のように嘆く」という表現が出てくる。
ホロホロ鳥は、現代ではナイル上流のスーダンにしかいないが、王朝初期にはエジプトあたりまで野生種がいたと考えられている。
ナカダ2期のパレットには、ホロホロ鳥をかたどったと思われる遺物がある。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/547365


また、ヒエログリフでホロホロ鳥に見えるものがあり、その鳥は古代エジプト語で「ネフ」と呼ばれている、という情報が、「古代エジプトの動物」(六興出版)に出てくる。
現代では家畜化されたホロホロ鳥もおり、主にフランスなどで食べられているが、古代エジプト人は家畜化まではしていなかったと考えられている。理由は、墓の壁画などに登場しないからだ。家禽の飼育シーンでガチョウやアヒルは頻繁に出てくるものの、ホロホロ鳥の群れは出てきていない。従って、たまに捕らえてきて食べるとか、一時期的に飼育していた珍味とかいう扱いだったと思われる。
ただ、ホロホロ鳥自体は見慣れていたのだろう。でなければ、文学作品の中に出てくるとは思えない。
そして「仕事に疲れた農夫の嘆き」という、あんまり美しくなさそうな声。一体どういうことなのか。
参考までに、Youtubeに上がっている動物園のチャンネルでホロホロ鳥の鳴き声。
https://www.youtube.com/watch?v=LGvs5JRC9JM
…どうだろうか。
……これが「農夫の嘆きの声」…。
ホロホロ鳥はホロホロと鳴くからそう名付けられた、なんて話を聞いたこともあるが、全然ホロホロしてない(笑)
グェーギャッギャギャギャ! ギャッギャギャー! ギャギャ鳥じゃねえかこれ?
これはちょっと納得してしまう。忙しすぎて発狂してる時に子どもがジュースとかひっくり返して「あぁー!もー何やってんのー!」ってなる時のやつだわこれ。
で、面白いのは、同じ鳥の鳴き声でも、「鳶」だと美しい嘆きの声になること。
「鳶のように嘆く」とは、オシリス神が死んだ時のイシスとネフティスの嘆きの声の表現になり、葬儀の際の泣き女の声を意味する言葉になるのだ。それなのに、「ホロホロ鳥のように嘆く」だと農夫の日々の苦しみを意味するものになる。
ちなみにヒエログリフではタゲリ(古代語でレキト)は民衆の意味になり、タゲリの声は王を称える民衆の声とされた。鳥によって意味合いが違うのは面白い。
日本でも、鳥の声に特定の意味合いをもたせるとか、何か風情を感じるとかの文化がある。たとえば、「鶴の一声」といわれると、その一声で全てをねじ伏せるような力強さと権威を意味する。また、「夕暮れの雁の声」と言われると、ほぼ自動的に侘しい雰囲気を感じることが出来る。
古代エジプト人も同じように、シチュエーションに応じて、鳥の声に何か特定の感情を抱いていたのかもしれない。