KILL数ではなくネームドの首数で勝敗を決めるプレイゲーム「マヤ文明の戦争 神聖な戦いから大虐殺へ」

かつてマヤ文明は、戦争のない平和な文明と言われていたことがある。「星の戦争」は儀式的・スポーツ的なものであまり人は殺していなかった、などの言説が代表例だ。だが、最近の研究では逆に、「めっちゃくちゃ戦争やりまくってた」「都市国家が互いの威厳をかけて定期的に戦争してた」ということが分かってきている。
そのへんの事情を、戦争年代記で紹介する専門書が出ていた。

マヤ文明の戦争: 神聖な争いから大虐殺へ - 青山 和夫
マヤ文明の戦争: 神聖な争いから大虐殺へ - 青山 和夫

最近の研究だと、たとえばこのへんが知られている。マヤ文明の都市間でかなり激しく戦争していたことが分かってきており、武器は貧弱だったが都市に防塁が築かれていたり、戦争で捕らえられたと思われる人物がイケニエとして埋葬されていたりすることも知られている。

マヤ人「街を焼くぞ!」…マヤ文明の衰退に大規模な戦争が関与していた可能性
https://55096962.seesaa.net/article/201908article_9.html

マヤ文明の要塞発見~ライダー技術で見つかったマヤ遺跡が語る歴史とは。
https://55096962.seesaa.net/article/201909article_25.html

で、武器が貧弱だったり、戦争しまくってるわりに死者数が少なかったりするのは、そもそも、戦争のルールが旧大陸とは違うから、である。
あえてゲーム風に説明すると、KILL数ではなく”ネームドキャラ”、王族や貴族を「生け捕り」にすることで勝敗ポイントが加算される。
敵の首魁である王を捕らえられれば一発で終了。大怪我してても構わないので、とにかく生け捕りにして自都市に連行できれば勝ちである。
で、勝ったほうは威信ポイントも加算され、他都市とのやり取りが有利になったり、威信財を多く手に入れられたりするのである。適切な時期を見計らって戦争を仕掛け、周辺都市を出し抜いて所属する都市国家に繁栄をもたらそう!

…うん、なんかこんなゲーム、実際にありそうな気がするな。
ていうか古代メソポタミアのシュメール時代の都市国家の戦争とちょっとやり方は似ている。生け捕りにこだわるところは特徴的だけど、優位に立って他の都市国家を支配下におこうとするあたりは同じ。

なぜKILL数にこだわらないかというと、モブ兵は普段は農民や労働者だからだ。古代世界において労働力は財産と等価である。殺してしまうと、たとえその都市を征服したとしても労働力がなく、畑だけあっても作物を作る人手がない、なんてことになる。また人は、減ってしまうとそう簡単に増えないのも、むやみに殺してはいけない理由である。
マヤの戦争は時代が進むごとに苛烈になっていくが、これは人口が増え、都市国家が過密になったことで、多少殺しても余裕がある状況になったからでは? と思った。

この本では、時代ごとにマヤの戦争の実例や特徴を出してくれており、最後にスペインが攻め込んで来た時の征服戦争の話で終わる。
最後にまとめとして「マヤ人は無駄に人殺しとかしなかったのにスペインは虐殺しやがって」みたいな話が出てくるのだが、ぶっちゃけ残虐さはどっちも同じな気がした。というかマヤの戦争を美化しすぎ。戦争のルールやレギュレーションが違うだけで、「敵をやっつけたるで!」という根本は変わらないからだ。

ていうか、定期的に近くの都市国家に戦争仕掛けてんだから、Civ基準で言うと、全都市国家に交戦ペナルティついてるやつでしょ…。

実際、スペイン侵入前のマヤ文明は、戦争のし過ぎで一時的に衰退してたという話も書かれているので、戦争をせずに都市国家の威信を保つ方法を見いだせなかった時点で文明レベルとしては頭打ちだったのでは。少なくとも、旧大陸では、ガチ殺し合いを繰り返した上で「和平」とか「同盟」とか「休戦協定」とかいろんな手段を生み出していったので、マヤの歴史の先まで行ってたと思う。
新大陸では、旧大陸のように、言語も文化も全く異なる民族とか、ルール無視のガチ蛮族とかが近くにいなかったせいで、確変的な価値観のアップデートや戦争のルール変更が起きなかったのでは。

著者の戦争論にはちょっと疑問符がついたが、戦争記録の紹介自体は面白かった。
この本は、戦略シミュレーションにはまったことのある人にこそオススメしたい。多分、ゲーム知識と重ねると理解しやすいから。