遺跡おさらい本「アンコール・王たちの物語」

シェムリアップに行ってきたので、現地で見た建造物と歴史のおさらいでもするかーと思って図書館にあった本を読んでみた。
いやまあ行く前に読めよって話なのだが、行く前だと頭に入らないんだなこれが。現地で遺跡まわって、なんとなく王名とか地名が分かってから読むとすんなりいく。
ていうか、現地に行ってから読んだからこそ気付いた点もあった。

アンコール・王たちの物語 ~碑文・発掘成果から読み解く (NHKブックス) - 石澤 良昭
アンコール・王たちの物語 ~碑文・発掘成果から読み解く (NHKブックス) - 石澤 良昭

まず、シェムリアップの王権について。
それぞれの寺院を建てた王名は分かっていて「◯世」というナンバリングもされているわりに、どの王が誰の息子とかいう家系図がよく分からなかったのだが、実は、後継者争いを繰り返していて、「アンコール王朝」という括りにも関わらず、父から息子へと王権が渡されていく系統的な王権ではなかったらしい。
ていうか、王が複数立ってた時代もあるようで、なるほど分からんな。という感じ。

カンボジアには文字があり、石碑なども残されているのだが、それだけでは歴史を俯瞰できない。その時々の王が自分に都合のいいことを書いていたり、エジプトでいう「王名表」のような系図も残さなかったらしい。歴史書のほとんどを中国に頼っているというのも問題かもしれない。生没年がよく分からない王も複数いる。
この寺院を建てたのは、この王。とかは分かるのだが、それぞれの繋がりはわりと謎が多い。

あと、アンコールワットの小さい版と言われるバンテアイサムレは、建てた人が王じゃないらしく、目的もよくわかんないらしい。
確かに、あそこだけ、どの王が建てたとも書かれていなかったな…。
アンコール遺跡を中心に、王たちが作った「王の道」=王道が森林に埋もれており、その十字路と言うべき場所に位置する重要な遺跡だったことは間違いないらしい。

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それから、建築に使っているラテライト(紅土)について。寺院は、下地の地面を固めたあと、まずラテライトを積んでから、その上に砂岩を乗っけるのがスタンダードだったらしい。つまり、砂岩しか見えていない遺跡でも、その下にラテライトが隠れているという。
エジプトのピラミッドは、砂地に立てては石の重量で沈んでしまうため、頑丈な岩盤を選んでその上に建てられているものだが、アンコール遺跡の寺院も、地盤のゆるいところに立てると岩の重みで沈んでしまうので、土地を固めて整地する前段が重要だったらしい。

初期に立てたバイヨン寺院などでは、この下地固めが不十分だったようで、すでに歪んでしまった部分もあるという。
見えないところ大事…。

あと、石の転用や盗掘は少ないと思っていたのだが、寺院の外周壁部分は19世紀以降に破壊されたところが多く、その理由が、なんと石と石の間を繋ぐために使われた鉄の杭(千切)を取り出して転用するためだったという。確かに、そのへんに転がってる石にホゾみたいな切れ込み入ってるのがあるなぁとは思ってた。まさかの、石ではなく楔の部分が目的の破壊。これは、石材だけでパズルみたいに組み合わせるエジプトやヒッタイト、マヤやインカといった文化圏からは想像もつかない概念。

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石仏の首が盗られているのは、首だけ売ったり、仏像の胎内に隠された財宝狙いで壊したりした時代があったからだそうで、これは予想の範囲。その手の首持ち去りは日本でも昔はやってたからなあ。賭博の時の願掛けとしてお地蔵さまの首もぎ取る謎の風習とか。


というわけで、改めて色々と隙間的な知識を仕入れることが出来た。

やっぱ東南アジアの遺跡は、西アジアとは基本概念からして全然違うんですよね。同一系統の遺跡ばっかり回っても、概念の違う世界のことは見えてこない。たまにはミリ知らな地域の旅行もいいな、と思いました。うん。
暑すぎるとはいえ寒いよりはマシ(当人比)なので、またいつか、冬にでも別のアジア圏の国に行ってみようかな。