対馬と韓国と憎いアンチクショウ「中世の対馬 ヒト・モノ・文化の描き出す日朝交流史」
対馬で盗まれた仏像が、12年ぶりにようやく二篇に返還されるかもしれない。というニュースが流れていた。
先に返還されたほうの仏像は指先が欠けているなど破損していたうえ、これから戻って来ると思われるほうの仏像も金箔貼りにされそうになっていたくらいなので、無事に戻ってきて元のお寺に納まるまでは気が抜けないなぁと思っている。
あと、そもそも窃盗しといて謝罪も無いあたりでだいぶ心象悪い。
ただ、過去に日本人が詐欺まがいのことやったり、倭寇がめちゃくちゃ沿岸を荒らしまくったりしたのは事実。
500年くらい前はやらかしてたこともある。そこはゴメンナサイしないといけない。
まあでも、それはそういう時代だったからである。ヴァイキングみたいに住み着いた先に国作ったり、大航海時代のコンキスタドールみたいに入植地の先住民全滅させたりしてないんだから、まだ文明的なほうだろうと思う。ていうか、うちのご先祖も倭寇やってたので色々あれがあれでゴニョゴニョ
というわけで、歴史のおさらいがてら、図書館にあった本を適当に読んでみた。
「中世の対馬」という本で、中世=鎌倉時代以降、主に15・16世紀を中心にした、人の流れや物流、文化、統治制度などについての概要である。

中世の対馬 ヒト・モノ・文化の描き出す日朝交流史 (アジア遊学) - 佐伯弘次
対馬は距離で言うと朝鮮半島にちょっとだけ近いのだが、文化的にはずっと日本寄りで、早い段階から防人が置かれていた。
領主が置かれ、日本の統治下にあり、朝鮮半島の政権(高麗など)からすると外国扱い。倭寇という憎いアンチクショウがわらわらやってくる拠点の島でもある。

その倭寇を、どうにかして懐柔しようとしてたけど難しく、一般人のフリして朝鮮半島に移住したのに、実は倭寇の一味で、仲間の手引をしたり近隣を荒らし回ったりする不届きものがいたというので、日本人が朝鮮半島からの締め出しを食らっていた時代もあるらしい。うん、まあ、室町あたりの日本人は…こう…蛮族スキル高いからね。
でもその蛮族パワーがないと独立は保てなかったんだよ。大陸から来る蒙古来襲も蛮族プレイで打ち返してるからね。そういう時代。
対馬から渡って朝鮮半島で士官した日本人が自国側に有利になるよう動いて内通者として処分されたり、対馬の領主が勝手に日本代表のフリして朝廷の文書を偽造して使者を送ったり、わりと色々やらかした話も出てきて、そういえば対馬に行った時の現地の展示ではそのへんがだいぶマイルドになっていたな…? と思い出していた。
冷静になって考えると、国書捏造はだいぶやばいのだが、中央政府も分かっててお目溢ししていたところがあるらしい。
朝鮮半島とは独自の繋がりを持ち、頻繁に人の行き来があり、物資のやりとりもあった。にも関わらず、常に日本に所属しており、島民の自認(アイデンティティ)は日本側にあった。
これはちょっとおもしろい視点だなと思った。おそらく、対馬<>日本の行き来の量のほうが、対馬<>朝鮮半島より多かった&頻繁だった結果なのだと思うが。
この本の中では、仏像の話も最後に出てくる。
対馬の仏像は、日本本土で作られて運ばれたものも多いが、朝鮮半島や中国から運ばれてきたものもかなりある、という。冒頭に書いた、盗まれた仏像も朝鮮半島風のものだ。
ただし、朝鮮半島や中国から運ばれたものが全て倭寇による盗難のはずはなく、商人が運んだ、移住者が持ち込んだ、売買されてきた、など、経路は色々考えられる。そして、たとえ盗まれたものだったとしても、何百年も経っていてはとっくに時効が成立している。当たり前の話である。
対馬の仏像群の特徴を見てみると、朝鮮半島と日本列島の両方の影響を受けてる、中間地域らしい構成になっている。これからも、両者の文化が、”平和的に”共存できる島で在り続けてもらいたいものだ。
先に返還されたほうの仏像は指先が欠けているなど破損していたうえ、これから戻って来ると思われるほうの仏像も金箔貼りにされそうになっていたくらいなので、無事に戻ってきて元のお寺に納まるまでは気が抜けないなぁと思っている。
あと、そもそも窃盗しといて謝罪も無いあたりでだいぶ心象悪い。
ただ、過去に日本人が詐欺まがいのことやったり、倭寇がめちゃくちゃ沿岸を荒らしまくったりしたのは事実。
500年くらい前はやらかしてたこともある。そこはゴメンナサイしないといけない。
まあでも、それはそういう時代だったからである。ヴァイキングみたいに住み着いた先に国作ったり、大航海時代のコンキスタドールみたいに入植地の先住民全滅させたりしてないんだから、まだ文明的なほうだろうと思う。ていうか、うちのご先祖も倭寇やってたので色々あれがあれでゴニョゴニョ
というわけで、歴史のおさらいがてら、図書館にあった本を適当に読んでみた。
「中世の対馬」という本で、中世=鎌倉時代以降、主に15・16世紀を中心にした、人の流れや物流、文化、統治制度などについての概要である。

中世の対馬 ヒト・モノ・文化の描き出す日朝交流史 (アジア遊学) - 佐伯弘次
対馬は距離で言うと朝鮮半島にちょっとだけ近いのだが、文化的にはずっと日本寄りで、早い段階から防人が置かれていた。
領主が置かれ、日本の統治下にあり、朝鮮半島の政権(高麗など)からすると外国扱い。倭寇という憎いアンチクショウがわらわらやってくる拠点の島でもある。

その倭寇を、どうにかして懐柔しようとしてたけど難しく、一般人のフリして朝鮮半島に移住したのに、実は倭寇の一味で、仲間の手引をしたり近隣を荒らし回ったりする不届きものがいたというので、日本人が朝鮮半島からの締め出しを食らっていた時代もあるらしい。うん、まあ、室町あたりの日本人は…こう…蛮族スキル高いからね。
でもその蛮族パワーがないと独立は保てなかったんだよ。大陸から来る蒙古来襲も蛮族プレイで打ち返してるからね。そういう時代。
対馬から渡って朝鮮半島で士官した日本人が自国側に有利になるよう動いて内通者として処分されたり、対馬の領主が勝手に日本代表のフリして朝廷の文書を偽造して使者を送ったり、わりと色々やらかした話も出てきて、そういえば対馬に行った時の現地の展示ではそのへんがだいぶマイルドになっていたな…? と思い出していた。
冷静になって考えると、国書捏造はだいぶやばいのだが、中央政府も分かっててお目溢ししていたところがあるらしい。
朝鮮半島とは独自の繋がりを持ち、頻繁に人の行き来があり、物資のやりとりもあった。にも関わらず、常に日本に所属しており、島民の自認(アイデンティティ)は日本側にあった。
これはちょっとおもしろい視点だなと思った。おそらく、対馬<>日本の行き来の量のほうが、対馬<>朝鮮半島より多かった&頻繁だった結果なのだと思うが。
この本の中では、仏像の話も最後に出てくる。
対馬の仏像は、日本本土で作られて運ばれたものも多いが、朝鮮半島や中国から運ばれてきたものもかなりある、という。冒頭に書いた、盗まれた仏像も朝鮮半島風のものだ。
ただし、朝鮮半島や中国から運ばれたものが全て倭寇による盗難のはずはなく、商人が運んだ、移住者が持ち込んだ、売買されてきた、など、経路は色々考えられる。そして、たとえ盗まれたものだったとしても、何百年も経っていてはとっくに時効が成立している。当たり前の話である。
対馬の仏像群の特徴を見てみると、朝鮮半島と日本列島の両方の影響を受けてる、中間地域らしい構成になっている。これからも、両者の文化が、”平和的に”共存できる島で在り続けてもらいたいものだ。