エジプト語とギリシャ語では「書く」のニュアンスが異なる/両言語が併用されていたプトレマイオス朝エジプトの事情について

プトレマイオス朝時代のエジプトでは、古代エジプト語と古代ギリシャ語が両方使われていた。支配者はギリシャ系の人なのでギリシャ語が第一公用語なのだが、人数敵にはエジプト人のほうが圧倒的に多いのでエジプト語も多く使われている。
両方の言語が書かれていた、ロゼッタ・ストーンを思い出してほしい。土着の住民は変わらずエジプト語だけを使い、ギリシャ系の移住者や最近エジプトに来たばかりの人はギリシャ語だけを使い、長くエジプトに住んでいるギリシャ人や、エジプト人の役人、ギリシャ系とエジプト系の混血の人などは両方を使う。

そんな、両方の言語が入り混じっていた時代、両言語を使える人は、どう使い分け、どう感じていたか、という話。
お題は、紀元前3世紀にエジプトに生きていた、プトレマイオスという人物が、アキレスという人物に宛てて書いた、ギリシャ語とエジプト語のまじった手紙について。名前からしておそらくギリシャ人とエジプト人の混血、もしくはエジプト産まれのギリシャ系住民なのだろうが、手紙の中で、自分の見た「夢」の話をするところだけエジプト語で書いているのである。

ehhh23.png

Written Greek but Drawn Egyptian: Script changes in a bilingual dream papyrus
https://pdfs.semanticscholar.org/2e96/f1e8b4075841e74d2f40b65d08918b328b7a.pdf

これはなかなかおもしろい現象で、夢というアバウトで神秘的な内容を表現するのに、わざわざエジプト語のデモティック(筆記体)を使って書いている。相手も二言語分かる人だったにしても、なぜ夢の部分だけエジプト語なのか。もしかしたら、エジプト語のほうが「神秘的な」内容を表現するのにふさわしかったのでは? という推測も成り立つ。

一つには単語の種類。
英語と日本語を比較すると、日本語じゃないと表現しづらい内容とか概念はある。「わび・さび」みたいな、なんかふわっとした概念は、エジプト語のほうが表現しやすかったのかもしれない。

もう一つは、ギリシャ語はアルファベットなので音でしかないが、古代エジプト語は筆記体でも元が象形文字から派生しているので、視覚に訴える力があるのでは、という話。
これは漢字とアルファベットの違いとして認識すると分かりやすい。spirits と 霊魂 、どっちがより伝えたいニュアンスを表現できるか、という話だ。

二言語併用の時代の、バイリンガルな住民が、こういうこと認識して使い分けていたら面白いと思うし、この先の時代でエジプト語がやたらと呪詛に使われるようになるのとか、ホラポッロの著書で神秘思想を付随されてくるのとかも、もしかしたら「文字の見た目が神秘的」というのが発端にあったのかもしれない。

今夜あなたと呪詛したい。キリスト教時代の「古代エジプト神の出てくる呪詛」についての覚書き
https://55096962.seesaa.net/article/502210615.html


また、ギリシャ語とエジプト語では、本来、筆記具が違っていて、ギリシャ語のアルファベットは「書く」だが、エジプト語は「描く」に近い、という話も出てきていた。この二言語パピルスでは両方の文字とも葦ペンで書いているのだが、本来、エジプト語の部分はイグサの筆を使う。

上が先の尖った葦ペン(Reed)、下が細いイグサの筆(Rush)である。

mwhh.png

このペンの違いは、以前の記事にもまとめた。
葦ペンは先を削って下がらせてカリカリ書く感じだが、イグサの筆は先端部分をほぐしてインクを塗りつけるようにして使う。つまり、万年筆と筆ペンの違いみたいな感覚である。

古代エジプトのペンは「葦」ではなく「イグサ(灯心草)」。日本語使い分けどうしよう…
https://55096962.seesaa.net/article/503941530.html

このペンの違いは筆記具だけでなく書き物をする時のやり方にもあらわれていて、古代エジプトの書記は膝の上に巻物を置いて文字を書くが、ギリシャの書記は小さな木製テーブルの上で書くのが一般的。葦ペンだとペンが固くて尖っているので、ひざの上で書いたら紙にペンが刺さっちゃうのだ。

このように、ギリシャ語とエジプト語では「書く」の概念が異なり、同じ内容を書いても視覚効果が異なっていた。これが、言語の使い分け/用途の差異につながっていったのかもしれない。実際、プトレマイオス朝の文書は、お役所の文書などはほぼギリシャ語、宗教文書などは多くがエジプト語。エジプト語の子孫であるコプト語が宗教的な典礼言語としてしか残らなかったのも、そのへんに最初の理由があるもかもしれない。