「エトルリア人のDNAがアナトリアと関係ある」という本を見つける→たぶん内容古い

いつものように、図書館でごそごそ古い本とかあさっていたところ、「最新の研究ではエトルリア人のDNAがアナトリアと関係あることが分かった。もしかしたら、紀元前1,200年のカタストロフで移住してきたのかもしれない」という内容のものを見つけて、ん…? となった。
最近読んだ別の本では、エトルリア人は土着の民だと結論付けられており、それで決着ついた話のはずだったからだ。

本の出た日付からして古い説だろうなぁと思って調べてみたのだが、やはりそう。2010年くらいを境に、新しい研究によって書き換えられた説だった。

★過去記事でのおさらい

エトルリア人とは、イタリア半島に古代から住んでいた民族。ギリシャ語やラテン語とは全く異なる、インド・ヨーロッパ語族ではない言語を使っていたため、出自が謎とされてきた。だが、実際にはラテン人などとの遺伝的な差異はほぼ無く、むしろインド・ヨーロッパ語族が後から広がって上書きされていく中で、エトルリア周辺の地方だけ元の言語が生き残った、という状況らしい。

ローマに吸収されたイタリア先住民の一つ、エトルリア人について詳しく知れる本
https://55096962.seesaa.net/article/201505article_15.html

現存するエトルリア語の最長テキストがエジプトミイラだった件
https://55096962.seesaa.net/article/201906article_15.html

★古い研究

The Etruscan timeline: a recent Anatolian connection
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2986270/

2008年時点では、ミトコンドリアDNAの比較から、アナトリアの人々とエトルリア人とに繋がりがありそうだという研究が出されている。

★その後の研究

The Origin and Legacy of the Etruscans
https://www.shh.mpg.de/2051535/etruscan-genomes

2021年時点では、イタリア半島の他の地方との差異はなく、エトルリア人のDNA傾向は紀元前1,200年ごろからずっと安定しており、ローマ支配語にはローマの他の地域と同じように、ローマ植民地各地からの移民を少数受け入れているとされている。つまり大規模な移民の存在は想定できず、元々の土着民だという結論。
よそから来たのではなく、もともとそこに住んでた人たちで、むしろインド・ヨーロッパ語のほうが後から広まったのだ。

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言語と民俗学的な特徴、あるいは遺伝的な特徴が一致しないというパターンは、他の地域でも見られる。アナトリア半島だと、ルウィ語、ハッティ語、パラー語など、お互いにほとんど通じない多種多様な言語が話されていながら、物質的には均一で、ルウィ語を話してる人とハッティ語を話してる人で、明らかに文化が違うということが無く、集落跡や遺物からだけだと区別がつかない。

言語=民族、とか、言語=文化という結びつけが無意識の前提として成されるのは現代的な感覚で、古代世界では(そして現代でも)必ずしもそうではなかったと言える。

また、DNAを元にした民族移動や民族の起源に関する研究は、おそらく「次世代シーケンサー」と呼ばれる解析技術が登場してから飛躍的に精度が上がっている。登場したのが2006年あたりで、一般に出回り始めたのが2007年。それから何年かかけて技術がこなれていった結果、ゲノム解析関連の研究が次々出てくるようになったので、2010年あたりが分水嶺になっていると思う。
つまり、それ以前とそれ以降で解析の精度が異なり、今だと、古い時代の遺伝情報もより細かく分析できるようになっているのだ。

なので古代人の遺伝子解析関連の研究は、2010年あたりを境目に、新しい研究が出てないか確認したほうがいいと思う。それ以前の研究だとおそらく情報として古い。