古代エジプトの「穀物倉庫」はどんな感じ? 調べてみたら思いのほかバリエーションが…

まず前提として、古代エジプトは農業国であり、主要な作物は麦(小麦と大麦)である。
収穫は基本的に1年に1回。のちの時代になると、通年で灌漑できるファイユームなど限られた場所でのみ二期作が行われたとされる。つまり、基本的な収穫は1年に1回のみで、その1回ぶんで1年を食いつなぐ必要がある。穀物を、最低でも1年は保存しておける建物は必須なのである。

そして、貯蔵される穀物は大量である。大人ひとりあたりが一年に食べる小麦の量がだいたい200kg弱らしいので、成人が5人いる家族なら、1家族だけで1トン消費する計算になる。実際の古代エジプトは核家族が基本で、子どもは成人したら早々に家を出ることも多かったようなのでそこまではいかないだろうが、一般農家のご家庭だけでもけっこうなスペースが必要だ。

現代なら、貯蔵は卸売に任せておいて、必要な時に必要なぶんだけ買ってくることができるのだが、古代世界ではそうはいかない。必要なぶんは自宅に貯蔵。
10キロいりの米袋が100袋あるところを想像してみてほしい。それが1トンぶんだ。「多いな」って直感で思いますよね。

で、それって、どこにどう貯蔵してたのよ…? というのが、今回の話である。

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というわけで、詳しい資料は見つけた。
見つけたが、500ページあるので読むのが超★大変。中の人が自分に興味あるところだけかいつまんで以下にまとめるが、フルで読みたい人は自分で読んでください。

Grain Storage in Ancient Egypt (2600-1650 BC) Typology and socio-economic implications
https://dspace.cuni.cz/bitstream/handle/20.500.11956/106470/140073202.pdf;jsessionid=D3EEAC2F5528BAC33D59841E92B694ED?sequence=1

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古代エジプトの穀物倉庫といえば、中王国時代に墓の副葬品として作られた、↓この模型のようなたタイプがよく知られている。
これが基本形になる。

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※メトロポリタン所蔵、遺物情報ページはこちら

見ると分かるが、穀物は基本的に建物の上から入れる。階段がついていることが前提である。壁の下の方につけられた、小さな取り出し窓から中身を取り出す、先入れ先出し方式の構造だ。ただ、こうした貯蔵専門の建物を作れるのは、一般家庭ではなく神殿とか、軍事施設とか、王宮とか、常に大人数を抱えて稼働させている施設だけである。

元資料では穀物倉庫のタイプを大まかに3つに分類しているが、「小型のタイプ」と「専用の建物がある大型タイプ」の2種類だけ分かっていればだいたいのところはカバーできるのでは、と思った。以下の分類である。

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メトロポリタンの模型は、専用の建物のある大型タイプ。正方形の部屋がお互いにつながっていて、階段で二階に上がってそこから穀物を部屋に投入する。建物の屋根は平ら。
書記がいっぱいいるのが分かるが、これは運んだ量を記録することが重要だったためだ。おそらく、この専用の建物があるタイプは、税収ぶんの穀物を集める倉庫としても使われていた。だから、誰の農地からいくら穀物が持ち込まれたかの記録が必須だったのだろう。

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考古学資料としては、建物の敷地内の端のほうにある、こういった部屋が該当するだろうと考えられている。穀物倉庫は二階から穀物を投入するのが原則なので、「部屋の中に階段がついている」ことが決め手となっている。

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材質は、日干しレンガや泥。レンガを積み上げて内部に漆喰を塗りつけて防水・防虫しているものが多い。それだけで十分かというと十分ではなく、発掘では、げっ歯類が日干しレンガに開けた穴が多数見つかっていたりするらしいので、穀物のロス量はけっこうあったのでは…という気がする。
またエジプトは乾燥した気候なので湿気はそこまで気にしなしてもいいが、麦穂と一緒に虫が入り込むと阿鼻叫喚の世界となるのは想像に固くない。穀物はきっちり乾燥させ、脱穀してすみやかに収納。あと、一定期間密閉しておけば、穀物が倉庫内の酸素を消費して二酸化炭素を多く出すので虫を殺せるらしい。(ただし穀物の取り出しのために頻繁に取り出し口を開けてしまうと酸素が入る)


続いて、小型のタイプ。これは円筒形またはドーム型のもので、一般家庭やお屋敷のようなところに付随する設備になる。
これも穀物を入れるのは上から。先端の尖ったところがフタになっていて、ここを外して中身を投入する。

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たぶん1-2家族ぶんだけの保管とか、パン屋やビール工房のようなお店で消費するぶんを短期間貯蔵するだけとかなら、これでいけた。

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実際の出土例としては、地下に掘り込んだ竪穴式のものもあるようだが、これは地面の下の涼しさを利用したものかもしれない。
貯蔵には有利だが、中身を取り出すのがちょっと大変。

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というわけで、お役所とかが税となる穀物を集めてたり、王宮や要塞で食料溜め込んでる場合は個別の建物作っていて、一般家庭とかで穀物を貯蔵する場合には、円形の貯蔵庫を作ってた。もっと少量を保存するのなら、専用の構造物はつくらずに、壺やバスケットの中に穀物を入れていた可能性もある。(いわゆる「米びつ」の麦版みたいに)

古代エジプトには木材はほんどないため、これらのサイロに木材が使われている箇所はほとんど無い。また、穀物の運搬に使われたものは食物繊維で作ったバスケットや袋だったらしい。ロバに穀物袋を積んでいる模型も見つかっている。運ぶのが大変なので、穀物は、基本的に消費場所に近くに保存されたと考えられる。つまり街の中で大きめの穀物倉庫がある建物は、パン屋やビール工房、または人のたくさん働いているお屋敷など、穀物消費量の多い場所。

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以上、ざっと内容をまとめてみた。
実際には細かいバリエーションはもっとあるし、貴族の邸宅と思しきものでは穀物倉庫にポルティコ(屋根つきの廊下や前にわみたいなもの)がついているバージョンも一般的だったらしい。また、穀物の点滴であるげっ歯類や昆虫をどう回避していたのかは謎も多い。

が、資料の情報量が多すぎて中の人の理解をちょっと越えてしまったので、そーいうの研究したい人は自分で…読んで…!
軽い気持ちで調べ始めたら想定外に詳細が出てきすぎて追いつけなくなる、古代エジプト史あるある。情報あるところと無いところの落差が激しい…。