下ヌビアにある古代エジプトの要塞:穀物倉庫と兵站について
少し前、古代エジプトの穀物倉庫の構造について調べていた時、下ヌビア(現在のエジプト国境付近から隣国のスーダンにかけての地域)の要塞に付属する穀物倉庫についての記述が沢山出てきた。
ナイル川上流のあまり人の住んでない地域なのでアスワン・ハイ・ダムに水没したもの以外は遺跡の残りが良く、近くに現代の集落などもないので発掘しやすいんだろうなと思ったが、もう一つの理由として、要塞には必ず穀物倉庫が必要だったから、という理由が挙げられるのではないかと思う。
古代エジプトの「穀物倉庫」はどんな感じ? 調べてみたら思いのほかバリエーションが…
https://55096962.seesaa.net/article/510208509.html
当たり前なのだが、要塞に駐留している兵士は農民ではない。自分で食料はつくらない。彼らの食料は全て、畑作ってるとこから運んできたものである。
そして、下ヌビアでは駐留している兵士全員を賄えるほどの畑を作れる土地がない…。
下ヌビアの要塞としてはウロナルティ、ミルギッサ、セムナなどが有名だ。
このへんの地形を見てみよう。ナイル川の流れが岩場で険しくなる第二急湍の付近、現在ではダムに水没しているところの近く。

※ナイルの急湍についての説明は以下
ナイル第二急湍の位置確認
https://55096962.seesaa.net/article/489957395.html
かつての要塞の復元図


現在の写真

うーん!w 畑作れそうな場所とか全然ない、川の両脇は切り立った崖だし砂漠なんで緑もほぼ無いですねぇ…!
これはキツい。
一応、同じナイル川沿いなのでナイルの増水は同じように起きる。
ヌビアでもナイル下流のエジプト本土同様に灌漑システムを作って農業やろうとした形跡は見つかっている。
以下はセムナよりちょっと上流のアマラのあたりで見つかっている土手の痕跡。
ナイル上流、古代の制水設備について。(アマラ・ウェストの調査より)
https://55096962.seesaa.net/article/499733782.html
ただ、遺跡の写真みれば一目瞭然、畑作ろうとしてものの全ては砂に埋もれてしまっている。
もともとの土壌が砂漠すぎるのと、エジプト本土に比べて気候が暑すぎるので、作物の生育効率はどう頑張っても高くはならない。地元の農民も多少はいただろうが、要塞にいたと思われる人数を賄うのは到底ムリだった。
だからこそ、各要塞には穀物の貯蔵に何部屋も割り当てて、多くのスペースを割かざるを得なかったのである。
その穀物は、もちろんエジプト本土からの輸送になる。
「急湍」、つまり流れが急で船で越えられない岩場が途中にあるということは、いったんそこで船からロバなどに積み替え、上流で別の船にまた積み替えるなどの手間がかかっている。
当然、こまめに送るのは難しいし、一気に遅れる量にも限りがあり、場合によっては滞ることもあったはずだ。
下ヌビアの各要塞への兵站は、実はかなり高度な物流管理をして維持されていたんじゃないかと思う。
この下ヌビアの要塞への食料の輸送は、おそらくピラミッドを作っていた時代の労働者に対する配給より難しい。
なぜかというと、ピラミッド建ててる場所は国のど真ん中で、穀物を作っている場所からそう遠くはないからだ。ピラミッドの目の前の首都に余剰作物を集めて、そこから運べばいいだけなので難しくはないし、計算ミスっても取り返しがつく。
はるか南の国境の外側の要塞だと、そうはいかない。
各州から税として徴収した作物をどこかへ集めて、そこから各要塞への割当を計算して順次送り出す。計算ミスったら、兵が飢え死にするか戦線放棄するかして要塞が陥落する。(おそらく末期王朝にエジプトがヌビアの支配を失った理由もそれ。食料の未配が続いた可能性がある)
要塞に備えられた巨大な穀物倉庫は、その倉庫を満たせるだけの余剰作物がエジプト本土にあったことと、倉庫を満たすための物流が維持されていたことを示している。それは古代帝国の栄光の象徴であり、単純に見えて実はかなり高度なことやってた証拠でもあるのだった。
ナイル川上流のあまり人の住んでない地域なのでアスワン・ハイ・ダムに水没したもの以外は遺跡の残りが良く、近くに現代の集落などもないので発掘しやすいんだろうなと思ったが、もう一つの理由として、要塞には必ず穀物倉庫が必要だったから、という理由が挙げられるのではないかと思う。
古代エジプトの「穀物倉庫」はどんな感じ? 調べてみたら思いのほかバリエーションが…
https://55096962.seesaa.net/article/510208509.html
当たり前なのだが、要塞に駐留している兵士は農民ではない。自分で食料はつくらない。彼らの食料は全て、畑作ってるとこから運んできたものである。
そして、下ヌビアでは駐留している兵士全員を賄えるほどの畑を作れる土地がない…。
下ヌビアの要塞としてはウロナルティ、ミルギッサ、セムナなどが有名だ。
このへんの地形を見てみよう。ナイル川の流れが岩場で険しくなる第二急湍の付近、現在ではダムに水没しているところの近く。

※ナイルの急湍についての説明は以下
ナイル第二急湍の位置確認
https://55096962.seesaa.net/article/489957395.html
かつての要塞の復元図


現在の写真

うーん!w 畑作れそうな場所とか全然ない、川の両脇は切り立った崖だし砂漠なんで緑もほぼ無いですねぇ…!
これはキツい。
一応、同じナイル川沿いなのでナイルの増水は同じように起きる。
ヌビアでもナイル下流のエジプト本土同様に灌漑システムを作って農業やろうとした形跡は見つかっている。
以下はセムナよりちょっと上流のアマラのあたりで見つかっている土手の痕跡。
ナイル上流、古代の制水設備について。(アマラ・ウェストの調査より)
https://55096962.seesaa.net/article/499733782.html
ただ、遺跡の写真みれば一目瞭然、畑作ろうとしてものの全ては砂に埋もれてしまっている。
もともとの土壌が砂漠すぎるのと、エジプト本土に比べて気候が暑すぎるので、作物の生育効率はどう頑張っても高くはならない。地元の農民も多少はいただろうが、要塞にいたと思われる人数を賄うのは到底ムリだった。
だからこそ、各要塞には穀物の貯蔵に何部屋も割り当てて、多くのスペースを割かざるを得なかったのである。
その穀物は、もちろんエジプト本土からの輸送になる。
「急湍」、つまり流れが急で船で越えられない岩場が途中にあるということは、いったんそこで船からロバなどに積み替え、上流で別の船にまた積み替えるなどの手間がかかっている。
当然、こまめに送るのは難しいし、一気に遅れる量にも限りがあり、場合によっては滞ることもあったはずだ。
下ヌビアの各要塞への兵站は、実はかなり高度な物流管理をして維持されていたんじゃないかと思う。
この下ヌビアの要塞への食料の輸送は、おそらくピラミッドを作っていた時代の労働者に対する配給より難しい。
なぜかというと、ピラミッド建ててる場所は国のど真ん中で、穀物を作っている場所からそう遠くはないからだ。ピラミッドの目の前の首都に余剰作物を集めて、そこから運べばいいだけなので難しくはないし、計算ミスっても取り返しがつく。
はるか南の国境の外側の要塞だと、そうはいかない。
各州から税として徴収した作物をどこかへ集めて、そこから各要塞への割当を計算して順次送り出す。計算ミスったら、兵が飢え死にするか戦線放棄するかして要塞が陥落する。(おそらく末期王朝にエジプトがヌビアの支配を失った理由もそれ。食料の未配が続いた可能性がある)
要塞に備えられた巨大な穀物倉庫は、その倉庫を満たせるだけの余剰作物がエジプト本土にあったことと、倉庫を満たすための物流が維持されていたことを示している。それは古代帝国の栄光の象徴であり、単純に見えて実はかなり高度なことやってた証拠でもあるのだった。