生きた木に仏の姿を掘る「生き木仏」、聖木信仰+仏教の不思議な融合について
適当に図書館で掘り出して読んでいた本に、目を引く仏像があった。
というか、仏像と呼んでいいのかこれは…?という感じのもので。生きた木の幹にそのまま仏像を掘り込んで、木として生きていながら仏像でもある、という融合した存在である。「生き木仏」というらしい。本のタイトルどおり「ミステリー」な存在だし、そんなものがあると知らなかった。
正直に言うと、ちょっと反則技めいたものに思えて「それ、アリなんだ…」という感じではあった。

ミステリーな仏像 - 本田不二雄
検索で出てくる写真とかを見るとイメージはつくかと思う。
この仏像は木と一体化しているので、木が枯れてしまうと失われ、木が元気すぎても樹皮に飲み込まれて失われてしまう。どうにも不思議な仏像だが、その歴史は古く、奈良時代まで遡るという。
仏教思想の諸行無常にかこつけたもの、というわけではなく、日本古来の神道の思想(樹木崇拝・霊木信仰)と仏教との折り合いをつけるために始まったものではないかという。
だとしたら、「生きた木」と「生きた仏」を合体させた理由も理解できる。死んだ木では意味がない。ありがたい霊樹と仏様を合体させれば、より有り難いものになるという感覚も分かる。ご先祖様めっちゃそういうことやりそう。

なお、生きた木に彫られて木とともに生きているものは少ないが、立ち木のまま彫り出した仏像という意味では「立木仏」という言葉もあり、こちらも霊木信仰と仏教が結びついたものだという。
仏像を木で作る文化ならではの不思議な融合だなと思った。
****
これが仏像を「石で」作る文化圏だとどうなるかというと、多分、こう↓。
少し前にカンボジアのアンコール遺跡に行った時に見かけた光景だが、仏像が長年のうちに木とほとんど一体化して、そのまま信仰対象になっていた。

この地方はアンコール王朝が開かれる以前は樹木崇拝を含む精霊信仰の土地で、あとから仏教やヒンズー教が入ってきて融合したそうなので、日本の場合と状況は似ている。
違うのは、日本の場合は仏像も寺院も木で作るが、カンボジア北部では石で作るということ。仏像を石で作る文化圏だと、木と仏像の融合のサせ方も違うのだ。
仏像を木で作り、霊木信仰があり、その霊木が仏像を彫り込めるほど太くならないと「生き木仏」は作れない。
ということは、そもそも作れる文化圏は狭そうなのだが、中国とかどうなんだろう…というのは、いつか調べてみたい。
というか、仏像と呼んでいいのかこれは…?という感じのもので。生きた木の幹にそのまま仏像を掘り込んで、木として生きていながら仏像でもある、という融合した存在である。「生き木仏」というらしい。本のタイトルどおり「ミステリー」な存在だし、そんなものがあると知らなかった。
正直に言うと、ちょっと反則技めいたものに思えて「それ、アリなんだ…」という感じではあった。

ミステリーな仏像 - 本田不二雄
検索で出てくる写真とかを見るとイメージはつくかと思う。
この仏像は木と一体化しているので、木が枯れてしまうと失われ、木が元気すぎても樹皮に飲み込まれて失われてしまう。どうにも不思議な仏像だが、その歴史は古く、奈良時代まで遡るという。
仏教思想の諸行無常にかこつけたもの、というわけではなく、日本古来の神道の思想(樹木崇拝・霊木信仰)と仏教との折り合いをつけるために始まったものではないかという。
だとしたら、「生きた木」と「生きた仏」を合体させた理由も理解できる。死んだ木では意味がない。ありがたい霊樹と仏様を合体させれば、より有り難いものになるという感覚も分かる。ご先祖様めっちゃそういうことやりそう。

なお、生きた木に彫られて木とともに生きているものは少ないが、立ち木のまま彫り出した仏像という意味では「立木仏」という言葉もあり、こちらも霊木信仰と仏教が結びついたものだという。
仏像を木で作る文化ならではの不思議な融合だなと思った。
****
これが仏像を「石で」作る文化圏だとどうなるかというと、多分、こう↓。
少し前にカンボジアのアンコール遺跡に行った時に見かけた光景だが、仏像が長年のうちに木とほとんど一体化して、そのまま信仰対象になっていた。

この地方はアンコール王朝が開かれる以前は樹木崇拝を含む精霊信仰の土地で、あとから仏教やヒンズー教が入ってきて融合したそうなので、日本の場合と状況は似ている。
違うのは、日本の場合は仏像も寺院も木で作るが、カンボジア北部では石で作るということ。仏像を石で作る文化圏だと、木と仏像の融合のサせ方も違うのだ。
仏像を木で作り、霊木信仰があり、その霊木が仏像を彫り込めるほど太くならないと「生き木仏」は作れない。
ということは、そもそも作れる文化圏は狭そうなのだが、中国とかどうなんだろう…というのは、いつか調べてみたい。