トトメス2世の墓、新たに発見される。(ミイラはもっと前から発見されている) 今までの候補墓、全部ちゃうかったんかい!
年度末ですこんばんは。定時で上がれる日はもうありません。
でも、王家の谷からトトメス2世の墓がついに発見された、というニュースが流れていて、よく分かってない人に適当な解説書かれてイラッとするよりは先に自分で書いといたほうがマシだなと思ったので書いておきますよウフフ。
Long-lost royal tomb of King Thutmose II finally discovered in Luxor
https://english.ahram.org.eg/News/540638.aspx
まず「トトメス2世って誰よ」…ですが、ハトシェプスト女王のダンナです。
これでだいたいの人は分かると思います。
そう、少女マンガでは悪役にされる定番のあの人ですね…。あまり業績が知られていない人で、父との共同統治期間を除くと数年しか単独王位にいなかったので、ちょっと影が薄い。
今まで墓見つかってなかったんだぁ、って中の人ですら思いましたからね…。
で、「王家の谷百科」で見直してみて、思い出したんですよ…
そういや候補の墓が複数あって、どれか分からんって話でしたね?!
今回新しく真なる墓が見つかったってことはつまり、この候補の墓は全部ハズレってことかい!

図説王家の谷百科: ファラオたちの栄華と墓と財宝 - ニコラス リーヴス, リチャード H.ウィルキンソン, 近藤 二郎

ちなKV42は、最近だとトトメス3世の妻のハトシェプスト・メリエトラーの墓だとされてました。たぶん他の墓も別の人に割りあてられてトトメス2世の墓候補が無いなってことになってたんで、今回の墓がすんなり真・トトメス2世墓と認められたんだと思う。
で、今回見つかった真・トトメス2世墓とされるお墓なんですが、どうも埋葬した直後に雨水が流れ込んで崩壊してしまったらしい。現在はこの状態。
うーんボッコボコですね…
まあ、お陰で埋もれた遺物が一部そのまま残って、被葬者の特定につながったみたいなんですけども。

エジプトは雨が降らない国なんですが、水が染み込む土がないため、雨が降るとほんの数十ミリで大洪水が発生するという特徴があります。これはエジプトだけではなく砂漠の国ならどこも同じ。以前フラッシュ・フラッドという現象について紹介したので詳細は以下を参照。
「砂漠では乾きで死ぬ者より洪水で死ぬ者が多い」とまで言われる所以です。特に王家の谷は、狭い谷に水が集中して流れ込むので鉄砲水になりやすいとされます。
雨の降らない国エジプトで頻繁に洪水が起きる理由、ようやく把握
https://55096962.seesaa.net/article/201802article_17.html
ただ、ミイラはこの崩壊した墓の中にはありませんでした。
ていうか現存する古代の王たちのミイラは、ほぼ全てが後世に別の「隠し場所(ロイヤル・カシェ)」にまとめて移されて保管されてたものなんですね。トトメス2世のミイラは1881年に他の多くのミイラとともに隠し場所から見つかってて、現在は新しく出来た「エジプト国立文明博物館」で展示、もとい謁見受付中。
その時点で盗掘によってミイラが損傷したのを修復した痕跡があるので、おそらくこの墓は、盗掘を受けたあと谷の洪水で崩壊して埋もれたんだと思われます。ミイラが運び出されて改装されたのがいつかは分からんですけど、完全に墓が埋もれてからだと取り出せないので、ミイラを取り出したあとさらに崩壊が進んだ、とかかもしれないです。
墓の構図とかはまだ出てきてないので詳細は報告まち。
そして、よく見てほしいのですが、数年しか統治していない王でも墓はそれなりに立派。
ツタンカーメンは幼くして即位したとはいえ、10年近く玉座にあったわけで、ツタンカーメンの統治年のほうがだいぶ長いんですよね。彼の墓がしょっぱい感じなのは、統治が短かったからではない、という話を以前書きましたが、やっぱそうなんですよ。
墓の立派さって、統治年の長さあんま関係ないんですよ。
持ってた権力とか、葬儀を執り行う王家の権力の大きさとかが絡むんですよ…。
ツタンカーメンの在位9年は、他の王に比べて「短くはない」。墓が小さい理由はおそらく在位年の長さではない
https://55096962.seesaa.net/article/494019938.html
というわけで、今のところ分かるのはこのくらいっすかね。
だいぶ埋もれてるのでクリーニング大変そう。
あとついでに書いておくと、トトメス2世がハトシェプストと結婚することによって王になる権利を得た、というのは事実ではないです。
王女が王権を持っていた、というのは既に何十年も前に否定された大昔の説。トトメス2世は下位の王妃から産まれていますが、別にハトシェプストと結婚しなくても皇太子でした。王権を強化する意味で、地位の高い王妃の娘であるハトシェプストを王妃にしたんだろうと言われます。
トトメス2世の後を継ぐトトメス3世も下位の王妃の子どもだし、ハトシェプストの娘と結婚する前に既に王位についてますからね…。
何回も言ってますけど、古代エジプトの王位が女系だったと考えられていたのはだいぶ昔の話で、今は、父から息子に受け継がれていたものというのが定説です。
ミイラからして死亡年齢は25-30歳くらい。即位年はそれほど長くなさそうだけれど、古代世界の平均寿命的に、まあまあの人生だったんじゃないかなあ。
++++++
おまけ
王家の谷の墓マップ&情報はだいたいここ↓に集まってきます。
そのうち今回のトトメス2世の墓もマッピングされるんじゃないかな。
https://thebanmappingproject.com/valley-kings
でも、王家の谷からトトメス2世の墓がついに発見された、というニュースが流れていて、よく分かってない人に適当な解説書かれてイラッとするよりは先に自分で書いといたほうがマシだなと思ったので書いておきますよウフフ。
Long-lost royal tomb of King Thutmose II finally discovered in Luxor
https://english.ahram.org.eg/News/540638.aspx
まず「トトメス2世って誰よ」…ですが、ハトシェプスト女王のダンナです。
これでだいたいの人は分かると思います。
そう、少女マンガでは悪役にされる定番のあの人ですね…。あまり業績が知られていない人で、父との共同統治期間を除くと数年しか単独王位にいなかったので、ちょっと影が薄い。
今まで墓見つかってなかったんだぁ、って中の人ですら思いましたからね…。
で、「王家の谷百科」で見直してみて、思い出したんですよ…
そういや候補の墓が複数あって、どれか分からんって話でしたね?!
今回新しく真なる墓が見つかったってことはつまり、この候補の墓は全部ハズレってことかい!

図説王家の谷百科: ファラオたちの栄華と墓と財宝 - ニコラス リーヴス, リチャード H.ウィルキンソン, 近藤 二郎
ちなKV42は、最近だとトトメス3世の妻のハトシェプスト・メリエトラーの墓だとされてました。たぶん他の墓も別の人に割りあてられてトトメス2世の墓候補が無いなってことになってたんで、今回の墓がすんなり真・トトメス2世墓と認められたんだと思う。
で、今回見つかった真・トトメス2世墓とされるお墓なんですが、どうも埋葬した直後に雨水が流れ込んで崩壊してしまったらしい。現在はこの状態。
うーんボッコボコですね…
まあ、お陰で埋もれた遺物が一部そのまま残って、被葬者の特定につながったみたいなんですけども。

エジプトは雨が降らない国なんですが、水が染み込む土がないため、雨が降るとほんの数十ミリで大洪水が発生するという特徴があります。これはエジプトだけではなく砂漠の国ならどこも同じ。以前フラッシュ・フラッドという現象について紹介したので詳細は以下を参照。
「砂漠では乾きで死ぬ者より洪水で死ぬ者が多い」とまで言われる所以です。特に王家の谷は、狭い谷に水が集中して流れ込むので鉄砲水になりやすいとされます。
雨の降らない国エジプトで頻繁に洪水が起きる理由、ようやく把握
https://55096962.seesaa.net/article/201802article_17.html
ただ、ミイラはこの崩壊した墓の中にはありませんでした。
ていうか現存する古代の王たちのミイラは、ほぼ全てが後世に別の「隠し場所(ロイヤル・カシェ)」にまとめて移されて保管されてたものなんですね。トトメス2世のミイラは1881年に他の多くのミイラとともに隠し場所から見つかってて、現在は新しく出来た「エジプト国立文明博物館」で展示、もとい謁見受付中。
その時点で盗掘によってミイラが損傷したのを修復した痕跡があるので、おそらくこの墓は、盗掘を受けたあと谷の洪水で崩壊して埋もれたんだと思われます。ミイラが運び出されて改装されたのがいつかは分からんですけど、完全に墓が埋もれてからだと取り出せないので、ミイラを取り出したあとさらに崩壊が進んだ、とかかもしれないです。
墓の構図とかはまだ出てきてないので詳細は報告まち。
そして、よく見てほしいのですが、数年しか統治していない王でも墓はそれなりに立派。
ツタンカーメンは幼くして即位したとはいえ、10年近く玉座にあったわけで、ツタンカーメンの統治年のほうがだいぶ長いんですよね。彼の墓がしょっぱい感じなのは、統治が短かったからではない、という話を以前書きましたが、やっぱそうなんですよ。
墓の立派さって、統治年の長さあんま関係ないんですよ。
持ってた権力とか、葬儀を執り行う王家の権力の大きさとかが絡むんですよ…。
ツタンカーメンの在位9年は、他の王に比べて「短くはない」。墓が小さい理由はおそらく在位年の長さではない
https://55096962.seesaa.net/article/494019938.html
というわけで、今のところ分かるのはこのくらいっすかね。
だいぶ埋もれてるのでクリーニング大変そう。
あとついでに書いておくと、トトメス2世がハトシェプストと結婚することによって王になる権利を得た、というのは事実ではないです。
王女が王権を持っていた、というのは既に何十年も前に否定された大昔の説。トトメス2世は下位の王妃から産まれていますが、別にハトシェプストと結婚しなくても皇太子でした。王権を強化する意味で、地位の高い王妃の娘であるハトシェプストを王妃にしたんだろうと言われます。
トトメス2世の後を継ぐトトメス3世も下位の王妃の子どもだし、ハトシェプストの娘と結婚する前に既に王位についてますからね…。
何回も言ってますけど、古代エジプトの王位が女系だったと考えられていたのはだいぶ昔の話で、今は、父から息子に受け継がれていたものというのが定説です。
ミイラからして死亡年齢は25-30歳くらい。即位年はそれほど長くなさそうだけれど、古代世界の平均寿命的に、まあまあの人生だったんじゃないかなあ。
++++++
おまけ
王家の谷の墓マップ&情報はだいたいここ↓に集まってきます。
そのうち今回のトトメス2世の墓もマッピングされるんじゃないかな。
https://thebanmappingproject.com/valley-kings