久しぶりに浅草いったらめちゃくちゃ観光地化していた。が、諸外国の観光地と違うところがあった。それは…
写真はない。
というか観光客めっちゃいて写真とりまくってるところで自分もスマホを出す勇気が出なかった…w
おみやげのあわぜんざいだけ写真あるよ!

というわけで、仕事のついでに、たぶん10年ぶりくらいに浅草を通りかかった。黄金のウ●コが記憶よりちょっと色褪せて、輝きが薄れているような気がしたが、季節が季節なので黄砂のせいとかかもしれない。最後に行ったのは桜の季節、その時もめちゃくちゃ混雑していたのは覚えてるのだが、今回はさらに輪をかけての大★混★雑。
というか、クソデカキャリーをガラガラ引っ張っている海外からの旅行者が多くてびっくりした。浅草ってそんなにホテルいっぱいありましたっけ??
何より、街の雰囲気が若返り、活気に満ちているのに驚いてしまった。
記憶の中の浅草は、何よりも「高齢者や年配のツアー客の好むところ」であった。というか10年くらい前までそうだったのではないかと思う。
おのぼりさんの行くところ、東京の人は敢えて観光とか行かない(というか遠足で行ったりするらしい)という話も聞いていたし、雷門のあたりはなんとなく薄暗い雰囲気というか、空気の停滞している古臭い雰囲気があったように思う。
それが今回行ってみると、ものすごくオシャレなお店が立ち並び、食べ歩き出来るスイーツや和食の店があり、おじいちゃんおばあちゃんの服ばかりおいてあったブティックは垢抜けた和風小物を売り、誰が買うのかよくわからんペナント的なものを売っていた昭和風の土産物屋はかわいい干支グッズやキーホルダーなど若者向けの品を扱う店になっていた。
そして観光客が嬉々としてそれらに群がっていた。
…前回来た時は閑古鳥が鳴いてた商店街が…賑わっていた…。
若い…来てる人がだいたい若い…。むしろ日本の高齢者があんまり居ない…。
人力車の呼び込みも、各国語で楽しそうにやってる。オーバーツーリズムの問題はもちろんあるのだろうが、寂れた高齢者の街よりは今のほうがいいなと自分は思った。死にゆく街よりは全然いい。
そして、もう一ついいなと思ったのが、遠足で来てるっぽい地元小学生の団体がいたことだ。
先生らしい人がパネルを持って生徒たちに街の成り立ちや通りの意味、雷門とは何かを説明していたのだ。
観光地化して、外国人だらけになった古い街は、世界中にある。
だが、それらの街のほとんどは、地元民にとっては金稼ぎの対象でしかなかった。
つまり、地元民は観光しないし、ガイド業をしている人以外、地元民はその街の歴史や由来を詳しく知らないことが多いのだ。
そうなった一つの大きな理由は、観光地化された古い街や遺跡というものに価値をつけたのが「外国人」だったからである。つまり外国人に発見され、外国で価値が宣伝され、研究も外国語で行われているために、地元の人は内容を知ることが出来ない。これはエジプトでは近代まで長らくそうだったし、中南米でもそうだった。
日本の発掘隊がエジプトやペルーで発掘した時、地元民のために説明会を開催して、そんなことをしてくれる外国隊はいなかったと感動された、などという話も聞いたことがあるが、そういう話である。
だが、日本の観光地は違う。ほぼ全て、最初に発見したのは日本人であり、長年その価値を磨いてきたのも日本人自身だ。地元の人がいちばん、その土地の歴史に詳しい。「外国人だけが知る観光地」や「外国人しか行かない観光地」は、おそらくほとんど無い。(外国人だけしか行かないっていうと、ロボットレストランとかニンジャレストランみたいなところくらいかな…?)
地元民に情報が何ら還元されていない、外国人が発見して外国人のために整えられた観光地とは違い、日本の観光地は、地元の人が培ってきた、もともとは日本人のための観光地だった。
そこは大きな特徴だと思うし、地元の人が管理していかない限り魅力や独自性は失われる。
少なくとも海外の、外国人しか興味を示さない観光の街は、なんとなくグローバリゼーションに染まった、金稼ぎの舞台装置でしかないような、ちょっとつまらない街になってしまっているところが多かった。
浅草はまだ、そうではない。そこがいい。地元の小学生が歴史を知り、愛着を持って訪れることが出来るような、そんな一面も継続していってほしい。
今、日本の多くの街が外国人観光客のたくさん訪れる街に変貌しつつある。ニセコ、小樽、日光、鎌倉、京都…いくつかの街は、久しぶりに行ったらなんかよくわからんけどめっちゃ混んでて多国籍語が飛び交う場所になってたりした。
だが、外国人のため「だけ」の街になってはいけない。そうなった瞬間に魅力や独自性は失われる。
あくまで地元民優先で、地元民にとっても愛着の持てる場所であるべきだろう。それが、ひいては街の魅力を継続させることにつながっていくと思うのだ。
というか観光客めっちゃいて写真とりまくってるところで自分もスマホを出す勇気が出なかった…w
おみやげのあわぜんざいだけ写真あるよ!
というわけで、仕事のついでに、たぶん10年ぶりくらいに浅草を通りかかった。黄金のウ●コが記憶よりちょっと色褪せて、輝きが薄れているような気がしたが、季節が季節なので黄砂のせいとかかもしれない。最後に行ったのは桜の季節、その時もめちゃくちゃ混雑していたのは覚えてるのだが、今回はさらに輪をかけての大★混★雑。
というか、クソデカキャリーをガラガラ引っ張っている海外からの旅行者が多くてびっくりした。浅草ってそんなにホテルいっぱいありましたっけ??
何より、街の雰囲気が若返り、活気に満ちているのに驚いてしまった。
記憶の中の浅草は、何よりも「高齢者や年配のツアー客の好むところ」であった。というか10年くらい前までそうだったのではないかと思う。
おのぼりさんの行くところ、東京の人は敢えて観光とか行かない(というか遠足で行ったりするらしい)という話も聞いていたし、雷門のあたりはなんとなく薄暗い雰囲気というか、空気の停滞している古臭い雰囲気があったように思う。
それが今回行ってみると、ものすごくオシャレなお店が立ち並び、食べ歩き出来るスイーツや和食の店があり、おじいちゃんおばあちゃんの服ばかりおいてあったブティックは垢抜けた和風小物を売り、誰が買うのかよくわからんペナント的なものを売っていた昭和風の土産物屋はかわいい干支グッズやキーホルダーなど若者向けの品を扱う店になっていた。
そして観光客が嬉々としてそれらに群がっていた。
…前回来た時は閑古鳥が鳴いてた商店街が…賑わっていた…。
若い…来てる人がだいたい若い…。むしろ日本の高齢者があんまり居ない…。
人力車の呼び込みも、各国語で楽しそうにやってる。オーバーツーリズムの問題はもちろんあるのだろうが、寂れた高齢者の街よりは今のほうがいいなと自分は思った。死にゆく街よりは全然いい。
そして、もう一ついいなと思ったのが、遠足で来てるっぽい地元小学生の団体がいたことだ。
先生らしい人がパネルを持って生徒たちに街の成り立ちや通りの意味、雷門とは何かを説明していたのだ。
観光地化して、外国人だらけになった古い街は、世界中にある。
だが、それらの街のほとんどは、地元民にとっては金稼ぎの対象でしかなかった。
つまり、地元民は観光しないし、ガイド業をしている人以外、地元民はその街の歴史や由来を詳しく知らないことが多いのだ。
そうなった一つの大きな理由は、観光地化された古い街や遺跡というものに価値をつけたのが「外国人」だったからである。つまり外国人に発見され、外国で価値が宣伝され、研究も外国語で行われているために、地元の人は内容を知ることが出来ない。これはエジプトでは近代まで長らくそうだったし、中南米でもそうだった。
日本の発掘隊がエジプトやペルーで発掘した時、地元民のために説明会を開催して、そんなことをしてくれる外国隊はいなかったと感動された、などという話も聞いたことがあるが、そういう話である。
だが、日本の観光地は違う。ほぼ全て、最初に発見したのは日本人であり、長年その価値を磨いてきたのも日本人自身だ。地元の人がいちばん、その土地の歴史に詳しい。「外国人だけが知る観光地」や「外国人しか行かない観光地」は、おそらくほとんど無い。(外国人だけしか行かないっていうと、ロボットレストランとかニンジャレストランみたいなところくらいかな…?)
地元民に情報が何ら還元されていない、外国人が発見して外国人のために整えられた観光地とは違い、日本の観光地は、地元の人が培ってきた、もともとは日本人のための観光地だった。
そこは大きな特徴だと思うし、地元の人が管理していかない限り魅力や独自性は失われる。
少なくとも海外の、外国人しか興味を示さない観光の街は、なんとなくグローバリゼーションに染まった、金稼ぎの舞台装置でしかないような、ちょっとつまらない街になってしまっているところが多かった。
浅草はまだ、そうではない。そこがいい。地元の小学生が歴史を知り、愛着を持って訪れることが出来るような、そんな一面も継続していってほしい。
今、日本の多くの街が外国人観光客のたくさん訪れる街に変貌しつつある。ニセコ、小樽、日光、鎌倉、京都…いくつかの街は、久しぶりに行ったらなんかよくわからんけどめっちゃ混んでて多国籍語が飛び交う場所になってたりした。
だが、外国人のため「だけ」の街になってはいけない。そうなった瞬間に魅力や独自性は失われる。
あくまで地元民優先で、地元民にとっても愛着の持てる場所であるべきだろう。それが、ひいては街の魅力を継続させることにつながっていくと思うのだ。