古代エジプトの武器について:剣は「技術的な理由で」使われなかった、という話
基本事項として、古代エジプトは末期王朝まで青銅器時代である。鉄器の使用は、紀元前1,000年以降に開始される。それまでに使用された鉄は全て隕鉄だ。
エジプトだけでなく、西アジア全般でもそのくらいであり、ヒッタイトだけ先駆けて鉄の使用が盛んだったというわけでもない。なので、それまでの時代の古代エジプトや周辺国との戦争で使われた武器は、全て青銅器までの技術で作られている。
だが、銅製品は鉄と違い、鋳型に流し込んで作るのが基本となる。
そしして大型の金属器になるほど、均等な品質の銅をきっちり固めるのが難しい。
日本の銅鐸について思い出して欲しい。大型のものほど割れやすく、高度な技術を必要とするので残っているものは少ない。残ってても破損している。
青銅製の武器も同じである。特に剣のような大型のものは、作業用ま小さなノミや短剣に比べて高度な技術を要する。
…というか、長らく戦闘に耐えられるほどの強度のある、大型の武器は作れなかった。
なので古代エジプトでは、中王国時代の終わりまで金属の剣は出てこない。
古代エジプトの戦争では剣振り回して戦ってはいけません…槍と弓です…槍を使うのです…あったのは接近専用の短剣だけです…
青銅製のスゴイツヨイ剣も、古代世界ではオーパーツになります…
というわけで実例を見ていきましょう、ドン。
中王国時代までの大型金属武器といえば、やはり斧。そう斧。

※大英博物館の遺物ページ
各所の博物館が何本か所蔵しているず、エジプトのはだいたいこの形。注目してほしいのは、刃と柄の部分のジョイントだ。穴にでっぱりを引っ掛けるフックみたいな構造になっている。
これ、再現すると「打ち付けてる間に外れる」という問題が指摘されていて、事実そうだったと思う。柄の部分の木が折れる、というケースもあっただろう。本質的に、近代戦ほどの耐久性は望むべくもないのだ。
剣については、イタ王女の墓から見つかったものが有名。これは12王朝のものだが、ツタンカーメンの時代のものと形はそれほど変わらない。
接近専用に持っていたものとされ、これより大きい剣は新王国時代になるまで出てこない。つまり、このくらいの大きさの製品が限界。

また、この短剣も柄の部分と刃を固定するのはリベットみたいな部品なので、実戦で何度も使うとここが壊れた可能性がある。
金属製品は総じて高価だった。金属自体もエジプトから遠征して採掘に行かなければならなかったし、作るために燃料が必要だったが、エジプトには木材が乏しい。全軍を武装できるだけの金属は手に入らず、従って、「穂先だけ金属の槍を持つ」とか「前線に出るエリートだけ剣を持つ」とかしていた。最も多く使われた武器は弓と槍である。
弓については、第二中間期に入る頃、アジア系外来人が大量に移住してくるとともに複合弓という新しい技術が入ってきて改良された。剣を含む武器の形もその頃に変化しており、ようやく「剣」と呼べるだけの大型のものが登場するのも、第二中間期以降になる。馬とチャリオットが入ってくるのも同じ時期だ。
なので、「そもそも大型の青銅器を作るには高い技術が必要」「耐久性のある金属武器を作るのは難易度が高い」というのは忘れないようにしたい。古代世界で金属製の剣を使うには、まず技術的な問題をクリアしなければいけないのだ。そして、クリア出来た時代以降でも、資源的な理由で、大量生産は出来なかったのだ。
古来からいるエジプトの神様たちが、戦神でも大型の剣を持っていないのも、そういうこと。
腰につけてるの三角形のナイフだけだからね。しかも金属ではなく石製に見える。神の図像が生まれた当時だと、たぶんあれで精一杯だよ。
エジプトだけでなく、西アジア全般でもそのくらいであり、ヒッタイトだけ先駆けて鉄の使用が盛んだったというわけでもない。なので、それまでの時代の古代エジプトや周辺国との戦争で使われた武器は、全て青銅器までの技術で作られている。
だが、銅製品は鉄と違い、鋳型に流し込んで作るのが基本となる。
そしして大型の金属器になるほど、均等な品質の銅をきっちり固めるのが難しい。
日本の銅鐸について思い出して欲しい。大型のものほど割れやすく、高度な技術を必要とするので残っているものは少ない。残ってても破損している。
青銅製の武器も同じである。特に剣のような大型のものは、作業用ま小さなノミや短剣に比べて高度な技術を要する。
…というか、長らく戦闘に耐えられるほどの強度のある、大型の武器は作れなかった。
なので古代エジプトでは、中王国時代の終わりまで金属の剣は出てこない。
古代エジプトの戦争では剣振り回して戦ってはいけません…槍と弓です…槍を使うのです…あったのは接近専用の短剣だけです…
青銅製のスゴイツヨイ剣も、古代世界ではオーパーツになります…
というわけで実例を見ていきましょう、ドン。
中王国時代までの大型金属武器といえば、やはり斧。そう斧。

※大英博物館の遺物ページ
各所の博物館が何本か所蔵しているず、エジプトのはだいたいこの形。注目してほしいのは、刃と柄の部分のジョイントだ。穴にでっぱりを引っ掛けるフックみたいな構造になっている。
これ、再現すると「打ち付けてる間に外れる」という問題が指摘されていて、事実そうだったと思う。柄の部分の木が折れる、というケースもあっただろう。本質的に、近代戦ほどの耐久性は望むべくもないのだ。
剣については、イタ王女の墓から見つかったものが有名。これは12王朝のものだが、ツタンカーメンの時代のものと形はそれほど変わらない。
接近専用に持っていたものとされ、これより大きい剣は新王国時代になるまで出てこない。つまり、このくらいの大きさの製品が限界。

また、この短剣も柄の部分と刃を固定するのはリベットみたいな部品なので、実戦で何度も使うとここが壊れた可能性がある。
金属製品は総じて高価だった。金属自体もエジプトから遠征して採掘に行かなければならなかったし、作るために燃料が必要だったが、エジプトには木材が乏しい。全軍を武装できるだけの金属は手に入らず、従って、「穂先だけ金属の槍を持つ」とか「前線に出るエリートだけ剣を持つ」とかしていた。最も多く使われた武器は弓と槍である。
弓については、第二中間期に入る頃、アジア系外来人が大量に移住してくるとともに複合弓という新しい技術が入ってきて改良された。剣を含む武器の形もその頃に変化しており、ようやく「剣」と呼べるだけの大型のものが登場するのも、第二中間期以降になる。馬とチャリオットが入ってくるのも同じ時期だ。
なので、「そもそも大型の青銅器を作るには高い技術が必要」「耐久性のある金属武器を作るのは難易度が高い」というのは忘れないようにしたい。古代世界で金属製の剣を使うには、まず技術的な問題をクリアしなければいけないのだ。そして、クリア出来た時代以降でも、資源的な理由で、大量生産は出来なかったのだ。
古来からいるエジプトの神様たちが、戦神でも大型の剣を持っていないのも、そういうこと。
腰につけてるの三角形のナイフだけだからね。しかも金属ではなく石製に見える。神の図像が生まれた当時だと、たぶんあれで精一杯だよ。