エジプト神話には「天候神」がいないのでは…? 雨の降らない国ならではの神話体系について
春という季節は、三寒四温の言葉もあるように「寒い」と「温い」を繰り返す季節である。季節の特性上、雨が降るごとに季節は春へと近づいていくため、「雨が降る」は季節が変わる兆しである。なお、雨が寒いタイミングに降って雪になることを表現した「なごり雪」という言葉もある。
雨が季節の変わり目や春を意味する地域は日本以外にもあちこちにあり、そういう場所では天候神と豊穣神が役割をダブらせていることが多い。
たとえば東地中海のシリア・パレスチナ方面やメソポタミアの神話がそうである。春の嵐と役割をダブらせて、天候神+嵐の神で雷属性や戦争属性を併せ持つこともある。
だが、雨の降らないエジプトには、そもそも雨の神がおらず、天候神も砂嵐の神くらいしかいない。
…と、いうような話を、ずいぶん前に書いた。
「太陽神」とか「天候神」って、場所によって全然意味が違うんやで という話
https://55096962.seesaa.net/article/201608article_4.html
そしてふと思ったのだが、エジプト神話って天候神と呼べる神が居なくないか…?
天候に関わる神が全然いない神話って、実はちょっとめずらしいのではないかと思うのだ。
アフリカ内陸部の神話でも、ステップ地帯なら季節雨はあるので天候に関わる神はいるし、大地の神が豊穣神を兼ねていたりすることももある。
だがエジプトはナイル川沿いの狭い範囲以外はぜんぶ砂漠で大地は豊穣を意味しないので、大地神と豊穣神の役割は別になっている。
豊穣神は沢山いるのだが、彼らは雨とは無関係だし、大地属性もほぼ関係がない。ナイルの増水に関わる神、または農耕関係の神(穀物の種とか)、または家畜の繁殖に関わる神になる。これは、エジプトという風土にとっての「豊穣」が、ナイル川に沿った地域にしか存在せず、川沿いの土地、その土地で行われる農業、および牧畜でしかないことを反映していると思う。
これが、海沿い以外は年間降水量0が当たり前の文化圏、徹底して雨の降らない国での神話体系である。
つまり古代エジプト人は、天気のことでは神に祈らなかったと思われるのである。
日本人の感覚だと、天気は「天の意志」みたいな感じで、お天気ほど日常的に祈る場面が多い事項もあまりない。
遠足や旅行では「晴れますように」と祈り、農業では「雨がふりますように」とか「あまり暑くなりませんように」と祈り、夏や秋には「台風逸れろ」もしくは「台風きて中止になりますように」と祈る。
だがエジプトには雨はふらないし、台風は来ないし、砂嵐はたまに起きるほど強弱の予報とか出来なくて気がついたら空の向こうに嵐の気配がする感じ。基本ずっと暑い気候で冬の朝イチとか以外は夏みたいなものなので、気温に関する祈りも存在しない。雨で突発的な洪水が発生することはあるだろうが、そもそも、その雨も回数は少なく、前降れなく起きるものなので、砂嵐と同じく前もって祈るとかいうものでもない。
古来から、エジプトの住民にとって天候は祈るようなものではない固定の事項であり、彼らにとっての関心事、祈りの対象となり得る自然現象は、やはり、毎年同じ季節に起きる「ナイルの増水」だけだったのだと思う。雨のない国での唯一の生命線はナイル川だったのだから…。
というわけで、エジプト神話の体系では、おそらく、民衆からの祈り、農耕の良し悪しに関する祈り、豊穣神の役割、季節的な祭りなど、他国における天候神の役割を、ナイル川の神たちが担っている。
と、自分は解釈しておくことにしました。
雨が季節の変わり目や春を意味する地域は日本以外にもあちこちにあり、そういう場所では天候神と豊穣神が役割をダブらせていることが多い。
たとえば東地中海のシリア・パレスチナ方面やメソポタミアの神話がそうである。春の嵐と役割をダブらせて、天候神+嵐の神で雷属性や戦争属性を併せ持つこともある。
だが、雨の降らないエジプトには、そもそも雨の神がおらず、天候神も砂嵐の神くらいしかいない。
…と、いうような話を、ずいぶん前に書いた。
「太陽神」とか「天候神」って、場所によって全然意味が違うんやで という話
https://55096962.seesaa.net/article/201608article_4.html
そしてふと思ったのだが、エジプト神話って天候神と呼べる神が居なくないか…?
天候に関わる神が全然いない神話って、実はちょっとめずらしいのではないかと思うのだ。
アフリカ内陸部の神話でも、ステップ地帯なら季節雨はあるので天候に関わる神はいるし、大地の神が豊穣神を兼ねていたりすることももある。
だがエジプトはナイル川沿いの狭い範囲以外はぜんぶ砂漠で大地は豊穣を意味しないので、大地神と豊穣神の役割は別になっている。
豊穣神は沢山いるのだが、彼らは雨とは無関係だし、大地属性もほぼ関係がない。ナイルの増水に関わる神、または農耕関係の神(穀物の種とか)、または家畜の繁殖に関わる神になる。これは、エジプトという風土にとっての「豊穣」が、ナイル川に沿った地域にしか存在せず、川沿いの土地、その土地で行われる農業、および牧畜でしかないことを反映していると思う。
これが、海沿い以外は年間降水量0が当たり前の文化圏、徹底して雨の降らない国での神話体系である。
つまり古代エジプト人は、天気のことでは神に祈らなかったと思われるのである。
日本人の感覚だと、天気は「天の意志」みたいな感じで、お天気ほど日常的に祈る場面が多い事項もあまりない。
遠足や旅行では「晴れますように」と祈り、農業では「雨がふりますように」とか「あまり暑くなりませんように」と祈り、夏や秋には「台風逸れろ」もしくは「台風きて中止になりますように」と祈る。
だがエジプトには雨はふらないし、台風は来ないし、砂嵐はたまに起きるほど強弱の予報とか出来なくて気がついたら空の向こうに嵐の気配がする感じ。基本ずっと暑い気候で冬の朝イチとか以外は夏みたいなものなので、気温に関する祈りも存在しない。雨で突発的な洪水が発生することはあるだろうが、そもそも、その雨も回数は少なく、前降れなく起きるものなので、砂嵐と同じく前もって祈るとかいうものでもない。
古来から、エジプトの住民にとって天候は祈るようなものではない固定の事項であり、彼らにとっての関心事、祈りの対象となり得る自然現象は、やはり、毎年同じ季節に起きる「ナイルの増水」だけだったのだと思う。雨のない国での唯一の生命線はナイル川だったのだから…。
というわけで、エジプト神話の体系では、おそらく、民衆からの祈り、農耕の良し悪しに関する祈り、豊穣神の役割、季節的な祭りなど、他国における天候神の役割を、ナイル川の神たちが担っている。
と、自分は解釈しておくことにしました。