ウマを偵察に使う利点は機動力だけではない。「背の高い生き物の上に乗ると視野が広がる」
古代エジプトには騎兵がいない。
ウマがエジプトに入ってきたのは第二中間期の終わりごろ~新王国時代だが、その頃にはまだ乗馬という技術が発展していないし、鞍もあぶみも発明されていない。
古代エジプトに騎兵はいないが、「もしも馬に乗れる人がいたら」という仮定で話をする
https://55096962.seesaa.net/article/201601article_9.html
という話はもう百回くらいしたと思うのだが、「偵察兵など限られた人がウマを使用していた可能性があるため、乗馬が出来た人はいたのでは?」という言説を、エジプト本で見かけることはたまにある。
その場合、その人が気がついていないことが二つある。
・ウマに乗るためには、ウマに人が乗るための「調教」が必要になる
・無意識にウマに乗って移動することを前提としているが、ウマを物見櫓代わりに使ってる可能性もある
まず、ウマに乗るためには、人を背に乗せて暴れないよう慣れさせる訓練が必要であり、「進め」「止まれ」などの合図を覚え込ませる必要がある。生まれたままのウマでは、人を乗せることすら嫌がる。だから乗馬用のウマはすべて、そのための「調教」を施されている。
犬だって、人間の指示通りに何かさせるためには、指示の内容を理解させ訓練をする必要があるのだ。当然ウマだって何かさせるためには訓練が必要なのだ。
そして、まさにその訓練方法こそ、ウマを家畜化したあと、長い時間をかけて人類が編み出してきたテクノロジーの一つなのである。
一朝一夕にいくものではない。
さらに言えば、古代世界でのウマの利用方法は、一般的には戦車の牽引である。戦車の牽引用の訓練と、人を載せて移動する訓練は違う。つまり、ウマに乗るためには、乗馬用の訓練をしたウマを別に準備しなければならない。人間の乗馬練習+ウマの調教。とてつもなく高コストである。
しかもまだ鞍や鐙もないから、乗りこなすスキルはそうとう難易度高い。
古代世界で実現するためにはかなり特殊な条件が必要になりそうだ。
限られた人が出来た、くらいならまだしも、出来る人がホイホイ出てくるのは流石に現実的ではない。
次に、ウマを連れた斥候が出てきたとして、その斥候はウマに乗って華麗に敵地を駆け抜ける必要はない、ということだ。
ウマは座高の高い生き物なので、連れていくだけで生きた物見櫓として使えるのである。
現代のウマで座高は160-170cmだそうだ。古代のウマがもう少し小型の150cmだったとしても、人間の座高で80cm、ウマの背の高さと足せば2mを越える。古代人の成人の身長は150cmくらいだから、視線が80cmは上がる。これは脚立でいうと、大きめの3段脚立のいちばん上に立つくらいの視線だ。
脚立のいちばん上に立った時、視界はどのくらい広がったかを思い出して欲しいのだ。普段見慣れた風景とは一変していなかっただろうか?
そう、一回乗馬体験とかしてみてもらうと分かるのだが、ウマに乗っただけで、視界は一変するのだ。普段よりずっと遠くまで見渡せることにびっくりするはずだ。
その効果は、ウマよりも背の低いロバよりも大きい。
つまり、乗馬技術の発達は、斥候がウマを使う前提として必須ではない。
最低限、背中に乗っても暴れないくらい慣れさせておけばよく、もし危険が迫った時には人間はウマと並走して逃げればいい。(もしくは、ウマを先に逃がしてあとで呼び戻す。家畜化していれば飼い主のところには戻って来る)
ウマを斥候に使おうと思った最初の人は、ウマの機動力を当てにしていたというより、視界が広がる利点に注目していたのではないかと予想する。
そしてもう一つ、鉄器時代に入っていない紀元前1,000年以前だと蹄鉄もなく、人が乗って移動しているとウマの蹄は割れやすかったのでははないかと思う。
そもそもウマの蹄は草地に適応したものだが、エジプトにしろヌビアにしろ、シリア・パレスチナにしろ、乾燥地帯の土壌は岩石で硬かったり石ころだらけだったりで、ステップ地帯に比べて足に優しくない。たとえ乗馬技術が早く発達した地域があったとしても、鉄器時代に入る以前では、人という重量物を乗せて長距離を移動できたかどうかには疑問符がつく。
自分としては、やはり、乗馬という技術はエジプトでいえば末期王朝以降になるまで(というかペルシア支配まで)は普及しなかった、という説を推しておきたい。
ウマがエジプトに入ってきたのは第二中間期の終わりごろ~新王国時代だが、その頃にはまだ乗馬という技術が発展していないし、鞍もあぶみも発明されていない。
古代エジプトに騎兵はいないが、「もしも馬に乗れる人がいたら」という仮定で話をする
https://55096962.seesaa.net/article/201601article_9.html
という話はもう百回くらいしたと思うのだが、「偵察兵など限られた人がウマを使用していた可能性があるため、乗馬が出来た人はいたのでは?」という言説を、エジプト本で見かけることはたまにある。
その場合、その人が気がついていないことが二つある。
・ウマに乗るためには、ウマに人が乗るための「調教」が必要になる
・無意識にウマに乗って移動することを前提としているが、ウマを物見櫓代わりに使ってる可能性もある
まず、ウマに乗るためには、人を背に乗せて暴れないよう慣れさせる訓練が必要であり、「進め」「止まれ」などの合図を覚え込ませる必要がある。生まれたままのウマでは、人を乗せることすら嫌がる。だから乗馬用のウマはすべて、そのための「調教」を施されている。
犬だって、人間の指示通りに何かさせるためには、指示の内容を理解させ訓練をする必要があるのだ。当然ウマだって何かさせるためには訓練が必要なのだ。
そして、まさにその訓練方法こそ、ウマを家畜化したあと、長い時間をかけて人類が編み出してきたテクノロジーの一つなのである。
一朝一夕にいくものではない。
さらに言えば、古代世界でのウマの利用方法は、一般的には戦車の牽引である。戦車の牽引用の訓練と、人を載せて移動する訓練は違う。つまり、ウマに乗るためには、乗馬用の訓練をしたウマを別に準備しなければならない。人間の乗馬練習+ウマの調教。とてつもなく高コストである。
しかもまだ鞍や鐙もないから、乗りこなすスキルはそうとう難易度高い。
古代世界で実現するためにはかなり特殊な条件が必要になりそうだ。
限られた人が出来た、くらいならまだしも、出来る人がホイホイ出てくるのは流石に現実的ではない。
次に、ウマを連れた斥候が出てきたとして、その斥候はウマに乗って華麗に敵地を駆け抜ける必要はない、ということだ。
ウマは座高の高い生き物なので、連れていくだけで生きた物見櫓として使えるのである。
現代のウマで座高は160-170cmだそうだ。古代のウマがもう少し小型の150cmだったとしても、人間の座高で80cm、ウマの背の高さと足せば2mを越える。古代人の成人の身長は150cmくらいだから、視線が80cmは上がる。これは脚立でいうと、大きめの3段脚立のいちばん上に立つくらいの視線だ。
脚立のいちばん上に立った時、視界はどのくらい広がったかを思い出して欲しいのだ。普段見慣れた風景とは一変していなかっただろうか?
そう、一回乗馬体験とかしてみてもらうと分かるのだが、ウマに乗っただけで、視界は一変するのだ。普段よりずっと遠くまで見渡せることにびっくりするはずだ。
その効果は、ウマよりも背の低いロバよりも大きい。
つまり、乗馬技術の発達は、斥候がウマを使う前提として必須ではない。
最低限、背中に乗っても暴れないくらい慣れさせておけばよく、もし危険が迫った時には人間はウマと並走して逃げればいい。(もしくは、ウマを先に逃がしてあとで呼び戻す。家畜化していれば飼い主のところには戻って来る)
ウマを斥候に使おうと思った最初の人は、ウマの機動力を当てにしていたというより、視界が広がる利点に注目していたのではないかと予想する。
そしてもう一つ、鉄器時代に入っていない紀元前1,000年以前だと蹄鉄もなく、人が乗って移動しているとウマの蹄は割れやすかったのでははないかと思う。
そもそもウマの蹄は草地に適応したものだが、エジプトにしろヌビアにしろ、シリア・パレスチナにしろ、乾燥地帯の土壌は岩石で硬かったり石ころだらけだったりで、ステップ地帯に比べて足に優しくない。たとえ乗馬技術が早く発達した地域があったとしても、鉄器時代に入る以前では、人という重量物を乗せて長距離を移動できたかどうかには疑問符がつく。
自分としては、やはり、乗馬という技術はエジプトでいえば末期王朝以降になるまで(というかペルシア支配まで)は普及しなかった、という説を推しておきたい。