行き過ぎたポリコレ思想からの揺り戻し、今後の考古学関連研究にも影響があるのかどうか

周知の通り、アメリカでは政権交代を機に、少し前まで支配的だったポリコレ的な思想が急速に払拭されつつある。というか弾圧に近い揺り戻しも起きている。
その中で自分が注目しているのが、女性の権利とかフェミニズムに関する思想である。
実は考古学研究では少し前まで、そうした思想を前面に打ち出した研究が目立っていた。おすすめTopicとかにもよく出てたし。

わかりやすい例だと、たとえば、こういうものである。

================
①古代エジプトの女王ハトシェプストに対し、「女性でありながら男性優位の男権社会に果敢に挑戦した女性」のような評価をする

②ヴァイキング時代の女性の墓から剣や盾が出土したことに対し、「女性戦士もいた! リアルヴァルキリー!」と解釈する

③先史時代の女性に狩猟に参加した形跡があることから「男は狩り、女は採集だったわけではない、女性だって戦っていた」と普遍化する
================

どれも実際に、このブログで過去にツッコんだことのある事例であり、ほとんどが、ここ5-6年の話である。
ツッコんだということは、前提に偏った情報の取捨選択があったり、解釈が妥当と思われなかったり、普遍化できるほどの事例ではなかったりしたわけだ。

論文としては査読を通っており、研究内容自体は不適切まではいかなかった。研究者の解釈とか、conclusion以降の部分だけ納得出来なかった、という感じである。
つまり自分からは、時節に則ったウケ狙いの結論を出したように見えていた。
考古学は政治や時事に引っ張られやすいジャンルである。女性の権利に関する内容とか、強い・戦う女性の話題は、まさに「流行に乗った」論文の作り方だと思ったのだ。

なので、これからどう流行が変化していくのかが、実に楽しみなのである。

ハトシェプスト女王の生きていた古代エジプトは、女性にも自立した権利が認められており、財産の相続権があり、訴訟人になって男性を訴えることすら出来たことが分かっている。ファラオが男性でなければならなかったのは、宮司が男性でなければならないのと同じ宗教上の理由からと見るのが妥当だろう。
にもかかわらず、まるで女性が貶められていたように語っていたエジプト学者は、今後もずっとそのスタンスでいくのか?

女性の権力者の墓に剣が納められていたからといって、別にその女性が戦っていた証拠にはならず、単に価値ある家財の一部として埋葬したかもしれない。実際、戦ったとは思われない女性たちの墓にも剣や武具が入っている事例は世界中にある。
にもかかわらず、ヴァイキング時代の女性だけが違うと判断された理由は何なのか。その女性の骨には長年戦闘に携わっていた根拠はあったのか。
そもそもヴァイキング時代は、男がヴァイキング行に出ている間は妻や女性たちが「女主人」として家と農場を切り盛りする文化だったはずなのに、そことの整合性はどう取るつもりだったのか。
今後も同様の埋葬事例が見つかった場合は、全く同じ結論が出されるのか?

そういうところが とても 気になる

……というか、ハトシェプストやネフェルティティについて特定思想に偏ってそうな言説を出した学者さんのことは覚えてるので、今後も物陰から眺めてますよ……?
いやー別に流行りに乗っかって言ってみただけでも別にいいんですけど?
単に流行りに乗ってみただけなのか、本気でそうだと信じていたのか、つまり揺り戻しが考古学研究にも見えるのかどうかは、じっくり経過観察させていただきますね。(にこっ)

5年後くらいが楽しみだな、どういう方向に流れていくのかなー。