アッシリア帝国/アッシュルバニパルによるエラム攻略戦で撒かれた「塩とsihlu」の正体とは。
にくい敵地を攻略したあとに塩を撒く。というとローマによるカルタゴ攻めを思い出す人も多いかと思うが、「塩を撒いた」という描写はアッシリアの記録にもある。おそらく古代世界の常套句みたいなものだったのではないかと思う。
塩作るのも大変なんで、貴重な塩をわざわざ大量に撒くかっていうと…やらんだろうし…。
ただ、このアッシリアの「塩を撒いた」記録には、もう一つ、謎の物質が書かれていた。
「塩とsihlu」を撒いて敵であるエラムの都を荒廃させたことになってるのである。「sihlu」って何やねん。
その謎を探るため、調査班は書架密林の奥へと飛んだ。
*******
まず前提として、この事件が起きたのは紀元前647年頃のこと。アッシリアの王、アッシュルバニパルの治世下での二度目のエラム遠征後の記録である。
この王はエジプトまで遠征してきており、一時エジプトを支配下に置いたこともあるのでエジプトマニア的にはお馴染みの人。
記録では、エラムの主要都市であるスーサ、マダクトゥ、ハルテマシュなどを荒廃させ、「塩とsihlu」を撒き、神像を打ち壊し、財宝を略奪した、となっている。
で、そのsihluって何よ…という話になのだが、結論から言うと、この単語の正体ははっきりしておらず、現在では「何かの植物らしい」「トゲのある植物では?」と言われている。
邦語の本「アッシリア 人類最古の帝国」ではここを「カラシナ」と訳して出しているが、カラシナ=マスタード 説はあまり主要ではなさそう。「トゲのある植物」ではなく「刺激のある植物」と解釈した場合に、候補の一つに上がるのがマスタードのようだ。

アッシリア 人類最古の帝国 (ちくま新書) - 山田重郎
ただ、カラシナってアブラナみたいなやつなので、たとえその種や実を撒いたところで大した損害は出ないだろう。塩と並べて書かれている理由もよく分からない。

そこで、本当に植物の種を撒き散らしたとかではなく、これは、耕作地を荒廃させた=ペンペン草だらけにした、という意味なのでは? という解釈も成されているようだ。
つまり「sihluを撒き散らした」とは、本来なら農地に生えているはずもない食えない草みたいなものだらけになった状態、ちゃんと手入れされている畑なら生えないもの、農業する人がいなくなったために生い茂った状態を意味しているのでは。ということだ。
同時に撒かれた「塩」のほうも同様に、実際に塩を撒いたわけではなく、灌漑水路などが壊されて畑が塩害化したか、塩を吹いたように白くなってしまった状態を指すのではないか、という説がある。
ちなみにこのあたりの地域だと、塩は海辺で水を蒸発させて作るのが一般的だが、エラムの本拠地はイラン高原方面。海沿いから塩を運搬するのも一苦労な場所である。海沿いのカルタゴならともかく、スーサで塩を撒くのはとてもコストがかかるので、どう考えても、実際に撒いたとは考えづらいのだ。
同時に書かれた「sihlu」と合わせて考えるに、農地が荒廃し、まともに作物の育たない状態になったさまを表現したもの、とみなすべきだろう。

この記録のあと、バビロニアと組んでさんざんアッシリアを苦しめたエラムは二度と立ち上がらず、もはや敵では無くなる。
ただし、勝者となったアッシリアの命運も、ここからほんの数十年しか残されていない。
そして荒廃していたスーサには、その後、アケメネス朝ペルシアがやって来る。
未来にいる者からすれば、その100年後とかの歴史ももう答えを知っているのだけれど、当時生きていた人たちからすれば、ほんの数十年後のことであっても見えないし、ヘタしたら自分はもう死んでいる。栄えた故郷を破壊され、雑草だらけにされた人たちからしたら、アッシリアって確実に憎悪の対象だっただろうなあ。
歴史って本で読むと単なる文章なんですけど、その裏にいただろう生きた人間のことを想像してみると、現在進行形で起きてる世界情勢と何も変わらないなって時々思うんですよね。
塩作るのも大変なんで、貴重な塩をわざわざ大量に撒くかっていうと…やらんだろうし…。
ただ、このアッシリアの「塩を撒いた」記録には、もう一つ、謎の物質が書かれていた。
「塩とsihlu」を撒いて敵であるエラムの都を荒廃させたことになってるのである。「sihlu」って何やねん。
その謎を探るため、調査班は書架密林の奥へと飛んだ。
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まず前提として、この事件が起きたのは紀元前647年頃のこと。アッシリアの王、アッシュルバニパルの治世下での二度目のエラム遠征後の記録である。
この王はエジプトまで遠征してきており、一時エジプトを支配下に置いたこともあるのでエジプトマニア的にはお馴染みの人。
記録では、エラムの主要都市であるスーサ、マダクトゥ、ハルテマシュなどを荒廃させ、「塩とsihlu」を撒き、神像を打ち壊し、財宝を略奪した、となっている。
で、そのsihluって何よ…という話になのだが、結論から言うと、この単語の正体ははっきりしておらず、現在では「何かの植物らしい」「トゲのある植物では?」と言われている。
邦語の本「アッシリア 人類最古の帝国」ではここを「カラシナ」と訳して出しているが、カラシナ=マスタード 説はあまり主要ではなさそう。「トゲのある植物」ではなく「刺激のある植物」と解釈した場合に、候補の一つに上がるのがマスタードのようだ。

アッシリア 人類最古の帝国 (ちくま新書) - 山田重郎
ただ、カラシナってアブラナみたいなやつなので、たとえその種や実を撒いたところで大した損害は出ないだろう。塩と並べて書かれている理由もよく分からない。

そこで、本当に植物の種を撒き散らしたとかではなく、これは、耕作地を荒廃させた=ペンペン草だらけにした、という意味なのでは? という解釈も成されているようだ。
つまり「sihluを撒き散らした」とは、本来なら農地に生えているはずもない食えない草みたいなものだらけになった状態、ちゃんと手入れされている畑なら生えないもの、農業する人がいなくなったために生い茂った状態を意味しているのでは。ということだ。
同時に撒かれた「塩」のほうも同様に、実際に塩を撒いたわけではなく、灌漑水路などが壊されて畑が塩害化したか、塩を吹いたように白くなってしまった状態を指すのではないか、という説がある。
ちなみにこのあたりの地域だと、塩は海辺で水を蒸発させて作るのが一般的だが、エラムの本拠地はイラン高原方面。海沿いから塩を運搬するのも一苦労な場所である。海沿いのカルタゴならともかく、スーサで塩を撒くのはとてもコストがかかるので、どう考えても、実際に撒いたとは考えづらいのだ。
同時に書かれた「sihlu」と合わせて考えるに、農地が荒廃し、まともに作物の育たない状態になったさまを表現したもの、とみなすべきだろう。

この記録のあと、バビロニアと組んでさんざんアッシリアを苦しめたエラムは二度と立ち上がらず、もはや敵では無くなる。
ただし、勝者となったアッシリアの命運も、ここからほんの数十年しか残されていない。
そして荒廃していたスーサには、その後、アケメネス朝ペルシアがやって来る。
未来にいる者からすれば、その100年後とかの歴史ももう答えを知っているのだけれど、当時生きていた人たちからすれば、ほんの数十年後のことであっても見えないし、ヘタしたら自分はもう死んでいる。栄えた故郷を破壊され、雑草だらけにされた人たちからしたら、アッシリアって確実に憎悪の対象だっただろうなあ。
歴史って本で読むと単なる文章なんですけど、その裏にいただろう生きた人間のことを想像してみると、現在進行形で起きてる世界情勢と何も変わらないなって時々思うんですよね。