ラムセス大王展に来てる「ヒッタイトの盾の鋳型」は、もしかしたらヒッタイト王女のおつきが持ってきたかもしれないという話
現在開催中のラムセス大王展に来ている品の中に、ヒッタイト様式の盾の鋳型、というものがある。
黄金のジュエリーなど派手な展示品などに比べると地味だし、あまり説明もないのでスルーしている人も多かった印象があるのだが、実はこれ、バックグラウンドを知っているとたいへん興味深い品なのである。図録にもそのへん書いてなくてちょっと勿体ない気がしたので、勝手に追加解説しておく。

まず、出土地のカンティールというのは、古代名でいうとペル・ラメセス(ピ・ラメセス)、つまりラメセス2世の築いたナイルデルタの新たな都のこと。そこから石材を移動させて後世に都が作られたのが現在のタニス。
ラメセス2世はヒッタイトと戦い、その後、和平条約を結んだことで知られているが、和平後にヒッタイト人がまとまってペル・ラメセスに移住してきていたことが伺える。この盾の鋳型も、その移住者の持ち込んだものと考えられる。
では、ヒッタイト人がまとまって移住して来た理由が何なのかというと、ラメセス2世に輿入れした王女のお付きではないか、というのが一つの仮説である。つまり、この盾の鋳型は、王女の護衛が使うために持ち込んだか、現地で作った可能性がある。
第18-19王朝のファラオたちは、政略結婚で外国から王女を嫁にもらうケースが多かった。
以下に少しまとめてある。王女たちは、付き人や護衛、使用人などを、場合によっては数百人も引き連れて輿入れしてきたようなのだ。
第18~19王朝、王宮の中の「外国人嫁」たち~そういや彼女たちってどこ行ったんだろう、、、
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_26.html
ただし、彼女たちは必ずしも王の寵愛を受けるとは限らななかった。
寵愛を失った王妃たちの行き先は、ファイユームにある後宮である。現代でも郊外だが、古代にはさらに輪をかけて「ド田舎」の類だったんじゃないかと思う。ヒッタイトから嫁いだ王女も、最終的にはここに送られただろうと考える学者は多い。
古代エジプトのハーレム遺跡「グローブ」 エジプトの後宮はオープンで明るい。
https://55096962.seesaa.net/article/502866085.html
というわけで、この盾の鋳型は、ヒッタイトからまとまった人数が移住してきた証拠でもあり、条約締結後のエジプトとヒッタイト間の人の行き来を証明するものであるとともに、もしかしたら、政略結婚で輿入れしてきた王女の足取りを追う手がかりの一つでもあるかもしれないのだ。
どんな遺物にも、隠された歴史とロマンがある。それを知っていると、見える世界はきっと別のものになる。
これから展示会に行く人は、この地味な鋳型もよく見てきてください…
黄金のジュエリーなど派手な展示品などに比べると地味だし、あまり説明もないのでスルーしている人も多かった印象があるのだが、実はこれ、バックグラウンドを知っているとたいへん興味深い品なのである。図録にもそのへん書いてなくてちょっと勿体ない気がしたので、勝手に追加解説しておく。
まず、出土地のカンティールというのは、古代名でいうとペル・ラメセス(ピ・ラメセス)、つまりラメセス2世の築いたナイルデルタの新たな都のこと。そこから石材を移動させて後世に都が作られたのが現在のタニス。
ラメセス2世はヒッタイトと戦い、その後、和平条約を結んだことで知られているが、和平後にヒッタイト人がまとまってペル・ラメセスに移住してきていたことが伺える。この盾の鋳型も、その移住者の持ち込んだものと考えられる。
では、ヒッタイト人がまとまって移住して来た理由が何なのかというと、ラメセス2世に輿入れした王女のお付きではないか、というのが一つの仮説である。つまり、この盾の鋳型は、王女の護衛が使うために持ち込んだか、現地で作った可能性がある。
第18-19王朝のファラオたちは、政略結婚で外国から王女を嫁にもらうケースが多かった。
以下に少しまとめてある。王女たちは、付き人や護衛、使用人などを、場合によっては数百人も引き連れて輿入れしてきたようなのだ。
第18~19王朝、王宮の中の「外国人嫁」たち~そういや彼女たちってどこ行ったんだろう、、、
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_26.html
ただし、彼女たちは必ずしも王の寵愛を受けるとは限らななかった。
寵愛を失った王妃たちの行き先は、ファイユームにある後宮である。現代でも郊外だが、古代にはさらに輪をかけて「ド田舎」の類だったんじゃないかと思う。ヒッタイトから嫁いだ王女も、最終的にはここに送られただろうと考える学者は多い。
古代エジプトのハーレム遺跡「グローブ」 エジプトの後宮はオープンで明るい。
https://55096962.seesaa.net/article/502866085.html
というわけで、この盾の鋳型は、ヒッタイトからまとまった人数が移住してきた証拠でもあり、条約締結後のエジプトとヒッタイト間の人の行き来を証明するものであるとともに、もしかしたら、政略結婚で輿入れしてきた王女の足取りを追う手がかりの一つでもあるかもしれないのだ。
どんな遺物にも、隠された歴史とロマンがある。それを知っていると、見える世界はきっと別のものになる。
これから展示会に行く人は、この地味な鋳型もよく見てきてください…