第18王朝の植民地・ヌビアのトンボスでピラミッドに埋葬されたのは誰なのか。着眼点は面白いけど結論はちょっと甘いのでは
ナイル第三急湍にある新王国時代の要塞都市、トンボス周辺の墓を調べたところ、ピラミッド型の墓に埋葬されているのはエリートじゃなさそうだった、という研究。なので「ピラミッド墓は労働者にも使われたのでは」という結論を出している。
まあこれ、だいぶツッコみどころはあるなと思ったんだけど、今後どこかで取り上げられるかもしれないので、先回りして触れておこうかと…。
Daily life in a New Kingdom fortress town in Nubia: A reexamination of physical activity at Tombos
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278416525000133?via%3Dihub#f0025
まず前提として、ナイル川の「急湍」とは川が急流になっているところ。船では越えられない早瀬を意味している。
第一急湍が現在のエジプトの南国境であるアスワン付近。第二急湍はアスワン・ハイ・ダムによって出来たダム湖に沈んでいる。今回の第三急湍は、古代にはクシュ王国のあった場所で、ケルマとトンボスという二つの要塞都市・軍事拠点のある地点になる。
「古代エジプト」の範囲と現代の国境線。ナイル第二急湍の位置確認
https://55096962.seesaa.net/article/489957395.html
トンボスは第18王朝、トトメス1世の時代にクシュの軍勢を退けてこの地を征服したあとに造営が開始されたとされる。以降、エジプトがこの地の支配を失うまで重要な軍事拠点として、エジプト本土から「クシュの王子」とか「クシュ総督」と呼ばれる重要な役職者たちが送り込まれることとなった。
で、今回の研究で扱われているのは、そんな軍事拠点トンボス周辺に作られた墓である。
3つのエリアがあり、中にはピラミッドを伴う墓もある。

これらの墓からは、エジプト本土から来たと思われる人のほかに地元出身者も見つかっている。大半は若い頃から重労働に関わっていた人たちだ。で、エジプト本土なら、一般にエリート層は重労働にはかかわらないのだが、トンボス周辺の墓では、立派な墓に収められた人でも骨に重労働に関わっていた痕跡が見つかるという。
ここから、「ピラミッドは地位の低い労働者の墓に使われることもあったのでは。」という話になっている。
で、ツッコミどころとしては以下。
・新王国時代には、エジプト本土でもすでに一般庶民がピラミッドの付随する墓を作っている(ディル・エル・メディーナの小ピラミッド群)
時代からしても、見た目からしても、トンボスのピラミッド墓は庶民用ピラミッドの系譜では? つまり、「ピラミッドは重労働をしないエリート層のもの」という前提が間違いでは。
・トンボスは軍事基地なんだから軍人しかいないし、エリート層=偉い軍人=重労働はしている のでは? エジプト本土のように座り仕事だけしてるエリート層はほぼ居ないのでは?
・ヌビアには大量の小型ピラミッドが作られているが、後世のメロエ王国のものなどは基本的に支配者層のものなので、ヌビアの地元民のにおけるピラミッドの概念もエジプト本土と同じ「えらい人の墓」だったはず
・ピラミッド周辺に庶民の墓を作るのは古王国時代のギザのピラミッドからしてそうなので今さら言う必要もない
・エジプト本土とトンボスでは埋葬の傾向が違う可能性があるので、この地点での発見をピラミッド全般に適用するのは不適切
…うん、あれだ、なんかざっと書いたけど結構いっぱいあるな…。
まあ、というわけなので、着眼点としては面白いんだけど、ちょっと結論部分の作り方が上手くいってないなーという印象。話題になりそうな方向に持っていこうとして失敗したのかな…。
ヌビアに作られたエジプト植民地の埋葬文化と本土の違いとか、のちにヌビアに大量に作られる土着民による小型ピラミッド文化とのつながりで書いたほうが良かったんじゃないかと思います。
余談ですが、スーダンは内戦がバチクソに継続中で、つい最近ようやく政府軍が首都を取り返したとかいうニュースも流れていました。
まあ首都が係争地な時点で、観光なんてとても行けるわけないんですよ。
いつかメロエのピラミッド群を見に行きたいんだけど、行ける日はいつになるのか。ただでさえ盗掘で破壊されまくってたのに、この内戦で監視が行き届かないうちに、また破壊が進んでそうで怖いなあ。
まあこれ、だいぶツッコみどころはあるなと思ったんだけど、今後どこかで取り上げられるかもしれないので、先回りして触れておこうかと…。
Daily life in a New Kingdom fortress town in Nubia: A reexamination of physical activity at Tombos
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278416525000133?via%3Dihub#f0025
まず前提として、ナイル川の「急湍」とは川が急流になっているところ。船では越えられない早瀬を意味している。
第一急湍が現在のエジプトの南国境であるアスワン付近。第二急湍はアスワン・ハイ・ダムによって出来たダム湖に沈んでいる。今回の第三急湍は、古代にはクシュ王国のあった場所で、ケルマとトンボスという二つの要塞都市・軍事拠点のある地点になる。
「古代エジプト」の範囲と現代の国境線。ナイル第二急湍の位置確認
https://55096962.seesaa.net/article/489957395.html
トンボスは第18王朝、トトメス1世の時代にクシュの軍勢を退けてこの地を征服したあとに造営が開始されたとされる。以降、エジプトがこの地の支配を失うまで重要な軍事拠点として、エジプト本土から「クシュの王子」とか「クシュ総督」と呼ばれる重要な役職者たちが送り込まれることとなった。
で、今回の研究で扱われているのは、そんな軍事拠点トンボス周辺に作られた墓である。
3つのエリアがあり、中にはピラミッドを伴う墓もある。

これらの墓からは、エジプト本土から来たと思われる人のほかに地元出身者も見つかっている。大半は若い頃から重労働に関わっていた人たちだ。で、エジプト本土なら、一般にエリート層は重労働にはかかわらないのだが、トンボス周辺の墓では、立派な墓に収められた人でも骨に重労働に関わっていた痕跡が見つかるという。
ここから、「ピラミッドは地位の低い労働者の墓に使われることもあったのでは。」という話になっている。
で、ツッコミどころとしては以下。
・新王国時代には、エジプト本土でもすでに一般庶民がピラミッドの付随する墓を作っている(ディル・エル・メディーナの小ピラミッド群)
時代からしても、見た目からしても、トンボスのピラミッド墓は庶民用ピラミッドの系譜では? つまり、「ピラミッドは重労働をしないエリート層のもの」という前提が間違いでは。
・トンボスは軍事基地なんだから軍人しかいないし、エリート層=偉い軍人=重労働はしている のでは? エジプト本土のように座り仕事だけしてるエリート層はほぼ居ないのでは?
・ヌビアには大量の小型ピラミッドが作られているが、後世のメロエ王国のものなどは基本的に支配者層のものなので、ヌビアの地元民のにおけるピラミッドの概念もエジプト本土と同じ「えらい人の墓」だったはず
・ピラミッド周辺に庶民の墓を作るのは古王国時代のギザのピラミッドからしてそうなので今さら言う必要もない
・エジプト本土とトンボスでは埋葬の傾向が違う可能性があるので、この地点での発見をピラミッド全般に適用するのは不適切
…うん、あれだ、なんかざっと書いたけど結構いっぱいあるな…。
まあ、というわけなので、着眼点としては面白いんだけど、ちょっと結論部分の作り方が上手くいってないなーという印象。話題になりそうな方向に持っていこうとして失敗したのかな…。
ヌビアに作られたエジプト植民地の埋葬文化と本土の違いとか、のちにヌビアに大量に作られる土着民による小型ピラミッド文化とのつながりで書いたほうが良かったんじゃないかと思います。
余談ですが、スーダンは内戦がバチクソに継続中で、つい最近ようやく政府軍が首都を取り返したとかいうニュースも流れていました。
まあ首都が係争地な時点で、観光なんてとても行けるわけないんですよ。
いつかメロエのピラミッド群を見に行きたいんだけど、行ける日はいつになるのか。ただでさえ盗掘で破壊されまくってたのに、この内戦で監視が行き届かないうちに、また破壊が進んでそうで怖いなあ。