著者の”立場上の言い訳”が面白い。「ファラオ 古代エジプト王権の形成」

本屋を通りかかったら新刊コーナーにエジプト本があったので、流れるように(以下いつもの)
正直、この本は普通のエジプトマニアも初心者にもオススメしない。記述の甘いところが多いのと、これは間違えてるでしょ的な内容もあるのと、自分の専門外はひたすら「xx氏の研究では…」を書き連ねた薄味で、よく知ってるマニアにはあんま面白くないだろうなあと思うからだ。

ファラオ ――古代エジプト王権の形成 (ちくま新書) - 馬場匡浩
ファラオ ――古代エジプト王権の形成 (ちくま新書) - 馬場匡浩

ただし、性格の悪いエジプトマニアとか間違い探しのしたい人、先王朝時代のビール工房についての情報が欲しい人なら楽しめるかもしれない。そう、私みたいな。
この著者はヒエラコンポリスでビール工房の発掘をしていた人で、先王朝時代あたりが専門のはずだ。なので第二章のその部分だけは生き生きとして描写があり、資料も揃っている。

(というかビール工房跡の資料だけならインターネット上にもあるが)
(以前取り上げた記事はこちら)

エジプト・王朝成立以前の食品加工工場跡の発掘/HK11C
https://55096962.seesaa.net/article/201404article_5.html

で、それ以外のところは、当たり障りのないことを書こうとして纏まりが悪くなっているか、「xx氏/先生はこう言ってた」という他者に責任転嫁した逃げ腰の書き方か、出典なしウロ覚えを疑う内容か、出身大学のポジションに起因する言い訳めいた独自説である。

全般的に、タイトルとなっている「王権の形成」に関する本としては力不足。そこまでの内容は語れていない。
まず、古代エジプトのファラオの起源をナカダ期に求めること自体が私としては解釈違いである。

ナイル川沿いの文明の担い手たちは、気候変動でサハラが砂漠化したことによって水のある場所に移動してきた人たちである。移動元はナイル上流のアフリカ内陸部またはナイルの西方とされる。とくに、ナイル西方の砂漠には、初期王朝時代のファラオの描写に似た人物像や、セト神のような特殊な神、動物の中に神聖を見出していた形跡があり、信仰や王権の成立について語るなら、ここからスタートするのが妥当だと思う。

エジプト文明の源流を探して。西方砂漠に残された壁画の研究から
https://55096962.seesaa.net/article/202201article_3.html

つまりナカダ期だとスタート地点としては遅すぎる。そこも経由地としては間違ってないんだけど、すでに「首長」から「王」へ、概念の転換が完了してる可能性がある。
というか時代ごとの王権の違いに関する言及が弱すぎて、タイトル詐欺に近い。

新王国時代とかプトレマイオス朝まで話を飛ばすんじゃなく、初期王朝成立までの間をじっくり書けば、本のタイトルに一致する内容になったんでは。一般人に売れる内容にしようとして広く浅く手を出した結果、著者に書ける内容とタイトルや本の趣旨がちぐはぐになって失敗してる感じの本だと感じた。


また、この先生は私が散々ツッコみまくってきた「ピラミッドは墓ではない」説を推す人の弟子なので、どれだけツッコみどころがあろうとも、「ピラミッドが墓である可能性はあるが、ギザの大ピラミッドは違うかもしれない」と言い続けなければならない立場にある。
こっちも分かってて読んでいるので、「いつ言い訳くるかな…いつ来るかな…おっ、今回は最後に入れてきたかぁ~ウフフ♥」くらいの感じ。

ピラミッド公共事業説とか、農閑期建造説とは否定してきたし、ピラミッド内部から実際に遺体が見つかってる事例も出してきた。でもクフ王のピラミッドだけは捨てられない。
今回は「でもクフ王のピラミッドは構造が特殊だし、中から遺体とかは見つかってないから、このピラミッドだけは墓じゃないかも…!」みたいな感じで出してきてて、あーね、うん。恩師がクフ王の墓は別にあるとか言ってクラファンしてるから、表立って否定するわけにもいかないんですよねご苦労さまです~。って感じで読み流していた。

最初に「性格の悪いエジプトマニアとか間違い探しのしたい人」にはオススメと書いたが、このへんの裏事情を察した上でニチャア…ってしながら読むぶんには面白いかもしれない、という意味である。

まあ、墓として使われてるピラミッドが複数あって、後世に至るまでピラミッド=墓として使われてる事実から見るに、そんな苦しい言い訳する必要もないし、「ピラミッドは墓ではない!」って騒いでいるのは、実質一人だけなんですよ。
議論にもならない。
論文出して世に問えるほどの根拠もない。
「権威」と名乗る人の説に拘泥してる立場で「本物の考古学」とか言われても、「…皮肉かな??」って思っちゃうので、さすがにそろそろ親離れして欲しい。

本って一回出しちゃうと数十年後でも残りますけど、本当にこの内容でいいんです…?


*****

というわけで細かいところのツッコミいきます。
ざっと読んで「ん?」って思ったとこだけなんで、もしかしたら他にもあるかもしれないけど。

P51
王家の娘は王以外と結婚してはならないという原則
→第18王朝では王女が近親婚することは多かったようだが、王位の継承に王女との結婚は必要がない。皇太子の称号は常に王子たちに引き継がれていたし、王と結婚していない王女も多数いる。(というか王女たちが誰と結婚したのかあまり記録がないので分からない)
分かっている一部の例だけで王女との結婚が重要だったとされていた時代もあったが、古い説である。

アメンの神妻が力を持っていたのはあってるが、そもそも王家の女性たちが力を持っていたのは古王国時代からなので、王族女性が力を持っていたことと女性ファラオの出現を結びつけて論じるのは不適切と思われる。

P68
ツタンカーメンの死因に先天的な足の疾患が関係しているという説は見たことがない。そもそも足に疾患があったかどうかすら確定しておらず、足の骨に異常が見られるのはミイラ発見時に履いていた黄金のサンダルが樹脂でくつっていていたため、それを引っ剥がすのにバーナーを使ったせいではないかという説もある。墓から杖が沢山見つかっているので足が悪かった可能性はあるが、歩けないほど悪い状態だったとか、死に至るほどの状態だったとは思えない。

マラリアの感染についても、ミイラから抗体が見つかったことが根拠だが、抗体がある=治癒したあとでは? と言える。川沿いに暮らしていた古代エジプト人は、一生に一度くらいはマラリア感染する可能性が高かったのだ。ありふれた病とも言える。

この本に書かれていない死因の有力候補として上げられているものの一つが戦車から落ちるなどの事故で、これはミイラから肋骨の多くが取り除かれていたことによる。
いかんせん三千年以上も前の人の死因特定になるので、はっきりしないほうが当たり前であり、謎といえば謎だが、存在しない謎を作り出すのは話が違う。

P82
クレオパトラはヒエログリフを理解出来た→「エジプト語」の間違いだと思う。これは話し言葉としてのエジプト語を指す。
ヒエログリフ=神殿の壁に刻まれた聖刻文字。書類などに使う書き文字とも違う。クレオパトラが神官たちくらいしか使わない聖刻文字だけ理解出来たとは考えにくい。

P85
クレオパトラの自殺がヘビによるものとするのは後世の創作で、これを考古学者や歴史家がマジメに信じる/書くのはちょっと…。
実際、ほぼムリなので…。

コブラの毒は意外と死ねない…クレオパトラの本当の死因は「不明」だよという話
https://55096962.seesaa.net/article/501874418.html

P154
即位に「王家の女性と結婚すること」とあるが、P51へのツッコミと同じく、その条件は存在しない。
ファラオの神性は即位してはじめて獲得できる、と述べているが、この概念が本の主題であるファラオの起源から存在するものとは思えない。少なくとも古王国時代にはファラオの「血統」自体が神聖視されていた傾向が見られるのだが、著者自身も本のテーマと、いまどの時代の話をしてるかの概念が抜けてるような…。

P212
ミイラの語源について、日本語の「ミイラ」は、瀝青を語源とする英語の「マミー」とは別系統で、没薬=ミルラを語源としたものだ、と書かれているが、これは正確ではない。
そもそも日本語の「ミイラ」の元は中国語の「木乃伊」で、言葉が渡来した時点の読み方は「モミイ」である。つまり、英語のマミーと同じ、瀝青を語源とする言葉だった。
ミイラと呼んでいたのは没薬のことで、もともと木乃伊とは関係なかったものが、ミイラの原料に没薬もあったために両者が混じった、というのが正確な経緯となる。
つまり日本語の「ミイラ」の語源に没薬があるのは事実だが、それだけではない、ということである。でないと「ミイラ」の漢字表記が「木乃伊」であることの説明がつかない。

このへんは、だいぶ前に調べてまとめた。
http://www.moonover.jp/bekkan/mummy/1.htm

P228
ジェル王のミイラ化された腕について書かれているが、ジュエリーが女性モノなので王妃の腕だったのでは? という説が現在では有力だと思う。
ジュエリーだけ残して腕は捨てられてしまったので証明出来ないところだけはネック。

P250
一般的に「エジプト最初の考古学者」と呼ばれるのはトトメス4世ではなく、ラメセス2世の王子カエムワセト。