エジプト神話の世界は二元論、秩序「マアト」に対抗する概念「イセフェト」とは

エジプト神話の世界観、古代エジプト人の見ていた世界は、基本的に二元論的な世界である。
「昼」と「夜」、「天」と「地」、「男」と「女」、「生」と「死」。
国土は川沿いの「神々に守護された土地」であり、それ意外の砂漠は「守護なき土地」と考えられていた。

そして世の中は建前上、「善」と「悪」に分かれるものとされ、善を代表する概念が「マアト」。
この言葉/神格は、現代の言葉では「秩序」「正義」「真実」などに翻訳されるが、古代エジプト人にとっては「在るべき好ましいもの」くらいのイメージだったかもしれない。

で、「マアト」に対抗する概念が「イセフェト」である。
「善」に対して「悪」、「秩序」に対しては「無秩序」、「正義」に対しては「不正義」というふうに、反転した意味を包括した概念で、「在ってはならない、在るべきではないもの」という概念になる。

在ってはならないものなので、いちおう神格化はされていて概念としても言及はされるのだが、図像として現れることはなく、墓や神殿などに刻まれることもほぼ無い(というか、もしかしたら正式に登場することは無いかもしれない)。

ただ、対抗概念なのに何故か性別が同じであることが昔から気になっていた。
神話上、対になる存在は基本的に男女のペアであることが多い。天=ヌトは女性、地=ゲブは男性、とか。実際、マアト(真実)とゲレグ(虚偽)を対にする場合、ゲレグは男性である。

性別が同じな場合は、同一の存在の分身扱い、または同格の存在の異なる位相とする時などだ。
たとえば、太陽ラーは男性、月も男性でコンスまたはトトだが、月は「夜の太陽」「銀の太陽」と呼ばれる。つまり太陽の代理で同格。
東を意味するイアベテト、西を意味するアメンテトはどちらも女性だが、この二神は対になる神ではなく「四方の守護神」という大きな神格の中の二柱。
この考え方でいくと、「マアト」と「イセフェト」は同一の神格で、表と裏の関係ではないかと思う。

これを裏付けるのが、「マアトがいなくなるとイセフェトがあらわれる」という言い回し、ナイルの増水が起きなくなるのは「マアトが去りイセフェトが現れたせい」という神話である。何らかの理由でマアトが逆転して黒化、じゃなかった裏人格になると、イセフェトになるのでは…。

だとすると、歴代の王たちがマアトを維持するために儀式を行っていたことは、タタリ神化すると世界を滅ぼしかねない女神を「善」の表面に留めるためで、マアトが失われ無秩序な状態になるというのは、マアトが消えるというよりイセフェトに変異してしまうという概念だったのでは。

これは、想像するとめちゃくちゃ怖い設定である。
エジプト人にとっての「マアト」、あるべき世界の秩序とは、ナイルの増水が規則正しく起きることもそうだし、太陽が毎朝、東から昇って西に沈むこととか、海の方角から風が吹くこととか、そういう日常すべての「当たり前」の出来事を含むからだ。マアトが失われると、太陽が昇らない日が来るかもしれず、ナイルの水が失われたり増水が起こらなくなったりして人が住めなくなるかもしれない。また逆に、とんでもない増水が来て集落がぜんぶ水没するかもしれない。
まさに世界の終わりである。絶対に引き起こしてはならない事態だったはずだ。

たぶん、マアト女神はエジプト神話上の隠しボスなのだ。

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なお、混沌の概念を表すものとしては、大蛇アポピス(アペピ)も存在するが、アポピスは基本的に冥界からでてこられないし、セト神など戦争の神だあれば倒せるので、イセフェトよりは怖くない。たぶん。