ラメセス2世の葬祭殿「ラメセウム」から「生命の家」が見つかる。要するに古代の”大学”。
エジプトのテーベ対岸にあるラメセウムから「生命の家」が見つかったよというニュースが流れていた。
生命の家ってなんだよ…という話しから説明すると、古代エジプトにおける「大学」である。「生命の家」という言葉は、古代エジプト語の名称「ペル・アンク」の直訳。神殿に付随する施設で、天文学、薬学、古典、地理、倫理など高度専門領域の知識を学ぶための教育機関であり、新王国時代には書記学校も併設されていた。
「生命の家」が存在した記録はメンフィス、アビドス、コプトスなど主要な大神殿に残っているが、実物はあまり発見されていない。それが今回、実際にその教育施設で使われていた教材と一緒に見つかった、という話である。
‘House of life’ filled with educational artifacts discovered at the Ramesseum in Luxor
https://archaeologymag.com/2025/04/house-of-life-discovered-at-the-ramesseum/
で、ラメセウムについてだが、これはラメセス2世の葬祭殿で、ラメセス2世のお墓と対になる礼拝施設である。死せる王が神(オシリス)になったあと、その王=神を礼拝するための神殿で、なので入口にはオシリスと合体したラメセス2世の巨像が立っている。
https://exploreluxor.org/ramesseum/

今は中心部分しか残っていないのだが、実はここ、プトレマイオス朝以降、ローマ支配時代にかけて、石材を再利用するための採石場扱いされていたのだ。
テーベ西岸には他にも多くの葬祭殿が存在するが、そのほとんどは原型を留めていないか、近代になって復元されたもの。ラメセウムはまだ残りがいいほうと言える。
で、このラメセウムの発掘は過去に何度か行われており、書記学校の跡までは見つかっていた。なので生命の家も多分あったんだろうな、と言われていたのが、今回場所が特定できて、確かにあったと分かったんだろうと思う。長らく首都だったテーベの近くに書記学校に高度教育施設もあったのなら、神官たちだけでなく、貴族の子弟なども学んでいたに違いない。
また神殿の地下からは、オリーブ オイル、蜂蜜、脂肪、ワインなど高級品を貯蔵していた痕跡も見つかったようで、かなりの財産を蓄えていたことが伺えるという。
ラメセウムはかなりの巨大な神殿だが、書物の家と呼ばれる図書館や医療施設、織物や石工などの工業施設も併設されていたと考えられており、地方都市におけるゆめタウンとかイオンなみの中心的複合施設だった可能性がある。
第三中間期までは施設が稼働していた形跡があるので、寂れたのはおそらくそのあと。

少し前の本だとこんな感じで、構造がだいぶアバウトな表記なので、これが細かくなって出てくるなら嬉しい。
「生命の家」作るなら図書館の横あたりか…? 報告資料…お待ちしてますね…。
生命の家ってなんだよ…という話しから説明すると、古代エジプトにおける「大学」である。「生命の家」という言葉は、古代エジプト語の名称「ペル・アンク」の直訳。神殿に付随する施設で、天文学、薬学、古典、地理、倫理など高度専門領域の知識を学ぶための教育機関であり、新王国時代には書記学校も併設されていた。
「生命の家」が存在した記録はメンフィス、アビドス、コプトスなど主要な大神殿に残っているが、実物はあまり発見されていない。それが今回、実際にその教育施設で使われていた教材と一緒に見つかった、という話である。
‘House of life’ filled with educational artifacts discovered at the Ramesseum in Luxor
https://archaeologymag.com/2025/04/house-of-life-discovered-at-the-ramesseum/
で、ラメセウムについてだが、これはラメセス2世の葬祭殿で、ラメセス2世のお墓と対になる礼拝施設である。死せる王が神(オシリス)になったあと、その王=神を礼拝するための神殿で、なので入口にはオシリスと合体したラメセス2世の巨像が立っている。
https://exploreluxor.org/ramesseum/

今は中心部分しか残っていないのだが、実はここ、プトレマイオス朝以降、ローマ支配時代にかけて、石材を再利用するための採石場扱いされていたのだ。
テーベ西岸には他にも多くの葬祭殿が存在するが、そのほとんどは原型を留めていないか、近代になって復元されたもの。ラメセウムはまだ残りがいいほうと言える。
で、このラメセウムの発掘は過去に何度か行われており、書記学校の跡までは見つかっていた。なので生命の家も多分あったんだろうな、と言われていたのが、今回場所が特定できて、確かにあったと分かったんだろうと思う。長らく首都だったテーベの近くに書記学校に高度教育施設もあったのなら、神官たちだけでなく、貴族の子弟なども学んでいたに違いない。
また神殿の地下からは、オリーブ オイル、蜂蜜、脂肪、ワインなど高級品を貯蔵していた痕跡も見つかったようで、かなりの財産を蓄えていたことが伺えるという。
ラメセウムはかなりの巨大な神殿だが、書物の家と呼ばれる図書館や医療施設、織物や石工などの工業施設も併設されていたと考えられており、地方都市におけるゆめタウンとかイオンなみの中心的複合施設だった可能性がある。
第三中間期までは施設が稼働していた形跡があるので、寂れたのはおそらくそのあと。
少し前の本だとこんな感じで、構造がだいぶアバウトな表記なので、これが細かくなって出てくるなら嬉しい。
「生命の家」作るなら図書館の横あたりか…? 報告資料…お待ちしてますね…。