猫は人間の言葉が分かる!→分かるわけないでしょ…という話。言葉が分からなくても雰囲気コミュニケーションは出来る
最近ではSNSでペットを自分の子どものように扱う人が増えたせいもあってか、「猫は人間の言葉が分かる! うちの子は私の言うことを理解してくれている」みたいな言説が増えてきたが、常識的に考えて、人間と同等の知能を持たない猫に、人間の言葉は理解出来ない。
ざっくり現実を突きつけるようで申し訳ないが、どんなにかわいかろうと、飼い主は家族扱いしてていようと、猫は人間ではない。 他種族である。猫同士のやりとりに使う鳴き声は持っているだろうが、人間の言葉なんか理解していない。
言葉が分からなくても雰囲気でコミュニケーションくらい取れるのである。
たとえば、飼い主が怒っている時にシュンとした顔をしている(ように見える)のは、そういう態度を取ると飼い主が喜ぶことを"経験則として”知っているからである。
これは「パブロフの犬」の実験でも証明されているとおり、繰り返し刷り込まれたことによる反射的な行動であり、別に人間の言葉が分かって反省しているわけではない。分かってくれていると思うのは人間の願望に過ぎない。
言葉が分からなくてもコミュニケーションが取れる、もっと具体的に言うと「飼い主が喜ぶ行動を取ることが出来る」という事例は、古くから知られている。有名どころは「賢馬ハンス」。これは100年くらい前にドイツで話題になった計算の出来る馬なのだが、実際には、飼い主の反応を見て正しい答えを導き出していたという
ペットや動物が人間の言葉を理解できる、という言説は、古くから伝承や物語に使われ、今なおSNSなどでまことしやかに語られ、信じられている。
だが、それを信じてしまう人は、「言葉を使う」「言葉を理解する」の定義が分かっていない。言葉とは何か。自分の思考を言語化出来ること、相手の問いに対して答えられることは最低限の条件だろう。
それに対して「猫は人間の言葉を理解した」と主張しているエピソードのほぼ全ては、「人間が取ってほしい行動/反応を猫が取ってくれた」という内容である。
これは冒頭に書いた「賢馬ハンス」と同じで、「正しい答え」を知る人間が「近くにいる」状態で、その人間にとって好ましい反応を取ったことが人間の様子から判別出来る状況と言える。
それは、言葉を理解したのではない。
人間の雰囲気から、エサをくれる飼い主にとって好ましい振る舞いを学習した結果に過ぎない。
お猫様とか言って崇め奉っていながら、実際は人間のほうが猫に顔色を伺わせているのだから、言ってることとやってることが逆だよね…。まあ猫からしてみれば、ちょっと雰囲気伺いさえすればメシも寝床もくれるし多少のワガママも許されるのだから、チョロい寄生先かもしれないのだが。(というか、そもそも猫が人間と同居し始めた切っ掛けがメシと家らしいという研究が最近出ている)
それ以外のエピソードについても、理由を推測することは可能だ。
家の猫が脱走した時に他のボス猫が連れ戻してくれた、みたいな話をしている人を見かけたが、地域にボス猫がいる=猫の縄張りがあらかじめ決められているエリアにおいて、新参者かつ軟弱な飼い猫の入り込めるスキは無い。地域猫の縄張りからはじき出されて戻ってきたのだろう。
また、家出した猫が戻ってこなかった人は何も言わないので、たまたま猫が戻ってきた人の成功談だけがまことしやかに語られることとなる。
猫をお迎えしたい人のところに猫がやって来た、という話も同様。私はべつにペットを飼いたいと思っていないのだ、旅先ではよく猫や犬に絡まれる。迎える気はないので最後にはお別れするわけだが、べつにそんなものは面白くもなんともない話しなので人には言わない。気に入って迎えた人の話だけがSNSで増幅されるから、まるで望む人のところに猫を送り込む謎のネットワークがあるみたいな都市伝説になる。
一昔前の子宝祈願の発展型みたいで民間伝承としてはちょっと面白いなと思うのだが、真面目に信じるものでもない。
冷たいことを言っているようだが、ここで重要なのは「猫は人間の言葉など分からない」という話ではなく、「相手は人間ではない」「なので人間の杓子定規を当てはめてはいけない」ということである。
ペットは自分の言葉を分かってくれているはず、と思う人たちに読んでもらいたいのが「イヌに「こころ」はあるのか: 遺伝と認知の行動学」という本だ。イヌにこころはある。だが、それは人間とは全く違う感情理論、ルール、行動原理で出来ている。人間の心とは構造からして違う。種族が違うのだから当たり前の話だ。
賢い牧羊犬を育て、扱う牧場主は、犬が自分の言葉を理解しているなどとは考えていない。牧羊犬は、人間の言葉が分かるから思い通りに動くのではない。飼い主が犬の心、つまりは行動原理や本能、特性を知り尽くしていて、それを上手く制御する方法を知っているから、うまく動けるようになる。

イヌに「こころ」はあるのか: 遺伝と認知の行動学 - レイモンド・コッピンジャー, マーク・ファインスタイン, 柴田譲治
「相手は人間ではなく、別種の生き物である」。当たり前のことだが、この前提を理解していなければ、異種族との同居はお互いにとって幸せなものとはならないだろう。
オマケとして、フクロウの話しも置いておきますね…
知恵の象徴とされるフクロウ、実は知能はそれほど高くない。
なおカラスも知能は高い鳥だが、人間の言葉は分かっていない。ペットと同じく雰囲気コミュニケーションで、人間が喜びそうな/面白がりそうなアクションを取ってこっちを鑑賞してることはある。言葉がわからんでも相手のリアクション見ながら簡単なコミュニケーションくらい取れるんで、それを「言葉が理解出来ている」などと勘違いしてはいけない。それは大抵、人間の思い上がりに過ぎないのだから。
ざっくり現実を突きつけるようで申し訳ないが、どんなにかわいかろうと、飼い主は家族扱いしてていようと、猫は人間ではない。 他種族である。猫同士のやりとりに使う鳴き声は持っているだろうが、人間の言葉なんか理解していない。
言葉が分からなくても雰囲気でコミュニケーションくらい取れるのである。
たとえば、飼い主が怒っている時にシュンとした顔をしている(ように見える)のは、そういう態度を取ると飼い主が喜ぶことを"経験則として”知っているからである。
これは「パブロフの犬」の実験でも証明されているとおり、繰り返し刷り込まれたことによる反射的な行動であり、別に人間の言葉が分かって反省しているわけではない。分かってくれていると思うのは人間の願望に過ぎない。
言葉が分からなくてもコミュニケーションが取れる、もっと具体的に言うと「飼い主が喜ぶ行動を取ることが出来る」という事例は、古くから知られている。有名どころは「賢馬ハンス」。これは100年くらい前にドイツで話題になった計算の出来る馬なのだが、実際には、飼い主の反応を見て正しい答えを導き出していたという
ペットや動物が人間の言葉を理解できる、という言説は、古くから伝承や物語に使われ、今なおSNSなどでまことしやかに語られ、信じられている。
だが、それを信じてしまう人は、「言葉を使う」「言葉を理解する」の定義が分かっていない。言葉とは何か。自分の思考を言語化出来ること、相手の問いに対して答えられることは最低限の条件だろう。
それに対して「猫は人間の言葉を理解した」と主張しているエピソードのほぼ全ては、「人間が取ってほしい行動/反応を猫が取ってくれた」という内容である。
これは冒頭に書いた「賢馬ハンス」と同じで、「正しい答え」を知る人間が「近くにいる」状態で、その人間にとって好ましい反応を取ったことが人間の様子から判別出来る状況と言える。
それは、言葉を理解したのではない。
人間の雰囲気から、エサをくれる飼い主にとって好ましい振る舞いを学習した結果に過ぎない。
お猫様とか言って崇め奉っていながら、実際は人間のほうが猫に顔色を伺わせているのだから、言ってることとやってることが逆だよね…。まあ猫からしてみれば、ちょっと雰囲気伺いさえすればメシも寝床もくれるし多少のワガママも許されるのだから、チョロい寄生先かもしれないのだが。(というか、そもそも猫が人間と同居し始めた切っ掛けがメシと家らしいという研究が最近出ている)
それ以外のエピソードについても、理由を推測することは可能だ。
家の猫が脱走した時に他のボス猫が連れ戻してくれた、みたいな話をしている人を見かけたが、地域にボス猫がいる=猫の縄張りがあらかじめ決められているエリアにおいて、新参者かつ軟弱な飼い猫の入り込めるスキは無い。地域猫の縄張りからはじき出されて戻ってきたのだろう。
また、家出した猫が戻ってこなかった人は何も言わないので、たまたま猫が戻ってきた人の成功談だけがまことしやかに語られることとなる。
猫をお迎えしたい人のところに猫がやって来た、という話も同様。私はべつにペットを飼いたいと思っていないのだ、旅先ではよく猫や犬に絡まれる。迎える気はないので最後にはお別れするわけだが、べつにそんなものは面白くもなんともない話しなので人には言わない。気に入って迎えた人の話だけがSNSで増幅されるから、まるで望む人のところに猫を送り込む謎のネットワークがあるみたいな都市伝説になる。
一昔前の子宝祈願の発展型みたいで民間伝承としてはちょっと面白いなと思うのだが、真面目に信じるものでもない。
冷たいことを言っているようだが、ここで重要なのは「猫は人間の言葉など分からない」という話ではなく、「相手は人間ではない」「なので人間の杓子定規を当てはめてはいけない」ということである。
ペットは自分の言葉を分かってくれているはず、と思う人たちに読んでもらいたいのが「イヌに「こころ」はあるのか: 遺伝と認知の行動学」という本だ。イヌにこころはある。だが、それは人間とは全く違う感情理論、ルール、行動原理で出来ている。人間の心とは構造からして違う。種族が違うのだから当たり前の話だ。
賢い牧羊犬を育て、扱う牧場主は、犬が自分の言葉を理解しているなどとは考えていない。牧羊犬は、人間の言葉が分かるから思い通りに動くのではない。飼い主が犬の心、つまりは行動原理や本能、特性を知り尽くしていて、それを上手く制御する方法を知っているから、うまく動けるようになる。

イヌに「こころ」はあるのか: 遺伝と認知の行動学 - レイモンド・コッピンジャー, マーク・ファインスタイン, 柴田譲治
「相手は人間ではなく、別種の生き物である」。当たり前のことだが、この前提を理解していなければ、異種族との同居はお互いにとって幸せなものとはならないだろう。
オマケとして、フクロウの話しも置いておきますね…
知恵の象徴とされるフクロウ、実は知能はそれほど高くない。
なおカラスも知能は高い鳥だが、人間の言葉は分かっていない。ペットと同じく雰囲気コミュニケーションで、人間が喜びそうな/面白がりそうなアクションを取ってこっちを鑑賞してることはある。言葉がわからんでも相手のリアクション見ながら簡単なコミュニケーションくらい取れるんで、それを「言葉が理解出来ている」などと勘違いしてはいけない。それは大抵、人間の思い上がりに過ぎないのだから。