エジプト地中海沿岸の遺跡から新王国時代の層が発見される。アクエンアテン時代やラメセス王朝の遺物も

エジプトの北端、地中海に面した遺跡 Kom el-Nugus の発掘で新王国時代の遺物が出たという報告が上がっていた。
この遺跡はアレキサンドリアの43kmほど西にあり、もともと前7世紀(末期王朝時代)までしか遡れない、比較的新しい遺跡だと思われていたのだが、意外にも古い歴史があった、という話である。

A new Ramesside settlement north of Mareotis Lake (Kom el-Nugus, Egypt)
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635

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出ているものの中で最古のものは、アクエンアテンの娘メリトアテン王女の名前いりのアンフォラ壺らしいので、第18王朝にはそこそこの規模の街が築かれていたと考えられている。またセティ2世、ラメセス2世など第19王朝の王たちによる建造物の痕跡もある。

第18王朝の頃には、アレキサンドリアはまだ影も形もなく、海の向こうとの交易拠点も近くには無い。なので、この街は軍事拠点のようなものか、季節的な集落だった可能性もあると考えられているようなのだが、自分としては、もう少し西のほうにある当時の「西の国境」への中継地点だったのではないかと思っている。

古代エジプトの西の国境はどこにある? 現代に比べてだいぶ東のほうにあった
https://55096962.seesaa.net/article/502315614.html

現代のアレキサンドリアから西へ300キロほど行ったところにある、ザウィエト・ウンム・エル=ラカム(Zawyet Umm El Rakham)が古代エジプトの西の国境線で、ここにリビア人など西からやってくる諸民族に対する防衛線が築かれていた。
この砦はラメセス2世の時代(第19王朝)には機能していたことが分かっているのだが、もしかしたら第18王朝時代から下地は作られていて、ナイル川流域から人と物資を送り出すための中継地点の街が今回発掘されているコム・エル・ヌグア遺跡なのでは? だとすると時代的には一致する。

エジプトの東の国境にある砦については、ナイル流域から砦を経由して異国へ向かう「ホルスの道」という街道があったことが知られているが、もしかしたら、西の国境のほうにも似たような街道が作られようとしていたのかもしれない。