エジプトに上陸したミトラス秘儀の痕跡についての覚書き
ミトラス秘儀、またはミトラ教という名前で呼ばれるものは、古代ローマで1世紀以降に隆盛を誇った宗教である。秘儀って名前ついてることから分かるとおり神秘的な儀式や謎めいた言い回しを特徴とする宗教で、現代でもオカルト主義者にも人気。(?)
ローマがキリスト教を国教とするにあたり地下に潜ったあとは消えてしまうため、信仰された期間はそれほど長くはなく、とにかく文字資料が少ないことから遺物は出てくるのに教義の内容がよく分からんというやつである。
で、そのミトラス秘儀だが、実はエジプトでも信仰された痕跡はある。1世紀以降のエジプトはローマ属州だったため、ローマから輸入されたものらしい。
ヘルモポリスからは、入信の儀式に使われたと思われるパピルス断片も見つかっている。
https://www.roger-pearse.com/mithras/display.php?page=supp_Egypt_Ashmunein_Catechism

ローマのミトラス秘儀では、↓こういう感じの雄牛を倒すミトラスの像が特徴的だが、同じモチーフの像がメンフィスやヘルポリスでも見つかっている。
ヘルモポリスの万神殿、もしかしてミトラスも八百万神に混ぜて祀ってたのかもしれない。

エジプトで見つかってる像はこちら
https://www.roger-pearse.com/mithras/display.php?page=cimrm91
ただ、エジプトの場合も、遺物(像)はたくさん見つかってるのに、実際に信者が多数いた痕跡が見つからない。残ってるミトラス信者のパピルスも冒頭の入信手引書らしきものくらいだし…。エジプトから輸出されたイシス女神の信仰は信者が多数いた証拠がローマ側に見つかるのとはだいぶ状況が異なる。
資料によってはミトラス秘儀を「キリスト教のライバル」と持ち上げていることも多いが、そもそも秘儀的な内容で女性は入信不可となると、最初から間口が狭くて信者数もそんなに増えなかったのでは? コンセプトが違うのでライバルになりえなかったのではないかと思うのだ。
どちらかというと、キリスト教よりはグノーシス主義のライバルだったりするんじゃないかという印象。
とりあえず、ミトラスはエジプトまでは来てた(けど、おそらく定着はしていない)というところまでは調べられたので、忘れないうちにメモしておこうと思う。
ローマがキリスト教を国教とするにあたり地下に潜ったあとは消えてしまうため、信仰された期間はそれほど長くはなく、とにかく文字資料が少ないことから遺物は出てくるのに教義の内容がよく分からんというやつである。
で、そのミトラス秘儀だが、実はエジプトでも信仰された痕跡はある。1世紀以降のエジプトはローマ属州だったため、ローマから輸入されたものらしい。
ヘルモポリスからは、入信の儀式に使われたと思われるパピルス断片も見つかっている。
https://www.roger-pearse.com/mithras/display.php?page=supp_Egypt_Ashmunein_Catechism

ローマのミトラス秘儀では、↓こういう感じの雄牛を倒すミトラスの像が特徴的だが、同じモチーフの像がメンフィスやヘルポリスでも見つかっている。
ヘルモポリスの万神殿、もしかしてミトラスも八百万神に混ぜて祀ってたのかもしれない。

エジプトで見つかってる像はこちら
https://www.roger-pearse.com/mithras/display.php?page=cimrm91
ただ、エジプトの場合も、遺物(像)はたくさん見つかってるのに、実際に信者が多数いた痕跡が見つからない。残ってるミトラス信者のパピルスも冒頭の入信手引書らしきものくらいだし…。エジプトから輸出されたイシス女神の信仰は信者が多数いた証拠がローマ側に見つかるのとはだいぶ状況が異なる。
資料によってはミトラス秘儀を「キリスト教のライバル」と持ち上げていることも多いが、そもそも秘儀的な内容で女性は入信不可となると、最初から間口が狭くて信者数もそんなに増えなかったのでは? コンセプトが違うのでライバルになりえなかったのではないかと思うのだ。
どちらかというと、キリスト教よりはグノーシス主義のライバルだったりするんじゃないかという印象。
とりあえず、ミトラスはエジプトまでは来てた(けど、おそらく定着はしていない)というところまでは調べられたので、忘れないうちにメモしておこうと思う。