ハットゥシャ(ヒッタイトの首都)へ行こう①
ヒッタイトの首都・ハットゥシャだったボアズキョイ/ボアズカレ遺跡へは、トルコの首都アンカラからアクセスする。アンカラ→ハットゥシャが4時間くらい。ハットゥシャ遺跡と、近くにある聖域ヤズルカヤを急ぎ足で周って日帰りするツアーが一般的である。
が、これだと遺跡本体の滞在時間がかなり短く、せっかく行ったのに勿体ない…。
というわけでアンカラでドライバーさんを手配し、2日がかりで行くことにする。
ちなみにハットゥシャのある場所、現代では小さな農村である。スングルル村、というのだが、イメージとしては奈良の明日香村。
かつての首都だけど今は牛しか見かけないような長閑な農村! ホテルは小さなものが数件あり、地方の民宿って感じのゆるさ。キャパのそう大きくないホテルなので、おそらくツアー客などは入りきらないのだろう。
ホテルからの眺めはこんな感じ。裏庭にニワトリいたw
左奥の方に見えてる山の上に遺跡がある。遺跡の層が重なった遺丘をトルコ語ではホユックと呼ぶが、ハットゥシャは単なる遺丘ではなく、もともと岩山だったところに都が築かれている。つまり日本で言う「山城(やまじろ)」のイメージである。

遺跡内部は舗装道路が敷かれており、団体ツアーだと途中の観光スポットを車で巡っていく。
よく観光ガイドなどに「ハットゥシャはけっこうアップダウンがある、歩きやすい靴がいい」と書かれているが、団体ツアーなら別にそんな歩かないはずなのでスニーカーでもいけるだろう。
ただしガチで歩いて全部周るつもりなら、それ相応の覚悟が必要。

山なので。
そして舗装されていない部分の地面の土は、日干しレンガとかがとても作りやすそうな粘土である。
…たぶん、ここに街があった当時は、この粘土で街作ってたんだろうなあ…。
というわけで、まずはずっと気になっていた「遺跡のすぐ側を流れる川」の様子を確かめにいくことにする。
以前記事にしたこれである。
ヒッタイトの首都の水源はどこ? 調べたらハイキング・コースとして観光地化されていた
https://55096962.seesaa.net/article/505009487.html
山があるなら歩かねばならない。なぜならばそこに山があるからだ。(登山部脳)
村からのアクセスルートはこれ。遺跡本体のすぐ横にハイキングコースがある。ただ、行ってみて分かったのだが、このハイキングコース、あまり手入れはされておらず、今のシーズンだと思いっきり草に埋もれている。昼間は牛が放牧されているのでウンチもたくさん落ちている。
自然豊かではあるのだが…まあ時間があれば…。
訪れた日は前日が豪雨だったらしく川の水量マシマシ。地面のぬかるみと濡れた草で難儀する羽目になったが、ふだんから登山やってる身だとけっこう楽しい山歩きだった。

村からアクセスするときは、この看板のところで道を曲がる。
ハットゥシャからヤズルカヤに行く人が帰り道に通る道である。今回行くのはハットゥシャのほうなので、矢印とは逆向きに歩いていく。

こんな感じの、農地の間の道を歩いていく。まっすぐ坂道を登っていくとハットゥシャ本体。道は途中まで共通。

橋を渡る手前に水場がある。橋を渡ると遺跡本体に入り、チケットオフィスの前に出るが、今回は橋を渡らずに、水場の正面の小道へ入っていく。

右手側の山の上がハットゥシャの「下の町」。
左手側は遺跡本体ではなく、何も保護されていないのだが、明らかに「ここも何か遺跡あったとこでしょ…?」って感じの意味深な石が落ちていたり、石組みの痕跡があったりする。
ていうかハットゥシャの町は、山の上にあるのが中心部で、その周辺にも庶民の町ななどが広がっていたはずなのである。調査されていないだけで。

途中に埋もれてたこのあたりとか、明らかに何かの跡なんですよね…。いつの時代のものかわからないけど、積み方からして建物の土台なんじゃねーかな。多分、ここも古代の街の一部だった場所。
地元の人が後世に作ったものにしてはやけに手が込んでるし、ずーっと続いてて距離が長い。掘ったら古いものは出てきそう。

ひたすらぬかるんだ小道を歩いていくと、視界がひらけて遺跡の麓に到着する。
柵の向こう側がハットゥシャ。ここが「山城」だと言った意味がおわかりいただけるかと思う。そう、この坂道を登らないと「下の町」には入れないのだ。
右手の上のほうに見えているのがチケットオフィスのあるところ。なお柵は、地元の牛を入れるために切れ目があるため、お金払わなくても柵の隙間から侵入は出来てしまう。(崖を登ってまでやる人いないと思うけど)


余談だが、ハットゥシャの遺跡の中には昼間、大量に牛が放牧されている。
チケットオフィスの人に聞いたところによると、牛が草を食べてくれると草刈りが楽なのだそうだ。牛なら遺跡の石とか傷めないからいいんだって。ヤギやヒツジはこのあたりではあまり飼わないので牛を放ってると言っていた。ヒッタイト時代の犠牲獣も牛が重視されていたし、そういう文化圏なのかもしれない。
歩いていくと、東屋が見えてくる。ここが公園。
天気の良い日なら、ここにお弁当とか持ち込むと気持ちいいだろうな。


この公園の奥に、岩に登れるところがある。
登ると、チケットオフィスや、その向こうにある城門の復元まで見渡せる。
その手前の石積みが、ヒッタイト時代の周壁の一部である。この街が、もともとの山岳地形を活かして作られていることが分かる。


岩には、作りかけの謎トンネルと、掘り込まれた溝のようなところがある。
トンネルは雨のせいか水が溜まっていたため奥まで言っていないが、向こう側に貫通させて通路にするつもりだったのかもしれない。
溝のようなところは、形からして宗教儀礼用のものかもしれない。ハットゥシャ本体のほうに、似た形で岩に掘り込まれた”王の魂の墓"という施設があったので、それを作ろうとして途中で終わってしまったのかも。


こんな痕跡があることからも分かるとおり、このハイキングコース周辺は、まだ調査されていないか、調査したけど何なのか分かってないものがたくさん眠っている。
壁面の崖が平らにされている箇所があるのも、おそらくヤズルカヤと同じようなレリーフ刻もうとして着手前に終わったか、完全に風化して何も残ってないかだと思う。
遺跡の外側っていう扱いだけど、隣接する地域なので注意深く見ていくとけっこう面白い。

ここはC.W. ツェーラムの古典「狭い谷 黒い山」という本タイトルの「狭い谷」の部分であり、おそらく左手の岩場の上がビュックカヤと呼ばれた区画である。帝国末期には谷を渡れるよう橋のような形で城壁の外周が作られていた可能性があるらしいが、谷がいちばん狭くなっているあたりなら、その痕跡もどこかに残っているのかもしれない。
なお今回は川が増水していてあまり奥の方までいっていないが、東屋のある公園の側の滝の横から、さらに奥までいく道は繋がっている。
水がなければたぶん渡れると思うので、もし次に晴れてる時にここに行く人がいたら、チャレンジしてみてください…。


つづく
=======
まとめ読みはこちら
が、これだと遺跡本体の滞在時間がかなり短く、せっかく行ったのに勿体ない…。
というわけでアンカラでドライバーさんを手配し、2日がかりで行くことにする。
ちなみにハットゥシャのある場所、現代では小さな農村である。スングルル村、というのだが、イメージとしては奈良の明日香村。
かつての首都だけど今は牛しか見かけないような長閑な農村! ホテルは小さなものが数件あり、地方の民宿って感じのゆるさ。キャパのそう大きくないホテルなので、おそらくツアー客などは入りきらないのだろう。
ホテルからの眺めはこんな感じ。裏庭にニワトリいたw
左奥の方に見えてる山の上に遺跡がある。遺跡の層が重なった遺丘をトルコ語ではホユックと呼ぶが、ハットゥシャは単なる遺丘ではなく、もともと岩山だったところに都が築かれている。つまり日本で言う「山城(やまじろ)」のイメージである。

遺跡内部は舗装道路が敷かれており、団体ツアーだと途中の観光スポットを車で巡っていく。
よく観光ガイドなどに「ハットゥシャはけっこうアップダウンがある、歩きやすい靴がいい」と書かれているが、団体ツアーなら別にそんな歩かないはずなのでスニーカーでもいけるだろう。
ただしガチで歩いて全部周るつもりなら、それ相応の覚悟が必要。

山なので。
そして舗装されていない部分の地面の土は、日干しレンガとかがとても作りやすそうな粘土である。
…たぶん、ここに街があった当時は、この粘土で街作ってたんだろうなあ…。
というわけで、まずはずっと気になっていた「遺跡のすぐ側を流れる川」の様子を確かめにいくことにする。
以前記事にしたこれである。
ヒッタイトの首都の水源はどこ? 調べたらハイキング・コースとして観光地化されていた
https://55096962.seesaa.net/article/505009487.html
山があるなら歩かねばならない。なぜならばそこに山があるからだ。(登山部脳)
村からのアクセスルートはこれ。遺跡本体のすぐ横にハイキングコースがある。ただ、行ってみて分かったのだが、このハイキングコース、あまり手入れはされておらず、今のシーズンだと思いっきり草に埋もれている。昼間は牛が放牧されているのでウンチもたくさん落ちている。
自然豊かではあるのだが…まあ時間があれば…。
訪れた日は前日が豪雨だったらしく川の水量マシマシ。地面のぬかるみと濡れた草で難儀する羽目になったが、ふだんから登山やってる身だとけっこう楽しい山歩きだった。

村からアクセスするときは、この看板のところで道を曲がる。
ハットゥシャからヤズルカヤに行く人が帰り道に通る道である。今回行くのはハットゥシャのほうなので、矢印とは逆向きに歩いていく。

こんな感じの、農地の間の道を歩いていく。まっすぐ坂道を登っていくとハットゥシャ本体。道は途中まで共通。

橋を渡る手前に水場がある。橋を渡ると遺跡本体に入り、チケットオフィスの前に出るが、今回は橋を渡らずに、水場の正面の小道へ入っていく。

右手側の山の上がハットゥシャの「下の町」。
左手側は遺跡本体ではなく、何も保護されていないのだが、明らかに「ここも何か遺跡あったとこでしょ…?」って感じの意味深な石が落ちていたり、石組みの痕跡があったりする。
ていうかハットゥシャの町は、山の上にあるのが中心部で、その周辺にも庶民の町ななどが広がっていたはずなのである。調査されていないだけで。

途中に埋もれてたこのあたりとか、明らかに何かの跡なんですよね…。いつの時代のものかわからないけど、積み方からして建物の土台なんじゃねーかな。多分、ここも古代の街の一部だった場所。
地元の人が後世に作ったものにしてはやけに手が込んでるし、ずーっと続いてて距離が長い。掘ったら古いものは出てきそう。

ひたすらぬかるんだ小道を歩いていくと、視界がひらけて遺跡の麓に到着する。
柵の向こう側がハットゥシャ。ここが「山城」だと言った意味がおわかりいただけるかと思う。そう、この坂道を登らないと「下の町」には入れないのだ。
右手の上のほうに見えているのがチケットオフィスのあるところ。なお柵は、地元の牛を入れるために切れ目があるため、お金払わなくても柵の隙間から侵入は出来てしまう。(崖を登ってまでやる人いないと思うけど)


余談だが、ハットゥシャの遺跡の中には昼間、大量に牛が放牧されている。
チケットオフィスの人に聞いたところによると、牛が草を食べてくれると草刈りが楽なのだそうだ。牛なら遺跡の石とか傷めないからいいんだって。ヤギやヒツジはこのあたりではあまり飼わないので牛を放ってると言っていた。ヒッタイト時代の犠牲獣も牛が重視されていたし、そういう文化圏なのかもしれない。
歩いていくと、東屋が見えてくる。ここが公園。
天気の良い日なら、ここにお弁当とか持ち込むと気持ちいいだろうな。


この公園の奥に、岩に登れるところがある。
登ると、チケットオフィスや、その向こうにある城門の復元まで見渡せる。
その手前の石積みが、ヒッタイト時代の周壁の一部である。この街が、もともとの山岳地形を活かして作られていることが分かる。


岩には、作りかけの謎トンネルと、掘り込まれた溝のようなところがある。
トンネルは雨のせいか水が溜まっていたため奥まで言っていないが、向こう側に貫通させて通路にするつもりだったのかもしれない。
溝のようなところは、形からして宗教儀礼用のものかもしれない。ハットゥシャ本体のほうに、似た形で岩に掘り込まれた”王の魂の墓"という施設があったので、それを作ろうとして途中で終わってしまったのかも。


こんな痕跡があることからも分かるとおり、このハイキングコース周辺は、まだ調査されていないか、調査したけど何なのか分かってないものがたくさん眠っている。
壁面の崖が平らにされている箇所があるのも、おそらくヤズルカヤと同じようなレリーフ刻もうとして着手前に終わったか、完全に風化して何も残ってないかだと思う。
遺跡の外側っていう扱いだけど、隣接する地域なので注意深く見ていくとけっこう面白い。

ここはC.W. ツェーラムの古典「狭い谷 黒い山」という本タイトルの「狭い谷」の部分であり、おそらく左手の岩場の上がビュックカヤと呼ばれた区画である。帝国末期には谷を渡れるよう橋のような形で城壁の外周が作られていた可能性があるらしいが、谷がいちばん狭くなっているあたりなら、その痕跡もどこかに残っているのかもしれない。
なお今回は川が増水していてあまり奥の方までいっていないが、東屋のある公園の側の滝の横から、さらに奥までいく道は繋がっている。
水がなければたぶん渡れると思うので、もし次に晴れてる時にここに行く人がいたら、チャレンジしてみてください…。


つづく
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まとめ読みはこちら