ディズニー映画「白雪姫(実写)」爆死から考える「新しい白雪姫像」とは。
ディズニー映画の実写版白雪姫が、とんでもない悪評で早々に打ち切られてしまった。ディズニー好きの友達ですら「二回見るのはムリ」って言ってたくらいなので、相当評判が悪かったのだろうなと思う。
原因はおそらく、改変した内容が「ディズニー」ブランドに相応しくなかったことと、純粋に映画としての完成度が低かったことにある。川を渡ったあとに出てくるカッサカサのパン、光源がどこにあるのか分からん画面、登場人物の一貫性のない行動、など、白雪姫抜きにしても映画としてダメな要素はたくさんありそうだ。
が、それより、「新しい」白雪姫像の再構築に失敗している、と思われる部分が気になった。
やりたかったことは何となく分かる。王子がいなくても人生をコントロールしていける、強くて自立した女性。が、やり方がヘタクソ。
というか、日本の作品だともう20年くらい前にこういうのは通過したよなぁ…? みたいなものを今さらドヤ顔でやってて痛いなというか。
というわけで、「やりたかったことは、多分ここにあるよ」という話をしておきたいと思う。
●衛星アニメ劇場でやっていた「白雪姫の伝説」
「心の美しさで勝負する白雪姫」「自らの足で歩き運命を決める白雪姫」といえば、むかし衛星アニメ劇場で一年かけてやっていた「白雪姫の伝説」の白雪姫ではないかと思う。彼女は見た目も可憐な設定だが、心の美しさの強調されたキャラだった。
https://fod.fujitv.co.jp/title/f0nj/

ストーリーが進むごとに心の強さも備わっていき、最後の方は気合で女王の幻術をとくとか無茶もやってた(笑
王女としての自覚と責任感を持ち、自分の意思で女王との対決を選び、冒険の途中で出会った仲間たちと力を合わせて戦う冒険ファンタジー要素のある物語になっている。もちろん騙されて毒リンゴを食うほど馬鹿な女の子ではない。そして王子も、自分に出来ることをやって頑張る年相応の男の子で好感が持てる。
たぶんディズニーが再構築したかった白雪姫像は、コレだと思うんだ…。
●自立した女性という意味での作品「赤髪の白雪姫」
欧米文化圏においては人権のない「赤い髪」の不遇気味な女の子が仕事や目標を得て成長していくストーリーのマンガ。アニメ化もされた。
基本的に甘酸っぱい系のラブストーリーだが、主人公の「白雪」が自立し、大人になっていく姿を描いている。
おとぎ話の白雪姫とはほとんど関係ないが、イメケン王子キャラに見初められるだけではなく、ただ男の方から言い寄ってくるのを待ってるわけではない、これもおそらくディズニーの目指したかった白雪姫像に通じる内容だと思う。

赤髪の白雪姫 1 (花とゆめコミックス) - あきづき空太
●「プリンセスとは生き様である」ことを表現した作品「プリンセス・プリキュア」

https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/
また「戦うプリンセス」像といえば、やはりこれ。主人公はプリンセスに憧れる女の子だが、彼女の目指したプリンセスは「王子と結婚し、玉の輿に乗る」プリンセスではない。プリキュアシリーズなので、当然、主人公たちは肉弾戦で激しく戦うのである。まさに戦うプリンセス。
この作品のテーマは「プリンセスとは何なのか」であり、「プリンセスとは心のあり方、生き様なのだ」という結論を出し、主人公たちが本物のプリンセスになってゆく過程を描いている。
登場人物の中には異世界のプリンセスもいるが、その子も戦いを通して「本物」のプリンセスになる。
また異世界のプリンスなキャラもいて、主人公とは淡い感じの関係ではあるが、決して安易に結婚とかにはならない。王子の手を借りなくても自分の生き様としてプリンセスになれる、という話なのである。
ていうかかわいい絵柄とニチアサからは想像もつかない、わりとハードな内容だった記憶がある…
プリンセスの修行は…過酷…。
新版白雪姫も、山賊とか出してバトルいれるなら、この路線で行けば良かったのでは。
******
というわけで、日本の近代サブカル世界から、ディズニー映画が目指すべきだったと思われる「新しい白雪姫」像をいくつか挙げてみた。
(てかどれもけっこう前だな…プリンセスプリキュアすら2015年ということを知ってちょっと「ヴッ」てなった…)
最近では、ただ王子様がやって来るのを待ってるだけのか弱いお姫様のほうがむしろ見かけない。だいたいみんな強い。それか自分の意志でガンガン動く女の子ばっかりである。
姫自らが戦うこともある。王子以外と恋愛することもある。容姿の美しさ関係ない姫もいる。
でもお話として破綻はしない。押し付け臭いとも感じない。
要するに、この要素だけでは作品が失敗する原因とはなり得ないのだ。ディズニーの実写映画がコケたのは、ポリコレが悪いとかじゃなく、単純に「要素の組み込み方がヘタクソ」なのだと思う。
あと、「ディズニー映画の」「白雪姫」という看板で売り出したのに、その看板に見合わないものが出てきたら拒否感が出るのは当然だし、その拒否感を抑え込めるだけの魅力が作品に無かったのもあるのだろう。
ていうか、日本の作品が20年も前にさらっと通過したところなのに、なんでこんなに苦労しているのか。アメリカという国は、よっぽど固定概念ガチガチで、社会や価値観に自由が無いんだろうな…と思ってしまうのだった。
原因はおそらく、改変した内容が「ディズニー」ブランドに相応しくなかったことと、純粋に映画としての完成度が低かったことにある。川を渡ったあとに出てくるカッサカサのパン、光源がどこにあるのか分からん画面、登場人物の一貫性のない行動、など、白雪姫抜きにしても映画としてダメな要素はたくさんありそうだ。
が、それより、「新しい」白雪姫像の再構築に失敗している、と思われる部分が気になった。
やりたかったことは何となく分かる。王子がいなくても人生をコントロールしていける、強くて自立した女性。が、やり方がヘタクソ。
というか、日本の作品だともう20年くらい前にこういうのは通過したよなぁ…? みたいなものを今さらドヤ顔でやってて痛いなというか。
というわけで、「やりたかったことは、多分ここにあるよ」という話をしておきたいと思う。
●衛星アニメ劇場でやっていた「白雪姫の伝説」
「心の美しさで勝負する白雪姫」「自らの足で歩き運命を決める白雪姫」といえば、むかし衛星アニメ劇場で一年かけてやっていた「白雪姫の伝説」の白雪姫ではないかと思う。彼女は見た目も可憐な設定だが、心の美しさの強調されたキャラだった。
https://fod.fujitv.co.jp/title/f0nj/

ストーリーが進むごとに心の強さも備わっていき、最後の方は気合で女王の幻術をとくとか無茶もやってた(笑
王女としての自覚と責任感を持ち、自分の意思で女王との対決を選び、冒険の途中で出会った仲間たちと力を合わせて戦う冒険ファンタジー要素のある物語になっている。もちろん騙されて毒リンゴを食うほど馬鹿な女の子ではない。そして王子も、自分に出来ることをやって頑張る年相応の男の子で好感が持てる。
たぶんディズニーが再構築したかった白雪姫像は、コレだと思うんだ…。
●自立した女性という意味での作品「赤髪の白雪姫」
欧米文化圏においては人権のない「赤い髪」の不遇気味な女の子が仕事や目標を得て成長していくストーリーのマンガ。アニメ化もされた。
基本的に甘酸っぱい系のラブストーリーだが、主人公の「白雪」が自立し、大人になっていく姿を描いている。
おとぎ話の白雪姫とはほとんど関係ないが、イメケン王子キャラに見初められるだけではなく、ただ男の方から言い寄ってくるのを待ってるわけではない、これもおそらくディズニーの目指したかった白雪姫像に通じる内容だと思う。

赤髪の白雪姫 1 (花とゆめコミックス) - あきづき空太
●「プリンセスとは生き様である」ことを表現した作品「プリンセス・プリキュア」

https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/
また「戦うプリンセス」像といえば、やはりこれ。主人公はプリンセスに憧れる女の子だが、彼女の目指したプリンセスは「王子と結婚し、玉の輿に乗る」プリンセスではない。プリキュアシリーズなので、当然、主人公たちは肉弾戦で激しく戦うのである。まさに戦うプリンセス。
この作品のテーマは「プリンセスとは何なのか」であり、「プリンセスとは心のあり方、生き様なのだ」という結論を出し、主人公たちが本物のプリンセスになってゆく過程を描いている。
登場人物の中には異世界のプリンセスもいるが、その子も戦いを通して「本物」のプリンセスになる。
また異世界のプリンスなキャラもいて、主人公とは淡い感じの関係ではあるが、決して安易に結婚とかにはならない。王子の手を借りなくても自分の生き様としてプリンセスになれる、という話なのである。
ていうかかわいい絵柄とニチアサからは想像もつかない、わりとハードな内容だった記憶がある…
プリンセスの修行は…過酷…。
新版白雪姫も、山賊とか出してバトルいれるなら、この路線で行けば良かったのでは。
******
というわけで、日本の近代サブカル世界から、ディズニー映画が目指すべきだったと思われる「新しい白雪姫」像をいくつか挙げてみた。
(てかどれもけっこう前だな…プリンセスプリキュアすら2015年ということを知ってちょっと「ヴッ」てなった…)
最近では、ただ王子様がやって来るのを待ってるだけのか弱いお姫様のほうがむしろ見かけない。だいたいみんな強い。それか自分の意志でガンガン動く女の子ばっかりである。
姫自らが戦うこともある。王子以外と恋愛することもある。容姿の美しさ関係ない姫もいる。
でもお話として破綻はしない。押し付け臭いとも感じない。
要するに、この要素だけでは作品が失敗する原因とはなり得ないのだ。ディズニーの実写映画がコケたのは、ポリコレが悪いとかじゃなく、単純に「要素の組み込み方がヘタクソ」なのだと思う。
あと、「ディズニー映画の」「白雪姫」という看板で売り出したのに、その看板に見合わないものが出てきたら拒否感が出るのは当然だし、その拒否感を抑え込めるだけの魅力が作品に無かったのもあるのだろう。
ていうか、日本の作品が20年も前にさらっと通過したところなのに、なんでこんなに苦労しているのか。アメリカという国は、よっぽど固定概念ガチガチで、社会や価値観に自由が無いんだろうな…と思ってしまうのだった。