アナトリア考古学博物館で見た謎の楔形文字碑文と「ウラルトゥ」について

トルコは広い国で、国土の上には様々な時代の文化・歴史が重層的に重なっている。
1万年以上前の先史時代の遺跡から、古代のアッシリア人の遺跡、ヒッタイト、ミケーネ、フリュギアにキンメリアにギリシャ、ローマ。博物館にはそれらの遺物がすべて「トルコの遺物」として並ぶことになる。なので、ぱっと見てどの時代の、どの文化のものか判別するのは広い知識が必要とされる。

前回行った時は半分くらいしかわからず泣きながら敗退したのだが、さすがに今回は…! 9割くらい判別ついたぞ…! で、残り1割のうち、全くわからんかったのがコレ。

ウラルトゥの遺物である。

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今までほぼ興味がなくて、「資源に恵まれていたらしい」ということくらいしかわかってなかった。
これもトルコの遺物に入るのか…!

資源的に恵まれていたのに覇権は取れなかった…ウラルトゥ国について調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/202002article_24.html

というか、楔形文字を使ってたこと自体知らなかった。
改めて調べてみると、ヒッタイトと同じく、公用語/公式文書としては楔形文字を使いつつ、独自の象形文字も使っていたらしい。(その象形文字は、壺など日常使いするものに用いていたようだ)

写真にある楔形文字の碑文、あまりにも字間が広くて、なんだこれ? と思ったのだが、ウラルトゥ語はフリ語系のようで、言語体系が楔形文字向きできなかったのかも。

勢力圏の詳細図がこれ、全盛期にはアッシリア北部を包み込むようにして勢力を広げていたらしい。左下のほうにくっついているネオ・ヒッタイトは、この時点で既に滅亡しているヒッタイト帝国の亡命政権みたいな小勢力。残念ながらこのあとアッシリアに滅ぼされる運命にあるが、この図ではまだ、ウラルトゥと手を結んで抵抗している。

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で、アナトリア考古学博物館で見た碑文の内容だが、この碑文は6代目の王であるメヌア王の息子アルギシュティ1世のもので、ハルディという神に捧げた倉庫の内容物について書かれているらしい。この王の時代に、ウラルトゥは最盛期を迎えている。現在のアルメニアまで勢力圏を広げ、のちにアルメニアの首都になるところに要塞を築いたりもしていたらしい。(ということは、たぶんウラルトゥの遺物や遺跡はアルメニア側にもある。…トルコと仲悪いので共同研究してない気がする)

一時はアッシリア最大のライバルであったとも言われる軍事国家、ウラルトゥ。
「ヴァン王国」とも呼ばれたようで、トルコの現在の地名「ヴァン」はそこから来ているらしいという話も、今回改めて調べてみて知った。うーん、まだまだ知らないことも多いな…。

最後はメディア王国とスキタイの連合によって紀元前6世紀ごろに滅亡してしまうが、周辺文明や国家との繋がりが見えてくると面白い。西アジア地域の国家の興亡史、奥が深いです。