他の大河と比較した場合、ナイル川はあまり土砂を運んでいない。大河文明と川の性格について
図書館の書庫から掘り出してきた古い本、「砂漠と文明」。情報が少し古かったり、最近の研究で書き換わっているようなところもあったりして使える部分は少なかったのだが、ちょっと面白い内容が載っていた。
「四大文明をはぐくんだ河川の性格の違い」というものである。

砂漠と文明――アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明論 - 嶋田 義仁
「四大文明」という概念自体も、今となっては古く、学術書などではほぼ使われなくなっている用語である。(何故かマスメディアは意固地に使いたがるが)
現在では、古代の大文明が四つだけではないこと、インダス文明が実際には大河文明とは呼べないこと、大河が文明発生に必ずしも必要ないことがわかってきている。
ただ、かつて四大文明と呼ばれた文明に関わる四本の大河が、文明の発展に大きく関わってきたことは事実であり、河川の性格を比較することには意味がある。
というわけで、実際の比較表を出してみよう。

この表の内容も少し内容が間違っていて、エジプトの主要作物は小麦である。また、中王国時代以降には部分的に二毛作が行われていた可能性がある。
メソポタミアは塩害が進みやすく、バビロニアが台頭する時代にはより塩に強いオオムギが主要作物になっていたため、これで合ってると思う。
注目するのは「河谷の断面」という部分。これは、河が地面を掘り込んで谷を形成するか、運んだ土砂が沈殿して天井川になっているか、という視点。
この四大河川の中で、谷間を流れているのはナイル川だけなのである。
中国の大河がしばしば氾濫を起こして治水に苦労した記録があるのは知っていたし、メソポタミアは発掘でも洪水による堆積層が見つかっていてかなり大規模に氾濫を起こしていたことがわかっている。水の増加の仕方が早すぎ、水量が一気に増えるのが原因だと思っていたのだが、それだけではなく、そもそもの川の流れ方、形状が氾濫しやすいものになっていたのだ。
これは、川の水に含まれる土砂の量が多いため、堆積しやすいのが原因だという。
エジプト地域に限ると、ナイルの水に含まれる土砂は1㎡あたり2kg程度と非常に少ないが、黄河は上流で10-20kg、下流で34-37kg。洪水期には651kgになるという。チグリス・ユーフラテス川ではナイルの4倍で8kg。インダス川では2.5倍の5kg程度になるという。
この数字はナイル川上流にアスワン・ダム、及びアスワン・ハイ・ダムが建設されて以降のものなので、ダム建設前はもっと多かった可能性もあるのだが、それにしても他の河川に比べるとずいぶん少ない印象を受ける。
つまり、「肥沃な黒い土を運ぶ」と表現されることの多いナイル川は実際にはそれほど堆積物を運んでいないのだ。
ナイルデルタはナイル川の運んだ土砂の堆積によって作られた土地なので、堆積物が全然無いというわけではないが、他の大河のように堆積物が川底に沈殿して天井川になるほどではなく、上流から運ばれた土が堆積するよりも、川が谷底を削るスピードのほうが早かった。
ナイルの灌漑が、水を囲って溜め込むベイスン灌漑と呼ばれる方式だったのも、水がゆっくり上昇し、堆積物があまり無い、という特性があったからなのだと思う。一気に増える増水の仕方だとそれは出来ないし、堆積物が多い場合は、水路がすぐ詰まって使えなくなるか、水を貯めた畑の高さが年々積み増しされていってしまう。
ナイル川は、実は黒い土をあんまり運んでいなかったお陰で治水しやすかったのだ。
どの文明も治水工事をやっていたのだが、川の性格によって、治水工事のやり方や難易度が全く違ったものになるのだ、ということが面白かった。というかナイル川だけめちゃくちゃイージーじゃないかこれ…? ちょうど作物の種まき前にいいカンジに増水が起こるとか、自然の恵みチートだよ…w
「四大文明をはぐくんだ河川の性格の違い」というものである。

砂漠と文明――アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明論 - 嶋田 義仁
「四大文明」という概念自体も、今となっては古く、学術書などではほぼ使われなくなっている用語である。(何故かマスメディアは意固地に使いたがるが)
現在では、古代の大文明が四つだけではないこと、インダス文明が実際には大河文明とは呼べないこと、大河が文明発生に必ずしも必要ないことがわかってきている。
ただ、かつて四大文明と呼ばれた文明に関わる四本の大河が、文明の発展に大きく関わってきたことは事実であり、河川の性格を比較することには意味がある。
というわけで、実際の比較表を出してみよう。
この表の内容も少し内容が間違っていて、エジプトの主要作物は小麦である。また、中王国時代以降には部分的に二毛作が行われていた可能性がある。
メソポタミアは塩害が進みやすく、バビロニアが台頭する時代にはより塩に強いオオムギが主要作物になっていたため、これで合ってると思う。
注目するのは「河谷の断面」という部分。これは、河が地面を掘り込んで谷を形成するか、運んだ土砂が沈殿して天井川になっているか、という視点。
この四大河川の中で、谷間を流れているのはナイル川だけなのである。
中国の大河がしばしば氾濫を起こして治水に苦労した記録があるのは知っていたし、メソポタミアは発掘でも洪水による堆積層が見つかっていてかなり大規模に氾濫を起こしていたことがわかっている。水の増加の仕方が早すぎ、水量が一気に増えるのが原因だと思っていたのだが、それだけではなく、そもそもの川の流れ方、形状が氾濫しやすいものになっていたのだ。
これは、川の水に含まれる土砂の量が多いため、堆積しやすいのが原因だという。
エジプト地域に限ると、ナイルの水に含まれる土砂は1㎡あたり2kg程度と非常に少ないが、黄河は上流で10-20kg、下流で34-37kg。洪水期には651kgになるという。チグリス・ユーフラテス川ではナイルの4倍で8kg。インダス川では2.5倍の5kg程度になるという。
この数字はナイル川上流にアスワン・ダム、及びアスワン・ハイ・ダムが建設されて以降のものなので、ダム建設前はもっと多かった可能性もあるのだが、それにしても他の河川に比べるとずいぶん少ない印象を受ける。
つまり、「肥沃な黒い土を運ぶ」と表現されることの多いナイル川は実際にはそれほど堆積物を運んでいないのだ。
ナイルデルタはナイル川の運んだ土砂の堆積によって作られた土地なので、堆積物が全然無いというわけではないが、他の大河のように堆積物が川底に沈殿して天井川になるほどではなく、上流から運ばれた土が堆積するよりも、川が谷底を削るスピードのほうが早かった。
ナイルの灌漑が、水を囲って溜め込むベイスン灌漑と呼ばれる方式だったのも、水がゆっくり上昇し、堆積物があまり無い、という特性があったからなのだと思う。一気に増える増水の仕方だとそれは出来ないし、堆積物が多い場合は、水路がすぐ詰まって使えなくなるか、水を貯めた畑の高さが年々積み増しされていってしまう。
ナイル川は、実は黒い土をあんまり運んでいなかったお陰で治水しやすかったのだ。
どの文明も治水工事をやっていたのだが、川の性格によって、治水工事のやり方や難易度が全く違ったものになるのだ、ということが面白かった。というかナイル川だけめちゃくちゃイージーじゃないかこれ…? ちょうど作物の種まき前にいいカンジに増水が起こるとか、自然の恵みチートだよ…w