タイトルに相違なし、カバー範囲がとてつもなく広い本「パンの文化史」

適当に古本屋で立ち読みしてたら「エジプトのパン」についての記述が出てきたので、そのままスッ…てレジに行って今に至る。
買ったやつと今出てる本の表紙が違うので、おそらくどこかでデザインが変わった。パンの歴史、文化について、非常に広範囲に渡って調べつくした、文庫とは思えないほど情報の濃い本である。

パンの文化史 (講談社学術文庫 2211) - 舟田 詠子
パンの文化史 (講談社学術文庫 2211) - 舟田 詠子

パンの歴史はもちろん、メソポタミアとエジプトから始まる。小麦の栽培が開始された地域に近く、早い段階から組織的な麦作を開始し、文字、美術、墓の副葬品などの実物によって、人類史上初期のパン作りの情報を伝えてくれている。
そして、パン専門の学者が書くパンの本だと、考古学の本にはない視点が出てくる。

●古代エジプトのパンは酸っぱかったのでは…?

酸っぱい、というのは、サワードゥを使ってパンを焼いていたことまでは分かっているからだ。イースト菌と乳酸菌の塊であるパン種。サワードゥは、使うとパンが酸っぱくなるのだという。ということは、古代のパンってけっこう酸っぱい系だったのでは…と思うのだ、

実際、古代のパンの味は今では分からない。壁画から道具まではある程度特定出来ても、作り方の細かい手順は読み取れないので、全く同じ作り方が出来るわけではないのだ。
古代のイースト菌を復活させてパンづくりをした、という報告はあるものの、これも使っているのは現代の小麦と現代の道具なので、全く同じものではない。

エジプトマニア、古代のイースト菌を培養してパンを焼く。
https://55096962.seesaa.net/article/201908article_15.html

ただ、本体が酸っぱかったとしても味変は出来る。
古代エジプトではナツメヤシの皮につく菌を最初の発酵に使っていたのでは、という話も出てきたが、ドライフルーツのナツメヤシを入れて焼けば、甘みのあるパンは焼けたと思う。

●古代エジプトのパンは「蒸しパン」方式

パンの焼き方の種別で出てきた話だが、古代エジプトの壁画や遺物でよく見る、熱した壺の中にパン生地を入れて焼くパン焼きは、蒸しパンになるらしい。言われてはじめて「そういや直接は火に当ててないな…」と気がついた。

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壺を使うのは、実は他の文化圏ではあまり一般的ではない。ではどうしていたかというと、「直火焼きパン」「灰焼きパン」とかなのだ。
古代ギリシャだと、直火であぶる、日本でいうと”きりたんぽ"みたいな本式のパン焼きや、熱い灰の中にパン種を入れて灰まみれになるパンが知られている。それらは、現代でもベドウィンやアフリカ内陸部では見ることが出来るのだが、エジプトやメソポタミアの古代のパンは基本的に壺焼き、もしくはオーブンの上の皿に並べて焼くなどの方式だ。

中世になると、大きな「かまど」が発明され、薪で中を熱しておいてからパンを入れる、という方式も出てくるようなのだが、古代エジプト世界では、かまどに入れるのは壺であった。
これはおそらくメソポタミアも同じで、メソポタミアの「パン」を意味する楔形文字は、三角形の壺の中に液体の線が入っている形をしている。おそらく、発酵させずにパンを焼いていた時代には、パン記事がどろどろした液体だったことと関係していると思われる。

●パン文化圏におけるパンの重要性

あと面白かったのは、パンを主食とする文明の、パンへのこだわりである。
日本人のコメへのこだわりに通じるものがあるが、パンは「日々を生きる糧」なのである。
現代エジプト人がパンを呼ぶ言葉「アエーシ・バラディ」には「私たちの命」という意味があるらしい。「私たちの」「我々の」という部分が重要で、一つの大きなパンの塊を切り分けて家族みんなで食べていた、古代からの営みを感じさせる。(もちろん、言語はアラビア語という全然別なものに変わっているけれど。)

パンに特別な意味をもたせるのは、何もキリスト教の影響だけではない。古来からパンを命の糧としてきた文化圏なら、文化の根底に流れている血潮のようなものなのかと思った。これは、近代にポルトガル人からパンという概念を学んだ我々日本人には、容易には理解し得ないものだろうと思う。パンは確かに日常の、文化の一部にもなったが、そこに積み重なった「思い」や「記憶」の層は、まだまだ薄い。
たとえるなら、「小学校の遠足のお弁当で食べたおにぎりの美味しさ」みたいな、原記憶に通じる「思い」と「記憶」だ。

それらを理解するためには、巻末に書かれているとおり、広い範囲の様々な分野の情報をかき集めていくとかないのだろうな、と思った。