「クレオパトラはギリシャ人、エジプト人ではない!」→間違い。基本事項分かってない人が勘違いしがちなところを説明する

ネットで定期的にドヤ顔で語られる、古代エジプトの三大「間違い雑学」は以下だと思う。

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1. クレオパトラはギリシャ人!
→ギリシャ系エジプト人

2.ピラミッド労働者は二日酔いで休んでた!
→その出勤簿は新王国時代の王家の谷の墓づくり職人のもの
https://55096962.seesaa.net/article/201408article_12.html

3.「近頃の若い者は」という言説は古代エジプトの時代からある!
→ない
https://55096962.seesaa.net/article/201410article_17.html
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2と3については過去にツッコんだ記事があるのでそのまま貼っておいた。
で、1についてだが、「クレオパトラは黒人ではなく白人」という別種の誤解もあるため、それは過去に記事にしている。

「クレオパトラは白人」という誤解。「クレオパトラはギリシャ系(マケドニア人)の子孫」が正解
https://55096962.seesaa.net/article/201704article_17.html

で、今回は「クレオパトラはエジプト人ではなくギリシャ人」という言い方も間違ってるぞ、という話である。この話をドヤ顔でしてしまうと知識の浅さを露呈することになるので、まずは基本事項から説明していこうと思う。



●「ギリシャ系エジプト人」という言葉の意味

まずは「xx系エジプト人」という言葉について。
これは、ギリシャから移住してきたエジプト人という意味であり、言葉のとおり、ルーツがギリシャにあるエジプト人、と理解すべきものである。

そう、エジプト人。ギリシャ人ではない。
ギリシャから来た一族がなぜエジプト人と言えるのか。それは古代世界において、「エジプト人」という基準が、遺伝的な要素ではなく所属する文化によって決定されているからである。



●「古代エジプト人」とは何者か―遺伝的な要素

遺伝的な要素でいうと、古代エジプトには純血のエジプト人というものは存在せず、すべての住民が、いつかの時点で移住してきた、どこか出身の移民である。エジプト人には「エジプト人特有の遺伝子」とか「エジプト人らしい外見」とか「純血主義」のようなものはなく、ギリシャ人がエジプトに来てエジプトに染まれば、それはもうエジプト人なのである。

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王朝の歴史が開始される以前の紀元前3,000年まで遡れば、ナイルの民は気候変動でサハラが砂漠化した時に川沿いまで移住してきた人々の子孫。その中にはリビア砂漠を越えてきた人もいれば、ナイル上流のアフリカ内部から来た人も、アジア方面から濃厚や牧畜の技術を携えてやって来た人もいる。
そして時代が進むと、海を越えてやって来る人々なども移民の波に加わる。

最近では、少数ながらミイラのミトコンドリアDNAやゲノム解析によってその実態も見えてきている。
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_1.html

以下は、各時代のミトコンドリアDNAの傾向を示したものだ。
下の方の赤い部分がアフリカに特徴的なもの、そこから上に行くにつれ起源地の遠いミトコンドリアDNAのタイプ(ハプログループ)になっていくのだが、現代エチオピア人では現在でもアフリカに特徴的なタイプが半分以上を占めるのに対し、エジプトでは、古代からずっと多種多様な状態が継続され、ローマ支配時代になっても比率がちょっと変わったかなーくらいのレベル。

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この調査はサンプル数が少なく、一箇所の遺跡からしかサンプル採取出来ていないためエジプト全体の傾向の差異を見るには足りないのだが、アジア系/中近東のDNA型の比率が高いのは面白い。エジプトは「アフリカ内陸部」よりは、ギリシャやシリア・パレスチナを含む「東地中海世界」という文化圏に属する傾向が強いが、文化的傾向と遺伝的な傾向は一致していると言えるかもしれない。

なお、マケドニア王家はエジプト人と混血していないからギリシャ人のままなのだ、と主張する人を見かけることがあるが、その話をするならば、マケドニア王家の祖先には他国の人たちも何人か混じっている。たとえばクレオパトラ1世はシリアの王女なので、クレオパトラ7世およびプトレマイオス王朝は、血統としても初っ端から純粋なマケドニア人系統のみではない。
というかマケドニア自体、征服した部族をガンガン取り込んでいっているので純血マケドニア人とかいうものはいなかったはずなのだ。プトレマイオス1世の時点で既に「純血マケドニア人」ではなく、そのような概念も存在しない。

つまりエジプト人に「純血」が無いように、マケドニア人とかギリシャ人とかにも「純血」などというものは存在せず、そもそものベースからして「みんな色々混じってるぜ!」なのである。
プトレマイオス朝以前のエジプト人にギリシャを含む東地中海沿岸部のDNA型が既に入り込んでいるように、ギリシャ人にもエジプト由来のDNA型が入り込んでいた可能性は大いにある。人の移動を考えると、むしろ入っていないほうがおかしい。
近隣文化圏のDNAは混じるのが普通であり、それが、国境によってガチガチに人の移動が制限される近代以前の世界の常識である。

血筋とかルーツだけで「xx人」を判断するのは間違いと言っていい。



●「古代エジプト人」とは何者かー文化というアイデンティティ

このように、エジプトには、時代を通して多くの移民が流れ込んできた。
にも関わらず、国としてまとまりを持ち、統一王国を3,000年続けられたのは何故なのか。
端的に言えば、やって来た移民がことごとくエジプト文化を受け入れ、エジプト人化していったからである。
逆に言えば、エジプト文化を受け入れた移民は、出身に関わらずエジプト人と呼ばれた

「古代エジプト人とは何か」に対する答えは、「先祖代々エジプトに住んでいるから」でも「エジプト語が話せるから」でもない。エジプト文化を受け入れて暮らしている者はエジプト人、なのである。
これが、「ナイルの水を飲む民はすべてエジプト人」などと表現されてきたエジプトの世界観の正体でもある。

古代エジプトの歴史の中には、異国出身の王や高官などが多く見られる。

たとえばアジア系のヒクソス人王朝(第15王朝)。この王朝の王たちは新しい文化や技術を多く持ち込んだが、エジプト語名をつけ、エジプト風の宮廷を作り、国の治め方も従来のやり方に則って行った。そのため、出てくる遺物もアジア様式の混じったエジプト遺物である。
ヒクソス人は王朝が倒れたあともエジプトに残り、エジプト人に同化して暮らし続けた。数百年後に王となるラメセス2世(第19王朝)はヒクソス人の子孫の可能性がある

リビア人王朝(第22王朝)やヌビア人王朝(第25王朝)も同様で、王たちは異国ルーツだったが、文化としては古代エジプトの伝統を継承している。王や支配者たちがエジプト人化しようとはせず、エジプトを属国化しようとしたペルシア支配(第27王朝、第31王朝)ですら、現地文化は尊重し、統治方法も、エジプトの伝統にある程度従っていた。

ではクレオパトラ7世の所属するプトレマイオス朝がどうだったのかというと、王や支配者は積極的にエジプト文化を取り入れ、エジプト化につとめている。これは王家の人々がエジプト人化しようとした形跡と見ることができる。もっとも、300年も住んでおいて、現地文化に馴染まないほうがおかしいとも言えるのだが。

「古代エジプト人」というラベルは、所属する文化とアイデンティティがそこに所属していることで決まる

エジプトに住み着いて現地文化に馴染めば「古代エジプト人」なのである。300年もエジプトに住み、エジプト文化に染まり、エジプト語すら解したクレオパトラ7世は文句なしにバリバリのエジプト人である。



●公用語と遺跡について

公用語がギリシャ語だったとか、王たちがギリシャ語しか話せなかったという話をする人もいるが、お役所文書をギリシャ語に統一していただけで、エジプト語は広く使われていた。裁判所の文書や土地借用書などは、地元民が関わることも多かったためかエジプト語のものがたくさん見つかっている。当時の国際情勢的に、国際用語として王宮でギリシャ語が多く使われていた、という事情はあるかもしれないが、王朝としてギリシャ文化のみ採用していたわけではない。

また、多くの人が古代エジプトの遺跡だと思っているデンデラ神殿やエスナ神殿の現存する建物はプトレマイオス朝の王たちが作ったもので、特にデンデラ神殿は背面にクレオパトラ7世と息子カエサリオンの大きなレリーフがあり、彼女自身の肝いりの記念碑と言うことができる。
エジプト遺跡を作った王たちがエジプト人ではないわけがないでしょ、という切り口での話である。

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いや、ていうか本当に、このへん知ってると、なんでクレオパトラ7世がエジプト人じゃないとかいう話になったのかわからないんですよね…。

もし彼女がエジプト人ではなくギリシャ人だったとするならば、エジプトのためにローマ支配に抗い、逃亡することもなくエジプトで死んだ最後の女王をエジプト人とは認めない、という、だいぶ失礼な話になってしまうと思うんですが…。
(ちなみに、ヌビア人王朝だった第25王朝の王はアッシリアに攻め込まれて故郷ヌビアまで逃亡している。腹の括り方が全然違うという意味でも、プトレマイオス朝の王はエジプト人化しており、エジプトを故郷とみなしていたと考えていい)


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というわけで、一通りの要素は説明しておいた。

現代にも言えることなのだが、「ルーツ」と「所属国/文化」は必ずしも一致しない。「xx人」というアイデンティティは、パスポートの色や血筋で決まるものではない。

我々日本人のほとんどは、先祖代々日本に住んでいて、日本語を喋っていて、遺伝的にも日本人で黒髪に黒い瞳でだいたい統一されているので、そのへん意識せずに日本人と名乗って生きていられるだけなのだ。古代から頻繁に人の移動があり、国境の改変があり、宗教や文化の異なる隣人がいて、長年かけて混血が進んでいるような地域はそうではない。

「xx人」というラベルは、何をもって決まるのか。

クレオパトラ7世に関わらず、まずはそれを考えてみて欲しいのだ。