片田舎のおっさん、エジプト王になる。「プトレマイオス1世 エジプト王になったマケドニア人」
プトレマイオス1世は、田舎出身のおっさんである。
古代の独立国家としてのエジプト最後の王朝、プトレマイオス王朝を開く人物としてよく知られているが、その実、アレクサンドロスの華々しい冒険と戦歴の数々の記録では、中盤以降にしか出てこない。出身地はマケドニアの農村部。父とされるラゴスは地位が低く、名門の出でなかったことは確かだ。
若き日のアレクサンドロスと同じくミエザの学校に通っていた元同級生と考えられているが、最初から腹心の部下とかいう扱いではなく、年齢的にも十歳くらいは離れていただろうとされている。信用できる幼馴染という扱いになったのは、ペルシア帝国の崩壊後。ペルシア軍との戦いの中で功績を挙げたからだろうとされる。
そして年上ということは、アレクサンドロスが33歳の誕生日を目前にして死んだ時、彼のほうは既に四十路に差し掛かっていたことを意味している。
大王の死後、エジプト総督、そしてエジプト王へと称号を変え自分の王国を築いていくプトレマイオスは、既に四十路も半ばの、軍人上がりで無骨な、田舎出身マケドニア人のおっさんであったのだ。

プトレマイオス一世:エジプト王になったマケドニア人 - イアン・ウォーシントン, 森谷 公俊
というわけで、そのおっさんを1冊まるまる使って書いてある珍しい本を見つけたので、なんやもの好きがあるんやな…どこに需要があるんや…とブツブツ言いながら手にとってみた。まあよっぽどのもの好きじゃないとプトレマイオス1世に興味もつ人なんていないと思うんだけどね。私は読むけど。
子孫であるクレオパトラ7世に比べれば、プトレマイオス1世は歴史の中ではちょっと影薄い人物である。あまりドラマティックな出来事は起こらない。彼自身の業績や歴史というよりは、アレクサンドロス死後のディアドコイ(後継者)戦争という大きな流れの一部として描かれ、理解されることのほうが多い。
この本も、プトレマイオス1世が主役ではあるが、残っている記録の比率からしても、他のディアドコイたちにスポットライトの当たっている時間は長い。本来は歴史の脇役、もしもアレクサンドロスが後継者を残さず急死したりしなければ歴史の表舞台で活躍することはなかったかもしれない人物。
それが、大王の死とともに、王朝の創始者として名を刻む人物となり、アレキサンドリアの街をエジプトの新首都として完成させ、あの伝説的な大図書館と灯台を築くに至る。彼がエジプトに築いた帝国は、アレクサンドロスの他の後継者たちの築いたどの帝国よりも永らえ、繁栄を享受することになる。
プトレマイオスはなぜ、エジプトを自分の領土に選んだのか。シリアやキプロスを手に入れるために何をしたのか。
どのようにエジプトを統治したのか。
それは、この本の後半のテーマになっている。
プトレマイオスはおそらく、最初は、エジプト人になるつもりも、エジプトに骨を埋めるつもりもなかったのだろうなと思う。
本当は、マケドニアとギリシャの王になりたかったのだ。エジプトで財を築き、兵力を蓄えて他の後継者たちを追い落とし、マケドニアまで攻め上がることを何度も画策している。だが、寿命がそれを許さなかった。
アレクサンドロスの部下たちで、ディアドコイ戦争に生き残った連中は揃いも揃って化け物揃い、長寿の者も多い。プトレマイオス1世も、80歳を少し過ぎて亡くなったとされる。しかしその直前まで遠征などに従事しているから、現代の高齢者の元気さにも通じるものがある。そしてプトレマイオスが亡くなったあとにも、まだアレクサンドロスの遠征に関わった者たちが何人も生き残っている。
アレキサンドリアを堂々たる都市に育てながら、彼は、どこかの段階でペラに戻る日のことを諦めたのだろうか。それとも、死の床でもまだ、アレキサンドリアは仮の玉座だと思っていだたろうか。
最初はただの異邦人だったマケドニアの片田舎のおっさん兵士は、最後には大帝国エジプトの王として死ぬ。彼がどの時点から、どのようにして「エジプト王」になっていったのかを追うのは面白いし、ある種のサクセス・ストーリーとも読めるかもしれない。
****
なお、同じプトレマイオス朝でアルシノエ2世の本も最近出ているので、こちらも興味のある人はドゾ。
過酷なヘレニズム大奥を生き抜くためには。エジプト女王、アルシノエ二世の人生とその後
https://55096962.seesaa.net/article/202112article_13.html
古代の独立国家としてのエジプト最後の王朝、プトレマイオス王朝を開く人物としてよく知られているが、その実、アレクサンドロスの華々しい冒険と戦歴の数々の記録では、中盤以降にしか出てこない。出身地はマケドニアの農村部。父とされるラゴスは地位が低く、名門の出でなかったことは確かだ。
若き日のアレクサンドロスと同じくミエザの学校に通っていた元同級生と考えられているが、最初から腹心の部下とかいう扱いではなく、年齢的にも十歳くらいは離れていただろうとされている。信用できる幼馴染という扱いになったのは、ペルシア帝国の崩壊後。ペルシア軍との戦いの中で功績を挙げたからだろうとされる。
そして年上ということは、アレクサンドロスが33歳の誕生日を目前にして死んだ時、彼のほうは既に四十路に差し掛かっていたことを意味している。
大王の死後、エジプト総督、そしてエジプト王へと称号を変え自分の王国を築いていくプトレマイオスは、既に四十路も半ばの、軍人上がりで無骨な、田舎出身マケドニア人のおっさんであったのだ。

プトレマイオス一世:エジプト王になったマケドニア人 - イアン・ウォーシントン, 森谷 公俊
というわけで、そのおっさんを1冊まるまる使って書いてある珍しい本を見つけたので、なんやもの好きがあるんやな…どこに需要があるんや…とブツブツ言いながら手にとってみた。まあよっぽどのもの好きじゃないとプトレマイオス1世に興味もつ人なんていないと思うんだけどね。私は読むけど。
子孫であるクレオパトラ7世に比べれば、プトレマイオス1世は歴史の中ではちょっと影薄い人物である。あまりドラマティックな出来事は起こらない。彼自身の業績や歴史というよりは、アレクサンドロス死後のディアドコイ(後継者)戦争という大きな流れの一部として描かれ、理解されることのほうが多い。
この本も、プトレマイオス1世が主役ではあるが、残っている記録の比率からしても、他のディアドコイたちにスポットライトの当たっている時間は長い。本来は歴史の脇役、もしもアレクサンドロスが後継者を残さず急死したりしなければ歴史の表舞台で活躍することはなかったかもしれない人物。
それが、大王の死とともに、王朝の創始者として名を刻む人物となり、アレキサンドリアの街をエジプトの新首都として完成させ、あの伝説的な大図書館と灯台を築くに至る。彼がエジプトに築いた帝国は、アレクサンドロスの他の後継者たちの築いたどの帝国よりも永らえ、繁栄を享受することになる。
プトレマイオスはなぜ、エジプトを自分の領土に選んだのか。シリアやキプロスを手に入れるために何をしたのか。
どのようにエジプトを統治したのか。
それは、この本の後半のテーマになっている。
プトレマイオスはおそらく、最初は、エジプト人になるつもりも、エジプトに骨を埋めるつもりもなかったのだろうなと思う。
本当は、マケドニアとギリシャの王になりたかったのだ。エジプトで財を築き、兵力を蓄えて他の後継者たちを追い落とし、マケドニアまで攻め上がることを何度も画策している。だが、寿命がそれを許さなかった。
アレクサンドロスの部下たちで、ディアドコイ戦争に生き残った連中は揃いも揃って化け物揃い、長寿の者も多い。プトレマイオス1世も、80歳を少し過ぎて亡くなったとされる。しかしその直前まで遠征などに従事しているから、現代の高齢者の元気さにも通じるものがある。そしてプトレマイオスが亡くなったあとにも、まだアレクサンドロスの遠征に関わった者たちが何人も生き残っている。
アレキサンドリアを堂々たる都市に育てながら、彼は、どこかの段階でペラに戻る日のことを諦めたのだろうか。それとも、死の床でもまだ、アレキサンドリアは仮の玉座だと思っていだたろうか。
最初はただの異邦人だったマケドニアの片田舎のおっさん兵士は、最後には大帝国エジプトの王として死ぬ。彼がどの時点から、どのようにして「エジプト王」になっていったのかを追うのは面白いし、ある種のサクセス・ストーリーとも読めるかもしれない。
****
なお、同じプトレマイオス朝でアルシノエ2世の本も最近出ているので、こちらも興味のある人はドゾ。
過酷なヘレニズム大奥を生き抜くためには。エジプト女王、アルシノエ二世の人生とその後
https://55096962.seesaa.net/article/202112article_13.html