古代人のDNA調査と「倫理声明」、最近の調査って事前調整の注意書きがけっこう多いよね…という話

さいきんScience Advanceに出ていた南米先住民のDNA調査の論文に、ちょっと面白い倫理声明(Ethics statement)が書かれていた。
この調査の結果は先住民の文化的アイデンティティの概念と関連しない、古代DNAの調査はそれらと混同すべきではない、というものである。調査の発表にあたり、現地先住民の代表者と協議したとも書かれていて、へえ、一昔前までこんなの全然書かなかったのにな、と興味深く思った。

A 6000-year-long genomic transect from the Bogotá Altiplano reveals multiple genetic shifts in the demographic history of Colombia
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.ads6284

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これは平たく言うと、「遺伝子と文化/人種は必ずしも一致しない」という宣言である。
例えば、以下のような問題を防ぐためにある。南米を含むアメリカ大陸は、数万年前に移住が開始されるまで人類は全くいなかった、ということを念頭に置いてもらいたい。

仮定1/ 先住民とされていた人々が、実際には6割くらい後世に入ってきた人々のDNAを受け継いでいた→先住民って言っていいの?
仮定2/ 先住民の中にもDNA系統が複数あり、A族の受け継いでいるものがより古く、B族はそれより1万年くらいあとに移住してきている→先住民の中でもより古いほうが立場は上?
仮定3/ 先住民と名乗っていないC族は、実は遺伝的には先住民とほぼ同じだった→C族も先住民に入れるべきか?

これらの問題について、「古代遺伝子の調査と文化/アイデンティティは別です」と宣言することにより、仮定1や3の場合は「本人たちのアイデンティティが先住民だから先住民でいいです!」「先住民じゃないって認識してるから違うでいいです!」と言えるし、2の場合は、「ルーツの古い新しいの問題じゃないっす。純粋に文化で勝負してね」と言える。

また、かつての調査は先住民の意向などおかまいなしで欧米世界で閉じた状態で実施されていることが多く、調査結果は当人たちには何も還元されず、遺物も持ち出し放題だったのが、その傾向が変わってきたのかなと思う。


で、こんな声明が書かれている理由なのだが、今回の論文で調査されているボゴタ・アルティプラノ地方の古代人が、現在の住民と直接的な血縁関係にはない、つまり途切れてしまった系統だったことにある。
南米への人類の拡散は数度にわたる波があったとされるが、すべての移住者の子孫が残っているわけではない。どこかのタイミングで途切れてしまうことは普通にありえる。
また、古代人は定住生活が当たり前ではなく、わりと頻繁に移住する。古代のその場所に暮らしていた狩猟採集民が、現在そこに住んでいる先住民に繋がっていないというのも、特に不思議な話しではない。

にもかかわらず、この声明を入れてるあたり、古代人の血統と現代の繋がりって、思っていたよりセンシティブな話になってるんだなあという感じ。
古代人のDNAが詳細に解析されるようになったのは、ここ15年くらいの話しのはずなのだが、その間にずいぶん考古学の世界の概念も変わったんだなあと思わされた。

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なお、すべての研究において、先住民の意向を最大限に考慮するというのが必ずしも良い結果を生むとは限らない。
今回は好意的に取り上げたが、アボリジニの「祖先」を巡る以下は、ちょっとどうかと思ってしまった。

4万年前の人骨は現代人の「祖先」と言えるのか。オーストラリアの「ムンゴ・マン」人骨、再埋葬されることに
https://55096962.seesaa.net/article/202204article_8.html

もちろん、こんな奇妙なことが起きた前段には、長年に渡る遺物や学術成果の搾取、という現実がある。
南米やオーストラリア、そしてかつてのASEAN地域などは、長い間、ひたすら先進国によって文化的に植民地状態に置かれ、勝手に自国で発掘され、好き放題に遺物を持ち去られて、研究された内容を外国語で読むしかなかった。
その状況に対する敵意や警戒、反発が、現在の過剰とも思える反応を引き起こしているのかなと思うところがある。

日本はわりと早めに雇われ外国人学者から考古学の技術を習得し、「自国の遺跡は基本、自国主導で発掘!」という体制を整えてしまったので、この文化的植民地の段階を経ていない。日本の遺跡に関する情報や過去の発掘調査は日本語で読めるし、資料は国内にある。(そのぶん、逆に外国への発信が弱いというのが長年の課題だった)

だがもし、日本の遺跡について知りたいのに自国語の本がなく、これまでの研究成果を学ぶために留学が必須だったり、外国の博物館に一級品を見に行かねばならない状況になっていたら、どうなっていただろうか。