言語と民族は必ずしも一致しない。範囲の広い「テュルク系」を網羅する本「トルコ民族の世界史」

こないだケルト学のあり方に散々疑問を呈したが、足りない視点はここにあると思う。

ウラル・アルタイ語族、テュルク語(トルコ語)系を使う人たちを「トルコ民族」と呼んだ場合、その実態とはいかなるものか、という部分の基本的な視点をひととおり説明してくれている大変助かる本である。
だいぶ昔に出たものを一部書き直して出した新版なので、現代政政治や国際情勢の部分は反映しきれていないところもあると感じたが、薄い本なのにカバー範囲が広く、教科書としては優秀。

新版 トルコ民族の世界史 - 坂本 勉
新版 トルコ民族の世界史 - 坂本 勉

まず基本事項として、「トルコ民族」と言った場合、国としてのトルコに所属する人、という意味と、トルコ語系の言語を使う人、という意味がある。

ただし、現在のトルコという国の範囲において、トルコ/テュルク系は、アジア方面から移住してきた新参者である。大元をたどると中国の歴史で鉄勒と呼ばれた民族がおり、これが”テュルク"という音から漢字への転写とされている。つまり元々は中国に隣接する地域にした騎馬遊牧民が祖先と思われる。
トルコには先住の多くの民族の末裔がおり、その人々が「トルコ化」している。

これはトルコ以外のトルコ語系統の言語を話す人々も同様で、ウラル・アルタイ語族の言語を使ってるからといって必ずしも血がつながっているわけではないのだ。
なので、「言語と民族は一致しない」。そして、同じ言語を使う人々が広範囲に散らばった結果、宗教や文化、歴史なども全く異なったものとなり、言語の括りで作られた「民族」の定義もまた、場所によっては使えないのである。

端的に言えば、テュルク系民族の大元は精霊崇拝をしていたが、西進してアナトリアに侵入してくるあたりからイスラム教を受け入れていく。(そしてアラブ語に対抗して、トルコ語を標準語化しようとする)
しかしハザール国を作った人々はユダヤ教を受け入れてユダヤ人というアイデンティティを掲げる。(東欧にユダヤ人が多かった理由の一つがこれ)

言語も宗教も文化も、それだけでは民族の基準たり得ない。ならば何をもって”一つの民族”とするのか。
それが、この本の冒頭で問題とされている内容である。

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この問題を「ケルト人」という既存概念に当てはめるなら、「ケルト語」と「ケルト民族」という繋がりに根拠がないまま拘泥してきたのが今までであり、その概念を一度リセットして別ものとして扱おうとしているのが現在~再編後の将来、と見なせる。
また、民族という概念を成立させるには、文化や宗教が同一なだけでは不十分で、当人たちの仲間意識が問題なのだということも言える。言語や民族がバラバラでも、統一された目標や意識、共通の敵などがいて仲間意識を持てば、それもまた民族という単位で語れる集団となり得るだろう。

インド・ヨーロッパ語族に比べてトルコ語族は研究が遅れていると言われるが、それでも、このへんは既に議論し尽くされてる感があるので、やっぱケルト語研究者もこの問題から逃げずに徹底的に議論して真っ当に通過したほうがいいんじゃないかな…いやまさにいま裏で議論してるところなのかもしれないけど…。


話を戻すと、この本の後半では、トルコ語系をメイン言語とする国々の、それぞれの事情について語られている。
同じトルコ語系民族の国であっても、国境線で領土が別れており、領土問題を抱えている場合は、当然ながら「同じ民族」とか「仲間」という意識はつくられない。中央アジアがそうである。
またトルコ系諸民族の中でも、キリスト教圏に属するアイデンティティを持つ人や、ユダヤ教徒になった人などはトルコ系という意識が薄い。

実際の民族意識はどういう基準で生まれるのか、ナショナリズムが高揚するのはどういうタイミングで起こり、何を対象とするのか。実例とともに語られるので、なるほどなあと勉強になる。これは、大規模な民族移動を万年単位で経験していない日本人には想像のつきにくい世界だと思う。

たとえば、なのだが、千年くらい前に朝鮮半島に移住して国境の向こうに定着している、日本語を喋る、まとまった数の集団がいたとしよう。

千年前に分離したせいで、朝鮮半島の人々はチマチョゴリを着るし、言語は沖縄弁くらい訛ってて通じにくい。
第二次世界大戦までは朝鮮半島は日本の延長線くらいのゆるい扱いだったのだが、第二次世界大戦後に列強国によって国境がガッツリ分断され、日本がアメリカ側、朝鮮半島が全てソ連側となり、国交が途切れたとしよう。
その後、ソ連の崩壊とともに別々の国の国民として顔を合わせた時、日本列島の人たちと朝鮮半島の集団は、お互いを仲間と認識しあえるのだろうか。

…実際、わりと難しいと思う。千年前に同族だったことより、現在の言語や文化の相違、近代における敵対関係のほうが優先される可能性が高いと思う。
この手の問題は、アフリカや南米でも探せばありそうな気はする。


民族、とは何か。民族意識、とは何か。
世界史を眺める上で、根底に持っておいたほうがいい知識の一つである。知らないと見えてこないものも沢山ある。ここで学んだことは、何度でも戻ってきて確かめたい。