古代の「モエリス湖」と現代の「カールーン湖」、実は同一とは言い難い…? 数千年に渡る治水工事が変えたファイユームの地形
2011年からのエジプト騒乱による政情不安もようやく落ち着き、コロナ禍の混乱も収まり、そろそろ! また! エジプトに行きたいでぇす!!(力強く)
…いやまあ…休み取れるかが一番の…問題なんですけど…ゴニョ
というわけで、どのあたりを狙うべきかと、今まで行ったこと無いあたりを眺めていたのだが、ふとファイユームのあたりを眺めていたら気づいてしまった。
この湖、何? ※古代には無かった

結論から言うと、これは近代に作られた人造湖なのだった。
作られたのは1970年代、だいぶ最近である。
ワディ・エル・ライアン(またはワディ・ラヤン)自然保護区という名前で観光地化されている。古代のクジラの祖先たちの骨が砂漠に露出している、「クジラの谷」と呼ばれるワディ・アル・ヒタンは、この近くにある。
二つの湖の間は滝になっており、「エジプト唯一の滝」とか「エジプト最大の滝」とかいう宣伝文句もついていた。
https://www.veltra.com/jp/africa/egypt/a/179900

この湖がなぜ作られたのかというと、以下のような理由である。
・ファイユームの真ん中にある湖、モエリス湖の水を農業に使いすぎ、湖が塩湖化
・上流にダムが建設されたことで定期的なナイルの増水が流れ込まなくなり、塩分濃度を下げる年イチのイベントが起きなくなった
・水路や堤防といった灌漑システムの不備
→湖が塩湖になってしまったせいで、その水を使った農業も不可能になり、生産性が落ちていた
→再びファイユームを農業用地に戻すため、水路を増設
→新たな水路の先にある低地に湖が誕生
つまり、この湖は、モエリス湖(現代の名前ではカールーン湖)の塩分濃度を下げるため、水を循環させるために作られたものなのだ。
ワディ・エル・ヒタンが近くにあることからも分かるように、この辺りは、古代には海の底である。つまり地下に海だった時代の塩分が残っている。
農業で水をガンガン流すことによって、その水は塩分を押し流し、塩を含んだ排水となって流される。これが湖に溜まったまま、水分だけが蒸発すると塩分濃度が上がっていく。
なので水を循環させ、ナイル川に戻すか、湧き水などで塩分濃度を下げて流さないといけない。
観光名所にされている人口湖は、実際には農業用のため池みたいなもんなのである。
また、この湖は、古代エジプト王国の時代には必要がなかった。ナイルの増水によって水が循環していたことと、干拓された範囲がまだ狭く、湖の面積が大幅に縮小するほどではなかったからである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Moeris

元々のモエリス湖の面積に対し、アメンエムハト3世の時代に干拓されたのは、ナイルから支流が流れ込む部分だけ。(斜線部分)
だが、その後、プトレマイオス朝時代にギリシャ系移民の入植地として作付け面積を増やされた時に、湖は大幅に縮小したと考えられている。特にプトレマイオス2世の時代にあ新たに作られた水路とダムの影響が大きかったらしい。
結果、湖は北側の一部だけしか残らず、現代のカールーン湖に近い形になっていったのだ。
それでもナイルの増水があった頃はまだ、増水で水がうまく循環していたのだろうが…。
というわけで、現在のファイユームの湖は、厳密には古代の湖と同一ではない。
何度か干拓工事をされ、近代の水路増設+人工湖との接続によって、水の流れすら変わって農業用水路の一部として組み込まれた姿なのだ。
塩分濃度が上がったせいで、元々のナイルの魚もいちど全滅したあと再導入されている。生物の様相も古代とは違ったものになっていると思う。
****
なお、似たような経緯を辿ったエジプトの地形には、アレキサンドリアに面したマレオティス湖がある。
マレオティス湖も、転生によって古代とは全く異なる様相になっている湖である。エジプトさん国土の90%が砂漠だから、残り10%でやりくりしようとして地形改変しないとやってけなかったのかもしれない。
アレキサンドリア南・マレオティス湖の「転生」、古代から現代へ
https://55096962.seesaa.net/article/494011156.html
…いやまあ…休み取れるかが一番の…問題なんですけど…ゴニョ
というわけで、どのあたりを狙うべきかと、今まで行ったこと無いあたりを眺めていたのだが、ふとファイユームのあたりを眺めていたら気づいてしまった。
この湖、何? ※古代には無かった

結論から言うと、これは近代に作られた人造湖なのだった。
作られたのは1970年代、だいぶ最近である。
ワディ・エル・ライアン(またはワディ・ラヤン)自然保護区という名前で観光地化されている。古代のクジラの祖先たちの骨が砂漠に露出している、「クジラの谷」と呼ばれるワディ・アル・ヒタンは、この近くにある。
二つの湖の間は滝になっており、「エジプト唯一の滝」とか「エジプト最大の滝」とかいう宣伝文句もついていた。
https://www.veltra.com/jp/africa/egypt/a/179900

この湖がなぜ作られたのかというと、以下のような理由である。
・ファイユームの真ん中にある湖、モエリス湖の水を農業に使いすぎ、湖が塩湖化
・上流にダムが建設されたことで定期的なナイルの増水が流れ込まなくなり、塩分濃度を下げる年イチのイベントが起きなくなった
・水路や堤防といった灌漑システムの不備
→湖が塩湖になってしまったせいで、その水を使った農業も不可能になり、生産性が落ちていた
→再びファイユームを農業用地に戻すため、水路を増設
→新たな水路の先にある低地に湖が誕生
つまり、この湖は、モエリス湖(現代の名前ではカールーン湖)の塩分濃度を下げるため、水を循環させるために作られたものなのだ。
ワディ・エル・ヒタンが近くにあることからも分かるように、この辺りは、古代には海の底である。つまり地下に海だった時代の塩分が残っている。
農業で水をガンガン流すことによって、その水は塩分を押し流し、塩を含んだ排水となって流される。これが湖に溜まったまま、水分だけが蒸発すると塩分濃度が上がっていく。
なので水を循環させ、ナイル川に戻すか、湧き水などで塩分濃度を下げて流さないといけない。
観光名所にされている人口湖は、実際には農業用のため池みたいなもんなのである。
また、この湖は、古代エジプト王国の時代には必要がなかった。ナイルの増水によって水が循環していたことと、干拓された範囲がまだ狭く、湖の面積が大幅に縮小するほどではなかったからである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Moeris

元々のモエリス湖の面積に対し、アメンエムハト3世の時代に干拓されたのは、ナイルから支流が流れ込む部分だけ。(斜線部分)
だが、その後、プトレマイオス朝時代にギリシャ系移民の入植地として作付け面積を増やされた時に、湖は大幅に縮小したと考えられている。特にプトレマイオス2世の時代にあ新たに作られた水路とダムの影響が大きかったらしい。
結果、湖は北側の一部だけしか残らず、現代のカールーン湖に近い形になっていったのだ。
それでもナイルの増水があった頃はまだ、増水で水がうまく循環していたのだろうが…。
というわけで、現在のファイユームの湖は、厳密には古代の湖と同一ではない。
何度か干拓工事をされ、近代の水路増設+人工湖との接続によって、水の流れすら変わって農業用水路の一部として組み込まれた姿なのだ。
塩分濃度が上がったせいで、元々のナイルの魚もいちど全滅したあと再導入されている。生物の様相も古代とは違ったものになっていると思う。
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なお、似たような経緯を辿ったエジプトの地形には、アレキサンドリアに面したマレオティス湖がある。
マレオティス湖も、転生によって古代とは全く異なる様相になっている湖である。エジプトさん国土の90%が砂漠だから、残り10%でやりくりしようとして地形改変しないとやってけなかったのかもしれない。
アレキサンドリア南・マレオティス湖の「転生」、古代から現代へ
https://55096962.seesaa.net/article/494011156.html