第18王朝近辺、ツタンカーメンを含む王家のDNA調査/Y染色体とミトコンドリアDNAのハプログループは西アジア系という話

この間、クレオパトラはエジプト人ではなくギリシャ人! とドヤ顔で言うと恥かくぞ…という話を書いた。
https://55096962.seesaa.net/article/515471012.html

そもそも、古代エジプトには純血/純粋なエジプト人というものがいたことはなく、歴史を通して常に移民が流入し、混血していた地域である。
ナイルの水を利用した集中的な灌漑農法の恩恵を受けて穀物生産効率が良く、多くの人口を養えるだけのキャパを持っていたために、飢饉などで人が別の場所に出ていくことがほとんどなく、移住してきた人はそのままナイル川流域にとどまったと思われる。
結果、実にいろんなルーツが混在する地域となった。

…というミイラや現代エジプト人を元にしたDNA分析研究の中に、ツタンカーメンとその家系(第18王朝の現存するミイラ)を対象とした研究論文があるので、いちおう取り上げておく。

Maternal and paternal lineages in King Tutankhamun’s family
https://www.researchgate.net/publication/353306320_Maternal_and_paternal_lineages_in_King_Tutankhamun's_family

コンタミ(調査員のDNAがうっかり混じっちゃった、などのミス)を疑われた2011年の研究を考慮してか、この研究ではコンタミに気を遣ったという記載もある。ただ、結果部分の解釈はやっぱりちょっと恣意的だなぁという感じ。
特にY染色体部分が怪しいのだが…ミトコンドリアDNAの部分はそうそう変な結果が出るものではないので信用してもいいと思う。

まず前提として、Y染色体は男系でのみ受け継がれる。つまり息子が生まれなければ、Y染色体の情報はその代で消滅する。
父系の祖先をたどるにはY染色体を調べるしかないのだが、一つの細胞の中に1セットしかないため、古代の遺体が対象だと検出の確率が非常に低く、検出されても判定が難しい。

対して、ミトコンドリアDNAは女系でのみ受け継がれる。全ての人類は母から生まれるため、必ず母親のものが子どもに引き継がれる。
ミトコンドリアは一つの細胞内に多数あり、鎖の長さが短いため、検出や分析は比較的容易。

そして、Y染色体やミトコンドリアDNAはともに、世代を重ねてコピーされるうちにコピーエラーが起きて、少しずつ変異していく。この変異の系統樹を示したものが、ミトコンドリアDNAだと以下になる。(参考)

sffgg.png

L0が最古の情報。ただし、これは「現在残っている」最古の、という意味であり、子孫を残さなかった系統や、父親側には受け継がれていたが娘が生まれなかったために途切れた系統も多数あるだろう。だが、いずれにしても現在残る最古の系統である「L」タイプは全てアフリカの集団内に存在することから、人類のアフリカ起源説の強い根拠となっている。

では、ツタンカーメンたち第18王朝の王たちが受け継いでいたミトコンドリアDNAのハプログループは…? というと、「K」である。
これは「U」グループから派生したもので、U8とも呼ばれる。
(表内のCoverageがFullになっていないものはきれいな結果が出ていないので少し曖昧)

dvv12.png

つまり西アジア発祥で、現代ではヨーロッパやソマリアあたりに拡散しているタイプ。(以下、参考図は特に説明なければWikipediaからの転載)

Migration_route_of_Human_mtDNA_haplogroups.png

Frequency_distribution_maps_for_mtDNA_haplogroups_K.png

ただし、Kではないミイラもいることと、ハトシェプスト女王までハプログループKだと近親婚の家系図がものすごいことになるのでは…? という懸念事項もある。

KV55のミイラをアクエンアテンかどうかはちょっと微妙な問題であり、とりあえず、「アメンホテプ3世の妻ティイはKグループ」「ティイからKを受け継いだアクエンアテンはKグループ」までは言える範囲かなと思う。

なお、ミトコンドリアDNAは母系でしか受け継がれないため、ネフェルティティとの間に生まれた娘たちのミトコンドリアDNAはおそらく別のグループという結果になっていたと思われるが、そこを調べていないのが恣意的と感じられる一因でもある。

また余談だが、アメンヘテプ3世のミトコンドリアDNAはH2bであり、H系統もやはり西アジア起源。現代のヨーロッパに多い系統だそうなので、ここだけ見ると、アメンヘテプ3世はヨーロッパ人と共通祖先から出ている!などと過激なことを言い出す人も出てきかねない。
実際には、ミトコンドリアDNAもY染色体も、単に「多くの祖先たちの中からたまたま受け継がれた1系統」でしかないため、祖先の一人は確実にその系統なのだが、それ以外の祖先のことまでは教えてくれないことに注意が必要である。


で、次にY染色体。

これはだいぶ苦労したんだなあ…という感じ。いやまあ、検出しにくいところなので当然なのだが、確率がバラけているものを無理やり断言してもいいものかどうか。
とはいえ、ツタンカーメンに受け継がれたY染色体、男系の系譜は、「おそらく」R1bだろう、となっている。(細かい結果見ると、アメンヘテプ3世は実際にはR1aの可能性のほうが高いので、ここも意図的に結果を選択してしまっているが…)

cv6.png

Y染色体の系譜がこれで、R1aとR1bは、ともに黒海からカスピ海あたりが起源地と推測されている。
つまり、男系の系譜でも外来系、というかおそらく西アジア系の祖先を持つと考えられる。

World_Map_of_Y-DNA_Haplogroups.png

Haplogroup_R_(Y-DNA).png

この結果がどこまで正しいか、ということもあるが、私にとっては、ツタンカーメンやハトシェプスト女王の祖先の一人がどこから来たのかや、どの遺伝型の系譜を受け継いでいるかよりも、分析された近い時代のミイラのY染色体の系統が、かなりバラッバラなことのほうが興味深かった。
それは、これまでの古代エジプト王家に対する概念とは一致する結果である。

古代エジプトの王家は万世一系ではなく、王家の純血的な血筋にこだわりはなかった。近親婚も多かったが、必ずしも兄弟姉妹で結婚していたわけではないし、第18王朝とそれ以降の王朝では全く血縁関係にないため、けっこう遺伝的な系統は変化していると思われる。それでも王家として成立していたのだ。

新王国時代の思想では、「王の父はアメン神である」となっていた時代だ。名目上、王妃が産んだ子どもは全て「本来の父はアメン神」、「王の体に宿ったアメン神の子孫」であり、血の繋がりや純血はそこまで重視されていなかったのだろう。(これは、王家のハーレムに宦官がおらず、後宮が閉ざされていた形跡がないことからも伺える。)

そして、王家の祖先には、少なからず西アジア系の移民の血が入っている。
これもおそらく確実に言える結論の一つで、古代エジプトの王家は、エジプト土着民ではあったが、近隣から流れ込んだ移民の集合体だったと言っていいと思う。


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[>参考

第18~19王朝、王宮の中の「外国人嫁」たち~そういや彼女たちってどこ行ったんだろう、
https://55096962.seesaa.net/article/202009article_26.html

分析対象になったあたりのエジプトの宮廷はアジア系移民がかなり多い時代なので、この時代のファラオの遺伝子を分析すれば、そりゃアジア系の結果が強くでますよね。という感じ。他の時代だとまた別の結果になるかもしれない。

ツタンカーメンの遺伝子解析「ヨーロッパ人に近い!」→実は遺伝子調査キットを売るための戦略?!
https://55096962.seesaa.net/article/201108article_7.html

今回の研究は、2011年当時のこのムーブに対するカウンターの意味もあるのかなと思ったけど、結果的にヨーロッパ人にも多い系統が出てしまっているので、実際にはこの会社のやってたような商法を強化するハメに。

古代エジプトのハーレム遺跡「グローブ」 エジプトの後宮はオープンで明るい。
https://55096962.seesaa.net/article/502866085.html

古代エジプトのハーレムについての資料。外国人妻の多くはここに送られたと考えられている。

イエス・キリスト誕生の神話はエジプト起源? トト神が受胎告知してた…
https://55096962.seesaa.net/site/pc/preview/entry

王の概念上の父親かアメン神である、という神話の実例。父アメン神が王妃を身ごもらせ、トト神が受胎告知し、クヌム神が体を作る。なので、ファラオは「人でありながら神性も持つ」という、のちの世のイエス・キリストみたいな概念の存在だった。