ナイル川の流れが安定したのはここ2,000年くらい。治水工事はしようとしても出来ない状況だったのでは
ナイル川はエジプトの生命線であり、古代エジプト文明を育んだ源である。サハラ砂漠の東を突っ切っており、衛星写真で見ると川沿いにだけ翠があることがわかりやすい。

赤線引いた部分は、ナイル川のメンフィスより上流、「ナイル渓谷」と言われる部分だ。
川の両側は崖になっており、その崖の間をナイル川が流れている。現在では、渓谷の底を流れるナイル川は一本で、流れの場所は安定している。


ただ、その風景は、実際にはここ2,000年くらいの間に固定されたものである可能性が高い。
関連するのは以下の記事。
「エジプトはナイルの賜物」、そのナイルのイメージはたった二千年前からのものだったかもしれない
https://55096962.seesaa.net/article/503595704.html
ナイル川は時代ごとに何度も流れを変えてきた。変えるだけではなく、勝手に支流も作り出してきた。そして実は、「ナイル渓谷」の中で、西よりを流れるか東寄りを流れるか、のような感じで、頻繁に移動を繰り返してしたらしい。
毎年、上流の雨季に合わせて増水するのだが、その際に川から水が溢れ出すことで、流れを少しずつ変えてしまう川だったのだ。
古代エジプト語に「橋」という単語がない、という話は、既にどこかに書いた。
橋とは川に渡すためのものだが、その川の流れが頻繁に変わり、しかも一年のうちにすら幅が大きく変わるのでは、当然ながら橋など架けられない。
また役人制度の中に「土地を測る者」という役職名があり、これは税収役人の一種だったようなのだが、増水季の終わって水の引いたあとに畑の面積を測量し、税収額を決めるというのを毎年やっていたらしい。これも、川の流れが頻繁に変動していたことを間接的に示す証拠と考えられる。
「暴れ川」ではないのだが、扱いづらい、治水工事はやりたくても出来ない川だったと思われる。
雨が降らず、農耕はナイルの水に頼っているので畑には水路を引き込む必要がある。
しかし、川の流れ自体が安定しないのであれば、その水路も、頻繁に作り直す必要があったのではないか。古代エジプトの農業は、畑そのものにかかる手間というよりは、実際には畑に付随する水路や土手などの土木作業に手間暇のかかるもので、それらを整えるために農村一丸となって協力することが必要とされた風土だったのではないか。
古代の農村風景をナイル川から想像していくと、そんなふうに思えてくる。
古代エジプト世界で集落単位での結束が強く、地域ごとの独自宗教や文化が重視されていたのも、なんかそのへんに理由がありそうだ。
つまり、山で地理的に隔てられていた日本の東北あたりの農村と似た事情で、水路や川の流れによって隔てられた地域ごとの農村のまとまりが人間集団の第一に来る。
なお、古代に作られた水路としては、ファイユーム地方にある「ユースフ運河」があるし、中世には「ベイスン灌漑」という名前で大規模な水路が作られていたことも知られている。ただ、前者は湖のほとりで、たまたま流れが安定していて残ったものと考えられるし、後者はナイルの流れがある程度安定してから作られたものである。
ピラミッド建築に関わる水路など、大規模な水路や運河の部分は国家主導で作られていた可能性があるが、そこから繋がる各耕作地への水路は、おそらく農村部が主体となって維持管理していたと思う。
ピラミッド近くにナイルの支流の痕跡を発見、気候変動とピラミッド建設場所の関係が面白い
https://55096962.seesaa.net/article/503401207.html
また、ナイル渓谷はナイルの上流部分で、ナイルデルタと言われるのが下流。そのナイルデルタは、新王国時代が過ぎるまで、半分くらいは人が住めず、畑も作れない。
ここも安定したのは歴史の中でわりと最近のことなのだ。
古代エジプト、ナイル下流はある時点まで人口が少なかった? 洪水デバフの威力とは
https://55096962.seesaa.net/article/503068544.html
ナイルデルタでも大きな支流が移動するなどの変動はあり、それによってアレキサンドリアの景観が変わったことが分かっている。
記事にはしていないが、ラメセス2世の築いた街ペル・ラメセスもナイルの支流の位置が変動して放棄されていたりするので、下流域についても治水出来ず、変動するナイルの流れに翻弄されていたと言える。
アレキサンドリア南・マレオティス湖の「転生」、古代から現代へ
https://55096962.seesaa.net/article/494011156.html
繰り返すが、ナイル川はいわゆる「暴れ川」ではない。洪水や水害が相次ぐといったものではない。ただ、何ヶ月もかけてじわじわ水が増えて、その水が時おり集落を沈めてしまったり、水が引いたあとに別の場所を流れていたりする。
静かなる暴れ川というか、マイペースな川というか…古代人目線でいうと、まさに「ご神意」だったのだろう。
治水したくでも出来ない。それなら神殿でも建てて祈るしかないっていうのは、まあ、そうなんだろうな、と…。
ナイルは、文明にとっての生命線でありながら、発展を阻害するものでもあった存在なのかもしれない。
赤線引いた部分は、ナイル川のメンフィスより上流、「ナイル渓谷」と言われる部分だ。
川の両側は崖になっており、その崖の間をナイル川が流れている。現在では、渓谷の底を流れるナイル川は一本で、流れの場所は安定している。
ただ、その風景は、実際にはここ2,000年くらいの間に固定されたものである可能性が高い。
関連するのは以下の記事。
「エジプトはナイルの賜物」、そのナイルのイメージはたった二千年前からのものだったかもしれない
https://55096962.seesaa.net/article/503595704.html
ナイル川は時代ごとに何度も流れを変えてきた。変えるだけではなく、勝手に支流も作り出してきた。そして実は、「ナイル渓谷」の中で、西よりを流れるか東寄りを流れるか、のような感じで、頻繁に移動を繰り返してしたらしい。
毎年、上流の雨季に合わせて増水するのだが、その際に川から水が溢れ出すことで、流れを少しずつ変えてしまう川だったのだ。
古代エジプト語に「橋」という単語がない、という話は、既にどこかに書いた。
橋とは川に渡すためのものだが、その川の流れが頻繁に変わり、しかも一年のうちにすら幅が大きく変わるのでは、当然ながら橋など架けられない。
また役人制度の中に「土地を測る者」という役職名があり、これは税収役人の一種だったようなのだが、増水季の終わって水の引いたあとに畑の面積を測量し、税収額を決めるというのを毎年やっていたらしい。これも、川の流れが頻繁に変動していたことを間接的に示す証拠と考えられる。
「暴れ川」ではないのだが、扱いづらい、治水工事はやりたくても出来ない川だったと思われる。
雨が降らず、農耕はナイルの水に頼っているので畑には水路を引き込む必要がある。
しかし、川の流れ自体が安定しないのであれば、その水路も、頻繁に作り直す必要があったのではないか。古代エジプトの農業は、畑そのものにかかる手間というよりは、実際には畑に付随する水路や土手などの土木作業に手間暇のかかるもので、それらを整えるために農村一丸となって協力することが必要とされた風土だったのではないか。
古代の農村風景をナイル川から想像していくと、そんなふうに思えてくる。
古代エジプト世界で集落単位での結束が強く、地域ごとの独自宗教や文化が重視されていたのも、なんかそのへんに理由がありそうだ。
つまり、山で地理的に隔てられていた日本の東北あたりの農村と似た事情で、水路や川の流れによって隔てられた地域ごとの農村のまとまりが人間集団の第一に来る。
なお、古代に作られた水路としては、ファイユーム地方にある「ユースフ運河」があるし、中世には「ベイスン灌漑」という名前で大規模な水路が作られていたことも知られている。ただ、前者は湖のほとりで、たまたま流れが安定していて残ったものと考えられるし、後者はナイルの流れがある程度安定してから作られたものである。
ピラミッド建築に関わる水路など、大規模な水路や運河の部分は国家主導で作られていた可能性があるが、そこから繋がる各耕作地への水路は、おそらく農村部が主体となって維持管理していたと思う。
ピラミッド近くにナイルの支流の痕跡を発見、気候変動とピラミッド建設場所の関係が面白い
https://55096962.seesaa.net/article/503401207.html
また、ナイル渓谷はナイルの上流部分で、ナイルデルタと言われるのが下流。そのナイルデルタは、新王国時代が過ぎるまで、半分くらいは人が住めず、畑も作れない。
ここも安定したのは歴史の中でわりと最近のことなのだ。
古代エジプト、ナイル下流はある時点まで人口が少なかった? 洪水デバフの威力とは
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ナイルデルタでも大きな支流が移動するなどの変動はあり、それによってアレキサンドリアの景観が変わったことが分かっている。
記事にはしていないが、ラメセス2世の築いた街ペル・ラメセスもナイルの支流の位置が変動して放棄されていたりするので、下流域についても治水出来ず、変動するナイルの流れに翻弄されていたと言える。
アレキサンドリア南・マレオティス湖の「転生」、古代から現代へ
https://55096962.seesaa.net/article/494011156.html
繰り返すが、ナイル川はいわゆる「暴れ川」ではない。洪水や水害が相次ぐといったものではない。ただ、何ヶ月もかけてじわじわ水が増えて、その水が時おり集落を沈めてしまったり、水が引いたあとに別の場所を流れていたりする。
静かなる暴れ川というか、マイペースな川というか…古代人目線でいうと、まさに「ご神意」だったのだろう。
治水したくでも出来ない。それなら神殿でも建てて祈るしかないっていうのは、まあ、そうなんだろうな、と…。
ナイルは、文明にとっての生命線でありながら、発展を阻害するものでもあった存在なのかもしれない。